開戦

 内壁の上から市街地を見下ろす。王都を守る二重の壁のうち、外側の壁のさらに向こう側に人間軍の野営の灯りを見た。


 魔王軍、最初の策は夜襲だ。みんな長い行軍で疲れているだろう、そこを襲う。勇者とて人間、睡眠は取らなくてはならない。そして今夜を逃せば、恐らくもう二度と夜襲の機会は巡ってこないだろう。

 城壁の上から下を覗けば、暗闇のなかをぞろぞろと数多の影が蠢いていた。声を出さず、息も殺して中央広場から続く大通りに大軍が集結する。重い音がする都市門を半刻ほどかけてゆっくりと開き、また半刻かけて軍勢を城外に布陣させた。


 三千人の襲撃部隊が闇夜に紛れていく。彼らの使命は三つある。百万の軍勢を出来る限り減らすこと。休息を取らせないこと。そして絶対に生きて帰ってくることだ。どんな雑兵でも無駄な血は流せない。だからこそ今回の襲撃に選ばれたのは十二氏族の精鋭ばかりである。




「始まったぞ!」


 誰かが叫んだ。指を指す方に目を向けると、藍色の星空が赤く燃えていた。「おお!」と歓声が上がるが、後方を担当する指揮官は冷静だった。


「感心してないで、さっさと帰還を受け入れる準備をしろ!」

「は、はいい!」


 尻を叩かれた兵士たちは慌てて地上へ下りる階段を走っていった。そんな彼らを尻目に僕は戦場を見据える。あの中にはハルもいるらしい。この戦いが終わったらユキに紹介しよう。いずれ騎士になるにしても、最初がなければ何も始まらないから。だから生きて帰ってこい!



 ドオン、ドオンとドラゴンの咆哮のような爆発音が鳴り響く。ときおり火柱が立ち上ったと思ったら眩い閃光が地平線に走る。空が明るくなるたびに下から歓声が沸き起こった。勇者のものかもしれないというのに。


 やがて夜に暗闇が戻ったころ、ちらほらと城外に人影が見え始めた。僕は城壁上から身を乗り出してハルを探した。暗闇の中だけど、目を凝らせばなんとか見える。いない、まだ帰ってこないと、逸る気持ちを押さえて、外の様子を窺う。


「見つけた! ハル!」


 僕の声に顔を上げたハルは嬉しそうに手を振ってみせた。良かった、怪我はないようだ。



「ハル、よく無事で! 勇者に動きはなかったの?」

「うん、どうしてかわからないけれど、お陰でみんな無事だよ」

「よかった」


 夜襲なんてあればすぐにでも飛んできそうなものだけれど、まさか同行してないなんてことありえないし、お腹でも壊してた?


「もうちょっと粘りたかったんだけどな」

「十分だよ。功を焦っても良いことはないよ」

「そうだね」



 ハルは、負け続けだった魔王軍にようやく初勝利をもたらすことができて、安堵しているようにも見えた。他の部隊員たちも同じだ。勇者の反撃がなかったとはいえ、まともな戦果を挙げられたことは、事実喜ばしいことだと話していた。

 僕は思う。武闘派の氏族が懸命に戦ってくれたから、僕はメルテを助けることができたし、そのメルテはユキの庭師になった。メルテが持ち込んだレドネアの園芸技術は、デキンの未来を明るく照らすもになるかもしれない。

 僕がレドネアの星図を描き写してデキンに無事持ち込めたのも、ハルたちが命をかけて戦ってくれたからだ。戦果を出せていないのは僕のほうなんだ。


 そう思うと暗い気分になってきた。



 次の戦闘は夜明けと同時だ。さすがにそろそろ勇者がでてくるだろう。だから遠距離から責める。

 巨人族の投石と、攻撃魔法による魔法、物理の二重砲撃。とても普通の人間では対処できない。一方的に攻撃されることになる人間軍が、防衛に勇者を使うならばしめたもの。そうでないなら、こちらも腹を括るしかない。だからある意味これは賭けだった。


 東の空が白み始め、百万の軍勢がそのシルエットを露わにした。城壁上に並んだ天狗族や竜人族、下に列をなして砲撃の合図を待っている巨人族も、人間軍のその尋常ではない多さに城壁上のみんなが口を閉ざした。

 遠くの尾根から光が差しはじめたころ、王都に怒号が飛んだ。


「放て!」


 号令とともに巨人族が自分の頭蓋ほどもある岩を持ち上げ、唸り声を上げて丘向こうに投擲する。すでに翼人族によって観測は済ませてある。正確な投擲は人間軍の陣に着弾。城壁上からは小高い丘越しに、人間が吹っ飛んでいる様子が見えた。

 さらに頭上に展開した天狗族や竜人族からは、様々な属性の魔法が横殴りの豪雨のように人間軍に向けて発せられた。

 敵の阿鼻叫喚が届き、周囲には笑顔が見られはじめた時、戦況が大きく動いた。


 ドォン!


 王都を外敵から守る役目を果たす巨大で分厚い外壁が揺れた。違う、揺れたのは地面だ。壁上にいた僕らだけではなく、下の巨人族たちもよろめいている。誰もが思い至る。勇者が動いたのだ、と。ただ何が起こったかまではわからなかった。城壁上にいた僕でさえわからなかったのだ。しかし否応なしに緊張は走る。誰もが本能的に身構え、攻勢を忘れ、受け身に入った瞬間、何度見ただろうか、あの光が僕らを呑み込んだ。


 全身が燃えるように発熱する。そしてあのときと同じように腕から火が出た。僕は腕だったけれど隣の妖狐族は顔が発火している。火を消そうと必死に顔を掻き毟っていた。

 そして到来する爆風。


「!!!」


 声を出すことすらできずに僕は吹き飛ばされてしまった。僕と同じように身体の小さな者は吹き飛ばされたが、壁を背にしていた者や、巨人族は光に身を晒し続けることになってしまった。僕が倒壊した壁の瓦礫の上で顔をあげると、彼らの断末魔の残響が彼方で響いていた。


 防戦を強いるか、勇者が攻勢にでるにも、人間側の犠牲と引き換えにさせるつもりだった。その目論見がただの一撃でパーだ!

 勇者の戦いを直接見ていないとはいえ、枢密院の勇者への評価はけして低くない。上がってきた報告を真摯に受け止めて今回の作戦を立てたのだ。それなのに。


 ボコリと、体の上にのしかかった瓦礫をどかす。手を伸ばした先に、焦げ目の境界線があって、その向こう側に悍ましい光景が広がっていた。最初の戦いの時と同じだ。あの時の生存率はどれくらいだっただろう。


「げほっ、げほっ、ほ、報告しないと」


 地面に手をついて立ち上がり、崩壊した外壁に背を向けて魔王城へ走ろうと足を踏み出したその時、僕の背後、つまり人間軍の陣営から差し込んだ光によって、魔王城の一番高い塔が破壊された。


 中腹からポッキリと折れた塔は、魔王城に落ちる。

 やつが来る。

 僕はヒャクライさまのもとへ向かおうとしていた足を、ユキに向けて走り出した。

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