魔王城で一番高い塔。それは占星院の星見の塔だ。この非常時、きっと誰かいるはずだ。いや、いたはずだ。その者たちがどうなったかは、火を見るより明らかだ。

 大丈夫、ユローは内壁に待機するよう命じられていたはず。


 僕が魔王城の城門をくぐると、崩れ落ちた塔の残骸があちらこちらに降り注いだ後で、みんな慌ただしく走り回っていた。

 塔の跡を掘り起こして生存者を捜索するもの、無事だった者の避難を誘導する者、瓦礫を片付けている者。そんななか、魔王城に詰めていた精鋭たちはいっそう緊張を強めていた。喧騒が飛び交うなかに、微動だにしない者たちがいる異様な光景のなかを僕は走り抜け、魔王城のユキの庭に駆け込んだ。


「ユキ!」


 いつもの場所に駆け込むと、そこにはユキの姿はなくて、僕は一瞬硬直してしまった。


「いーちゃん?」


 背後から声がして、振り向くときょとんと首を傾げたユキの姿があった。よかった、なんともなさそうだ。


「勇者の攻撃が星見の塔を直撃して」

「ええ、ここまで振動が伝わってきたわ。城ごと、ううん、街ごと攻撃するつもり、なのかな」


 街にはたくさんの人がいるのに、とユキは不安そうな顔を見せた。


「……多分、それはないと思う。強引にいくなら、直接魔王城に乗り込んでくるはずだ」


 一度見た、彼の姿を思い出す。破壊された捕虜収容所を見て酷いと嘆いていた。自分がしたことだとわかっていない馬鹿だけど、無抵抗な者を巻き込んでも心を痛めないような、血も涙もない冷血漢ではないらしい。


「そうなの?」

「一度みたことがあるんだ。ただの子供だったよ。本当にただの」

「そっか、よかったぁ」


 肩の力を抜いてほっと息を吐くユキ。良かった、じゃないだろうに。


「それで、いーちゃんは心配してきてくれたの?」


 ニヤニヤして僕の顔を覗き込むユキ。こんな事態だっていうのにまるで他人事のようだ。人間軍の目的が自分の首だと言うのに。まさかもう諦めているなんてことないよな。


「そうだよ」


 僕はおちゃらけた雰囲気のユキに咎めるような視線を向けた。慌てて目を逸し、口を尖らせるユキ。子供か!


「みんな戦ってる。ユキのために戦ってるんだ。ユキがそんなことでどうするの」

「……」


 ユキは顔を伏せたまま「だって」と口を開いた。


「だって、私、何もできなくて」


 ユキは無力なのではない。なにせもともと戦闘能力に恵まれた鬼族だし、歴代魔王さまの魔力が宿った左目を持っているのだ。全魔族のなかでも、ユキに一対一で勝てる者が、どれだけいるか。だから、ユキが何もできないと言うのは、その立場ゆえのことだ。本当は戦えるのに戦ってはいけない。それも自分の命を守るために、たとえ自軍にどれだけの犠牲がでようとも、だ。


「でも、勇者が直接ここに乗り込んできたら、ユキだって戦わなくちゃならなくなるんだからね」


 魔王が勇者と出会う時。それは伝説の再来を意味する。魔王が勇者に殺され、魔族が人間に敗北する、魔族なら誰でも知ってる二千年前の伝説だ。魔族最強クラスのユキを戦わせまいと奥にしまいこんでいるのは、少しでもその運命に抗おうという占星院の方策でもあった。




 だから、


 だから、勇者が魔王城に単身乗り込んできた時は、誰しもがもう終わりだと絶望にかられたはずだ。絶対に運命を変えてみせると誓った僕でさえ、魔王城の壁をぶち抜いて現れた勇者に言葉を失った。


 誰だ、あれ?!


 しかしすぐにその出で立ちから、侵入者が勇者であるとわかった。

 瓦礫の上から降り立つ勇者レイ。ひと目でわからなかったのは随分と大きくなっていたからだ。ユローよりも大き良いかもしれない。ロウア・デキンで彼を見てからもう四年経った。出会った頃のマリアが十五歳だったことを考えれば、なるほど十六歳なら納得できる成長ぶりだ。仕草も大人びて見える。けれどあの時と変わらないこともある。


 光り輝く雷の剣を携えているところ、燃え盛る炎のような赤髪を爆風になびかせているところ、そして大地に芽吹くレドネアの小麦畑のような黄金色の瞳だ。ただ表情はあの時とは違い、喜んでいるように見えた。


「デキンにこんな場所があったのか」


 庭の小道を歩きながら興味深そうに辺りを見渡す勇者。警戒を怠らずにゆっくりとこちらに近づいてくる。僕を見つけるとレイは、目を大きく見開いて僕に進む足を僕に向けた。


「お前、見覚えがあるぞ。確かロウア・デキンで会った――」

「……イルイベルイー」

「そう、イルベルイーだ。魔族ってのはずっとちっちゃいままなのか?」


 緊張感の欠片もない勇者レイ。僕相手じゃ、身構える必要もないってことか。

 まるで旧知の友の家に上がり込むような気軽さだ。僕の方は手汗がびっしょりだっていうのに。


「で、魔王は?」

「答えるわけないだろ」

「だろうね」

「……」「……」


 互いに沈黙するがその内容はまったく異なる。彼は話さず、僕は話せないのだ。僕の様子を窺っていた勇者は、フンと鼻で笑うと、


「死にたくなかったら逃げたほうが良いよ」


 と言い放った。一瞬、僕の足に目を落としたような。僕は思わずカッとなって、震える足を叩く。


「魔族が、魔王を残して逃げるか!」


 そして護身用に携えていた短剣を抜き放ち、勇者に飛びかかった。


「お前、あんまり強くなさそうだけど?」


 喋る暇すらあるというのか。勇者レイは剣も抜かずに手の甲で僕の短剣をいなす。そして腕を掴み上げられた僕は、そのままの勢いで地面に叩きつけられた。


「ぐっ!」

「弱いんだから大人しくしてろよ」

「殺さないんだな。何千人と魔族を殺してきたくせに」


 僕を置いて行こうとしていた足を止め、勇者レイは再び僕に向き直った。僕を見下ろす目からはさっきまで見せていた楽しげな色は消えていた。


「別に……」


 名前を教えておいたことが今になって効いてきたか。だったら、ユキが逃げる時間を少しでも稼いでおきたいところだ。


「殺せよ」

「なに?」

「殺してみろって言ってるんだっ。名前を知って殺せないっていうんなら、魔王の名前を教えてやろうか!」

「っこいつ!」


 勇者は僕の胸ぐらを掴んで持ち上げた。さらに挑発を重ねようと口を開くも、首が締まってうまく声が出せない。


「ほ、ら……やて、みろ……よ」

「ちっ! だったらァ!」


 流石に癪に障ったのか、勇者は僕を殴り飛ばした。全力ではないだろうけれど、僕にとっては今までで一番キツイ攻撃だった。

 ふっとんだ末に地面に叩きつけられても、転がる僕の勢いは衰えること無く、盛大に土煙を上げながら壁に激突する。傷だらけの血だらけで、身体のあちこちが軋むように痛い。何箇所も骨が折れているだろう。ただ、朦朧とした思考のなかで、僕は注意を勇者にも自分の身体にも向けられなかった。


「ど、どう、して……!」


 逃げたはずじゃ……。


「だって」

「どうして、逃げなかったんだ……!」


 ユキ!


「私も戦う。私の運命だから!」

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