世界ホロスコープ

 影に呑み込まれた先の暗闇には星空が広がっていた。


 僕は周囲を見渡す。

 見渡す限り、なんていうレベルではない。足元にも星が浮かんでいて、いいや、浮かんでいるのは僕のほうかも? とにかく僕は星空のなかにいたのだ。あまりにも突拍子もなく、現実味もない光景に、僕はひとつの仮説に辿り着く。


 ここは異空間? でも地面に座っている感覚は残っている。これは星の書の力なのか? いや、今はそんなことは問題じゃない。


「これは……」


 天を仰ぐ、地に俯く。足元にある星模様に見覚えはないけれど、真上と左手の星空には覚えがある。真上はデキンの星空、それから左にずれるとレドネアで見た星空だ。配置を見るに、現在の星位置のように思える。


「まさか、ここは天球儀の中?」


 星の書にこんな力が封印されていたなんて……。


 僕は瞬きも忘れるほど瞠目していた。同時に悔しさに唇を噛んだ。これが一年、いや半年前なら、僕は歓喜し、寝る間を惜しんでこの天球儀にのめり込んだだろう。しかし今更誰の星が解ってももう遅い。占うには観測した星をホロスコープに落とし込み、天面から星の辿る道を描かなければならない。ユキと勇者が戦ってるまさに今、そんなことをしている時間はない。


 絶望にかられた僕は、一際眩しい勇者の星の光からユキの星を庇うように手を伸ばした。遠くに見えて、実際の星空ではないからか、本当に勇者の光を遮ることができた。


「思ったよりも狭い?」


 星の光を遮ったところでどうなるわけでもないことを知っている僕は、現実的な感想を抱く。そしてすぐそこに光る小さな星たちを触ろうと伸ばした手を左右に動かした。

 すると、手の動きに呼応するように、星空がずれるように線を描いた。


「わわっ!?」


 慌てて手を止めると星空も止まる。逆方向に動かすと、星空が逆方向に動いた。天球儀を内側から回しているみたいだ。


「これは、もしかして、過去の星空も見れるってことか?」


 でもそれだけでは足りない。結局星空は星空でしかないのだ。

 だから、だから僕は、一縷の望みをかけて星空を現在の位置から未来の方向に動かしてみることにした。過去の星空なんてわかっても意味はないけれど、未来の星がこれだけの範囲でわかるというのなら、それはもう占いというレベルを越えている。予言だ。


 薄い望みだけど、それはそれで指が震える。ゴクリと喉を鳴らしながら僕はゆっくりと指先に力を入れた。そして、


「う、うごいた……けどこれは」


 僕は眉をひそめる。


 星の軌道が、あまりにも歪だったからだ。すべてが可怪しいわけではない。むしろ大部分は自然な動きを見せた。けれど勇者の星、僕の星もハルの星も、ただ線が横にスライドするようにしか動かしてないのに、酷くぐにゃりとねじ曲がっていた。

 その星模様はとても不可解で、そして意味有げだった。どうして僕らの星だけが。僕の頭からはもう、この空間がなんなのかなんて疑問は消え失せていた。


 いつもホロスコープでするように、両手を掲げて星と星の間を伸ばすように広げる。尺度がかわり、星の微細な軌道が見えるようになった。未来の星模様を映した時点で、僕は確信していた。


 これはホロスコープだ。


 だとすれば……


「やっぱりだ!」


 指先で自分の星を動かすことができた。

 ユキの星はすでに消えてしまっている。理由はわかる。ユキの運命が終わるよりも未来に時間が進んでいるからだ。僕はゆっくりと星を現在の位置に向けてずらしていく。すると小さな靄が僕の星のすぐ近くに現れ、さらに戻すとそれはユキの星になった。この瞬間と現在の星位置と比較する。二つの時刻の間はおよそ半刻。


「もうこの戦いの勝敗がそうじゃないか」


 星の書の正体がわかったところで、気になるのは《外》の戦いだ。影に呑み込まれたときは不意にだったけれど、この星空の正体がホロスコープだとわかった今、脱出方法は明白だ。僕は瞑目し、星の書に流れ出る魔力を絞った。すると徐々に周囲が明るくなり、薄っすらと青白い空気の向うに見慣れた庭が見えてきた。


 僕は慌てて立ち上がろうとするけれど、ズルリと足を滑らせてしまう。転倒するときに、ビチャリと音を立てて僕の血が跳ねた。その赤黒く汚れた血を見て僕はようやく勇者に貫かれた傷のことを思い出した。


「治ってる……」


 患部を触る手に血はついても痛みはまったくなかった。これも星の書の力なのか。一瞬だけ疑問がよぎったが、治ったのなら今はどうでも良いことだ。


 まだ完全に魔力を断っていないから、薄っすらと青い空間のなかに星々が光って見えている。こうなると本当に巨大なホロスコープのなかにいるようだ。この力についての疑問は尽きないが、今はそれに言及している暇はない。


「二人は?!」


 星々の向うに目を凝らす。しかし見える範囲にふたりの姿はなく、戦闘音の残響が響いているだけだ。戦場はそう遠くなさそうだけど。


 ユキが、大怪我を負った僕から遠ざかるように仕向けてくれたのだろうか。これならホロスコープに集中できる。時間はあと半刻。半刻しかないが、何もできない時間じゃない。


 僕は再び焦点を星に向けた。


 ユキの星が消えない未来を探す。しかし勇者伝説はそう簡単には覆らなくて、星位置を修正して、何度も修正して、何度も何度もそのたびに星詠みをした。




「くそ!」


 四半刻は経ったろうか。ホロスコープ上でどれだけ未来を描き変えても、ユキの星が消える未来は変わらなかった。未来は固定されたものじゃない。過去は無数にあった可能性のひとつにしか過ぎないというのに、どうしてユキが生きる運命が見つからないのか。刻々と迫る期限に、僕の額には汗が滲みはじめた。


 その時だ、


「イル!」


 勇ましい声がして、上を見るとハルが慌てた様子で降下してきていた。


「ハル!」

「イル、その血は……?!」


 荒れ放題の庭を見れば戦いがあったことはわかる。降り立ったハルは血まみれの僕を見て、ことさら心配そうな顔をした。手をかそうと伸ばしてみても、血まみれの僕のどこに触れて良いのかわからないようで、何度も躊躇している。


「大丈夫、傷はもう治ってるよ」

「本当に?」

「本当だよ、もう痛みもない」


 僕は大袈裟に腕を回して見せた。


「どうしてハルはここへ?」

「城のほうで爆発が起こって、勇者の姿が人間軍のなかに見当たらなかったから! 魔王さまは?!」


 僕は遠くで鳴る爆発音の方に指をさす。その方角にハルも目を向けた。


「ユキがひとりで戦ってるんだ。だから助けてあげて欲しい。苦しいと思うけれど、ハルが戦ってくれている間に、きっと僕が打開策を見つけてみせるから!」


 この切羽詰まった状況で占星術師に何が出来るのかと、普通ならば思うだろう。けれどハルは何も言わずに頷いてくれた。語り合ったんだ。僕が道を見つけて、ハルが切り開くって。

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