第5話 業魔の感覚
まず最初に思ったのは恥ずかしさだった。だが仕方がないことだった。
ことの顛末はこうだ。まず、女教官が皆に指示をしたのだ。
「君たちが持っているのは本物の刃だ。重さになれてもらう必要があるからな。そこで、安全のためにこの『モッタン』というものを刃に塗ってもらう」
「もちもちだ」「あれ、もちもちじゃん」などの声がする。
モッタンとは封魔一族の里でしか作れない作物だ。ゆでてもよし、煮てもよしで非常においしい食材となっている。また、刃に塗りつけて切れないようにもできる。その粘着力はめちゃくちゃ優秀で、戦闘訓練での必需品だ。
俗称を『もちもち』といい、皆が大好きな作物だった。
「では……少年。私が教えるからみんなの見本としてモッタンを刃に塗ってくれ」
そして俺が『みんなの前でお手本をすることになった』のだ。
これだけでも十分恥ずかしい。だが問題は別にある。
モッタン……もちもちの塗り方を、女教官に教えてもらっているのだ。
その時に……手とかがあたる。
生徒からの羨望の視線が注がれる。女教官はなんというか、結構美人だった。
俺は番人様としかほとんど喋らない。他には番様の部下とたまに話すがそこに女性はいない。
ようするに、俺は女への耐性がないのだ。
健全な青少年の純粋さをなめないで欲しかった。
少しは察してほしかった。
俺の手は震えている。
「どうした、刃に触れるのは緊張するか?」
「だ、大丈夫です」
「まったく、仕方のない奴だ」
そういって女教官が俺の手を包み込みながら作業を続ける。
純粋な青少年こと俺は普通に動揺した。
「へ、平気です!」
俺は仏のごとき心境ですべてを乗り切ろうとした。
しかし、そんな修業はしたことがなかったので無理だった。
「強がらなくていい。そういう奴もたまにいる」
「も、もちもちです!」
俺はわけのわからないことを口走っていた。
本当は「もちろんです!」と言いたかったのだかそれもなんだか変だ。
「ふふふ」と女教官が笑う。
始めて見せた微笑だった。
だから生徒がすこし沸いた。
俺向かってうらやまなんとか、みたいなことを言っている。
やめてくれ……!
作業は無事完了した。鎌の刃はもちもちに覆われ、殺傷力は皆無となった。
「よし、では君たちも始めてくれ」
生徒たちが作業に取り掛かり始める。
「手が汚れたな。少年、私たちは手を洗いに行こう」
「はい、もちもちです」
また間違えた。俺は馬鹿だ。
「またそれか?」
女教官が少し口角をあげてそう言う。
まあいっか、と思った。
俺たちはトイレへと向かった。手を洗い終わって戻ってくると、ばったり他の生徒に鉢合わせた。もちもちで汚れた手を洗い流しに来たようだ。
「なあ、おまえ」とそいつが言う。
友達になれるか! と俺は期待した。
「ずいぶんいい気になってるんだな」
その言葉には、期待していたものよりもずいぶんと落差があった。
俺が忌み子だから、だから近づこうとすることさえ嫌がられるんだろうか?
そんなことねえだろ! と心の中で叫び、一歩進もうとする。なんとか仲良くなろうとして。
でも足は動かなかった。
望んでいるはずの行動を、俺の体は取ってはくれなかった。
……どうしても、他人からの拒絶を感じると、怯えが走る。
呆然として、動けないままでいると、そいつはいっそ憎々しげなほどの気配を漂わせ、こう言った。
「――忌み子のくせに」
それを聞いて、心の底で、鈍い音がした。
…………。
心が折れかけた。
でも、屈服は許されなかった。
縮こまって傷ついて、そんなことになるよりかは、まだ怒りの感情を胸に抱くほうが、俺にとっては正しいはずなのだ。
でもどうしようもなく、傷つくのだ。
差別は辛い。俺は普通に仲良くしたいのに、相手はそうは思ってくれない。
俺はなにも答えなかった。返事をせず、なにもせずに戻った。
俺は笑う。辛い時こそ笑うように、と。
なにもなかったんだ、と自分に言い聞かせる。
番人様が言っていたことだ。
『自分がかわいそうなやつだなんて認めちゃいけない。嘘の仮面を被り、笑え』
だから俺は自然な笑顔を浮かべる。俺はかわいそうなやつなんかじゃない。
例え嘘でもずっと嘘をつき続ければ本物になる。だから俺は、自然な表情で笑うんだ。
女教官がまた指示を始める。軽くうちあってみろとのことだ。相手の力量を考え、差がありそうな奴はちゃんと加減するように、と注意を促す。
俺は武器を手に取る。
「よし、思い切り来ていいぞ少年」
俺の相手は変わらず女教官だ。
……俺はひとりでいたから、女教官と組むことになったんだ。
それだけなのに。
頭がガンガンと痛む。意識が混濁しそうになる。
ぽんやりとする。倒れてしまいたい。
――こんな時に、やけに頭が冴える。
相手が俺のことを見定めようとしているのがわかる。
女教官は俺に普通に接してくれた。でも、それは彼女が大人だからだ。
表に出さないだけで、本当は警戒している。
悪意や敵意、そういったものが過敏なほど感じ取れるのは、業魔を飼っているからこそなのだろう。
「こないならこちらからいくぞ」
はっ、と意識が戻る。
女教官の得物は剣だった。
――鋭い一撃。
後になって思えば、それは俺の勘違いだった。いきなり見えたから、早く感じただけで。
俺はとっさに大鎌を振るう。番人様に鍛えられた、普通じゃない一撃だった。
女教官はなんとか受け流した。
そして、勘違いなんかじゃない、本当に鋭い一撃を繰り出した。
きっと俺が強すぎる一撃を放ったから、自然と体が反応したんだろう。
女教官の驚愕の表情。
間違えてしまったという顔。
――ぎりぎりで身をひねってかわす。
あまりの苛烈さにわき腹が少し切れる。
俺は目の前の存在を敵として認識しようとして、にらめつけようとして……目を閉じた。
馬鹿なことをしてしまった。「忌み子のくせに」なんていわれた程度で平静を失っていた。
「大丈夫か!」と女教官の声。
「平気です」
「ほんとうにすまない! すぐに医務室に行こう」
女教官のマントに包まれながら、医務室に向かう。
それを振り払いたい衝動に駆られた。
本当は寂しいくせに、誰かを拒絶したい、そんな感覚。
バカみたいだ、と思う。
俺はおとなしく一緒に医務室に向かった。
こんなことで動揺してしまう自分の心の弱さが、嫌でたまらなかった。
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