血溜まりのなかで
僕たちはユキに戦うことを禁じた。ユキを守るために、今まさに仲間が戦っているというのに。誰も勇者に勝てず、もはや立ち向かえるのは魔王しかいないというのに。それでも、仲間を無駄死にさせてでも、僕たちはユキを魔王城の奥へとしまいこんでいたのだ。ユキの意志などお構いなしに。
「だ、だめだよ」
強く打った背中がまだ痛い。
「どうして?!」
ダメだユキ、そんな大声を出せば勇者に居場所が知られてしまう。
「だってユキは――」
魔王だから、と続けようとして口を閉ざす。ユキの背後から、こちらに歩いてくる勇者レイの姿が見えたからだ。僕の表情の変化と、そして視線移動に気がついたユキは背後に振り返る。そして勇者を見つけてきつく拳に力を込めた。
「わかっただろ、お前は俺には勝てないって。ほら、魔王がどこにいるか答えろよ」
まだ望みはある。この期に及んで僕を殺さない甘ったれが、心配そうに僕に駆け寄ったユキに突然危害を加えるとは思えない。ユキが魔王だとさえ知られなければ。
「わた――」「ここにはいない!」
ユキの言葉を遮る僕。僕に言葉を遮られたユキは、咎めるような視線を僕に向けた。気持ちは理解できるけど、ここで折れるわけにはいかない。僕はユキを睨み返した。僕の意図を察したユキは、悔しそうに下唇を噛んだ。そんな僕らふたりの間に割って入る勇者レイ。
「何示し合わせてるんだ。さては何か知ってるな?」
訝しげな表情を見せる勇者。沈黙は肯定と取られるだろう。しかし迂闊なことは答えられない。
「しっ、知らない! 僕らみたいな子供が魔王さまのことを知っているわけがないだろう」
僕らの見た目は、人間でいうところの十歳くらいだ。人間の基準が当たり前だと思っている勇者レイなら、勘違いしてくれるかもしれない。一度会った時からたいした変化が見られない僕と、大きく成長した自分と見比べ、よく考えればわかることだ。気づかれれば逆に怒らせてしまう結果になってしまうかもしれない。
僕の発言を吟味するように僕を見定める勇者を前に、僕の脳裏に迂闊の文字が浮かび、冷や汗が背中を伝った。
「……」
しかし、僕は賭けに勝つ。
「そう……か。まあ、そうだよな」
安心したのも束の間。次の勇者の質問によって、僕は吐きかけた息を再び呑み込んだ。
「なら、お前たちみたいな子供のお前が、どうして避難もせずにこんなところにいるんだ」
「……にっ、逃げ遅れただけだ」
「はんっ……へぇ。あのさぁ、お前があんまりにも必死だから、良いこと教えてやるよ」
……なんだ?
突然の展開。勇者の申し出の内容もまったく想像ができない。ただ、勇者の厭味な顔つきから、僕にとって好ましいことではないと悟る。
「この大きな魔王城の中で、どうして俺がここに来たと思う?」
「…………」
「それはな――――」
すこし離れたところにいた勇者が消える。そして眼前に現れた勇者の影が、僕を覆うのと、僕が喀血するのは同時だった。
「!?……カハッ」
突然吐いた血に動転する間もなく、激しい痛みに気がついた。腹部を指の腹で少し撫でる。するとドロリと鮮血が指先から付け根まにベッタリと付着した。
「な……」
動転する僕に、勇者は吐き捨てる。
「魔王の魔力は特徴的過ぎるんだよ。お前たちにとっては当たり前なのかもしれないけど、人間にとってはそりゃ恐ろしいものだろ。これはつまんねぇ嘘を吐いた報いだ」
身体から力が抜けて、僕はその場に崩れ落ちる。
「いーちゃん!」
「動くな!」
勇者が黄金の剣をユキに突き出し制止する。ユキはそれを睨みつけてピクリと眉を潜めた。ユキがこんな表情をするのか……。怖気が走るほどの憎しみがありありと見て取れた。しかしユキは勇者には構わずすぐに僕に向き直った。その表情に勇者への怒りはすでに無く、ただただ僕の身を案じるだけだ。
「いーちゃん、酷い怪我!」
僕の傍にしゃがみこんで、傷口に手を添えるユキ。
「いいから、に、にげ――!」
血を吐きながら訴えてもユキは聞く耳を持たない。ユキは瞑目すると、傷口に触れている手に魔力を集めた。そして患部が緑色の光を帯びる。治癒魔法。そんなことしてる場合じゃないのに! 勇者とて、目の前の敵が回復するのをみすみす許す道理はない。
「させるか!」
勇者の声は聞こえた。しかし姿はすでに見えなかった。かわりに目の前で光が閃き、黄金色の火花が眇めた目に焼き付いた。
「ユキ!」
僕が名を叫んだ彼女はすでに遥か頭上。その先を目で追うと、無数の剣撃が昼間の空に、星のように瞬いていた。ガンガンと頭に突き刺さる金属音に鼓膜を揺らす衝撃波が届く。僕が座り込んでいる血溜まりに波紋が打った。
「ユキ!」
だめだ、戦っちゃだめだ。
どれだけ目を凝らしてみても残像すら見えない戦場に目を背けて、僕は血溜まりのなかに浸っている鞄に手を伸ばした。
「痛ぅ!」
身体を動かすと激痛が脇腹に走る。ユキの回復魔法は途中で妨害されたために、効果はまるでない。幸い出血はすでに引いているが、動くとドクドクと溢れ出てきそうだ。ピチャピチャと鮮血を滴らせながら、僕は勇者のホロスコープを取り出そうと、赤黒く変色した肩掛け鞄を開いた。何かないか。どんなヒントでもいい。僕に出来るのは未来を占うことだけだからだ
手探りで鞄を漁るが、手にべっとりとついた血が滑って何もつかめない。ようやく指先に引っかかるものがあって、取り出すとそれは星の書だった。下になっていた方のカバーに血が染み込んで赤く染まっていた。
「星の書……」
もう僕では何もできやしない。結局こんなものがあっても意味がなかった。表紙を撫でるとザラリと金色の文字の凹凸が感じられた。
偉大な思想だった。偉大な書物だった。記した人物も偉大な占星術師だった。しかし、彼もきっとこんな最後を迎えたのだろうか。偉大な思想だけでは何も成すことができなかったと、後悔のうちに絶命してしまったのだろうか。
「……ユキ!」
朦朧とした意識の中、掠れた声で守るべき者の名を叫んだ。当然当人には聞こえない。しかし、僕の頼りない声に反応する存在があった。
「なんだ、これ」
それは星の書だ。今までどれだけ願っても何も応えてくれなかった星の書が、今は黒い影のような光を放射状に発している。やがて黒い光のなかにキラキラと光るものが見えて、それが僕の身体を包み込むように広がった。いや、僕が呑み込まれたといったほうが正しいだろう。
思わずきつく閉ざした目を、再び開くと僕は星空のなかに浮かんでいた。
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