急転直下
寮に戻った僕は、今まで集めた資料を使って、勇者のホロスコープのまとめをすることにした。正確性を増したユキのホロスコープや、レドネアで描き写した何枚もの星図、他にも、僕がレドネアに行っている間にユローに頼んでおいたその間のデキンの星模様がある。
結局レドネアでは勇者の周囲を調べることができなかった。レドネアの星図をたくさん得られたのは大きいけれど、正直それだけではあまり大きな進歩は見込めないだろう。だから僕は焦っていた。一年なんて、もたもたしていたらあっという間に過ぎ去ってしまう時間だ。
しかし、こればっかりは近道はない。足りない資料は書庫から引っ張り出してきて書物を読み漁った。
僕は焦っていた。
いつまで経っても完成する兆しの見えない作業、そして、完成しても効果的に使うことができるかどうかわからないからだ。
マリアやミレイの運命ほど、勇者と魔王の運命は曖昧ではない。逆に言うと素材さえ集まってしまえばかなりの精度で占うことができるのだけれど、未来を知ったとしても、その強固な運命は生半可なことではかえられない。
時間は無慈悲にも過ぎ去っていく。無慈悲だと感じるのは、僕がまだなんの成果もあげられていないからだ。たくさんの星が描かれている勇者のホロスコープだけど、良く出来ているのは見かけだけ。本当に大切なところはわかってはいない。こんなんじゃ運命を打開する星詠みなんてできやしない。しかし、僕の焦りなどお構いなしに与えられた猶予は終わりを迎えたのだった。つまり、人間のデキン侵攻。
ロウア・デキンから侵攻した人間軍は、王都へルート上にある集落への略奪を繰り返しながら、着々と迫っているそうだ。
報告を受けた王都は騒然となった。
人間がデキンへ攻め入ることは、占星院の占いによりすでにわかっていたことだが、驚いたのはその数だった。およそ百万。踏み潰しても踏み潰してもキリがない。王都には、この時のために集められた魔王軍が待機している。だから人間軍が軍隊だけならなんとかなった。しかし、人間軍の後ろ、いや前には勇者がいる。勇者は魔王を殺しに来るが、魔王軍が人間を襲えば人間を守るように動くだろう。
レイの姿を思い起こす。脳裏に浮かぶ勇者像は、愚かで甘いただの子供だ。
城壁上から見据える地平線。赤茶けた丘陵がやがて黒く塗りつぶされ、そこから溢れるように夥しい量の軍勢が魔王城に向かって進軍してきた。大地を踏み鳴らす音は空を歪ませた。逆光で影を落とした黒の軍勢はさながら地獄の使者だ。
魔王城では枢密院と占星院を召集、急遽軍議が開かれた。しかし、その場には魔王軍の最後の砦であるユキは呼ばれなかった。というか、立ち会いを許されなかった。
「では、見せてもらおうか」
十名の諮問官を前に僕は勇者のホロスコープを鞄から取り出した。
「あの、まだ完成には――」
「かまわぬ。資料不足なんだろう」
「はい……」
結局、勇者のホロスコープは完成しなかった。状況が厳しいことは占星院の老師たちも理解してくれていたらしく、嫌な顔はされなかった。対照的に枢密院の面々からは訝しげな視線を感じた。
「それで、如何に」
眉間にしわを寄せたヒャクライさまがドスの聞いた声で急かした。
「展開します」
テーブルの上に乗せたホロスコープを起動させる。青白い光が部屋に満たされ、同時に感嘆の声を上げた占星院の老人たちが立ち上がった。
「おお!」「これは……」
テーブル上に広げられた立体星図を嬉しそうに眺める占星術師たち。ゴゴンとことさらわざとらしい咳払いがヒャクライさまから飛んだ。
「こ、こほん。では改めて始めましょう」
「お願いします」
僕よりも経験も実績もある老人たちに作品を弄くられてとても恐縮だが、頼もしくもある。自分では及びもつかないくらい正確な星詠みをしてくれるはずだ。新しい価値観を取り入れることは苦手でも、すでにあるホロスコープから運命を読み解くのは誰よりも優れている彼らだ。
未完成なホロスコープに悪戦苦闘しつつ、討論を繰り広げる。一応ほとんどは理解できたが、深い部分はわからないこともあった。門外漢の枢密院の方々には、なお意味不明なことだろう。
とはいえ時間がないことは老人たちも知っている。議論は四半刻ほどで終わった。
星詠みが終われば次はそれを元にした軍議だ。僕も、軍議には立ち会うことは許されず、ホロスコープを手渡されると会議室を追い出されてしまった。僕の立場も、軍議という会議も、本来そうあるべきものなので納得できるが、状況が状況だけに大人たちが悪巧みをしているのだと邪推してしまう。一介の占星術師の僕ならまだしも、魔王であるユキですら呼ばれないなんて可怪しい。そりゃ、まだ未熟な子供魔王だけどさ。
一応、扉に聞き耳を立ててみたけれど、盗聴防止の魔法が敷かれたみたいで、誰の声も聞こえやしなかった。
僕はユキの庭を訪れる。
「とうとう来たんだね」
「そうだね」
シロツメクサの花畑にユキはいた。僕が人間軍の襲来を告げると、ユキは庭師のメルテを呼んだ。
「お呼びでしょうか、魔王陛下」
「おいで、メルテ」
ユキが手招きすると、メルテは恐縮そうに目を泳がせた。戸惑うメルテに、ユキは優しく微笑って傍に座るように促した。
「いいの。大切な話があるから」
メルテも随分と大きくなって、今ではユキよりもお姉さんに見える。土埃で汚れた服を慌てて払ってメルテは、恐る恐るシロツメクサの上に座った。
「あのねメルテ、驚かないで落ち着いて聞いてね」
「は、はい」
ゴクリと喉を鳴らしたのはメルテだ。単なる庭師が魔王から直々に言葉をもらうのだ、緊張しないはずがない。
「あのねメルテ。今この王都に、人間の軍隊が攻めてきてるの。だからね、貴女はメイドたちと一緒に地下室に逃げていてほしいの」
それはメルテにとって思いがけないことだったようだ。目を大きく見開くメルテ。しかし眉はハの字に下がり、彼女にとって喜ばしいことではないと告げていた。
気持ちはわかる。マリアに匿われていた時、僕も感じていたことだ。
「今回の人間軍の侵攻はメルテとはまったく関係ないから。メルテの種族がたまたま人間だったってだけだで、メルテが居心地の悪さを感じることなんてない」
「でも……」
メルテは自分の意志でデキンで生きると決めた。できればその意志は尊重したいけれど、魔族に組みしたと思われれば、捕まった時、酷い扱いを受けるかもしれない。そんな想定をしないといけないくらい、正直今回は厳しい。
「もしも人間軍に保護されることがあれば、迷わず彼らの手をとりなさい。デキンで暮らすことを選んだ時は、魔族に洗脳されていたのだと言えばきっと大丈夫だから」
「私、そんな酷い嘘吐けません。それに、私には魔王さまのお庭を手入れする仕事がありますし、魔王さまの夢だって――」
「――っ」
デキンを緑溢れる場所にする。ユキが庭を作る理由だ。魔力がなければ緑を維持できなかったところを、メルテが来たことで随分と魔力に頼らなくて済むようになった。まだまだメルテの力が必要だろう。けれど、
「それでも死んじゃあなんにもならないだろう」
「……」
「あのね、魔王城も大変なことになるかもしれないの。メルテを護ってあげられないかもしれない」
「そんな……」
心配させたくなかったから言おうか悩んだことだ。けれどそうも言っていられいない、か。
「メルテ、僕と行こう。メイドたちが待ってる」
「……はい」
僕の手を取って立ち上がるメルテ。
「じゃあ、行ってきます」
「はい。いってらっしゃい」
いつもと変わらない笑顔を見せてくれるユキ。絶対に殺させやしない。星詠み卿になったからじゃない。誓いを立てたのはもっと前だ。
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