「私たちにあなた方を責める資格はありませんよ」
「もう行ってしまうの?」
魔族の襲撃があった翌日には僕らは出発することにした。玄関先、マリアが心配そうに言葉をかけ、ミレイは名残惜しそうな顔をしている。
「ああ、ミレイの星が輝きを繋ぎ止めたから。もう大丈夫だと思う」
何も心配することはないと言うと、「そういう意味じゃないんだけどね」と言われた。いずれにせよ、ずっとここにいるわけにはいかない。
「もう、ここには来ないのよね」
「どうだろうね。占いではそういう予定はでなかったね」
昨晩、天狗族と人狼族を討伐してから、僕はもう一度星見を行った。ミレイの星の状態を確かめるためだ。マリアに伝えた通り、ミレイの星はずっと未来まで輝き続けた。未来になればなるほど占いの結果は曖昧なものになるけれど、少なくとも昨日僕が占った範囲では、マリヤやミレイの星と、僕の星が交わることはなかったのだ。
「そう。じゃあ、元気でね。ハルちゃんも」
そのセリフを敵側の僕たちに言うのもどうかと思う。僕とハルは少し苦い顔をして、それでも深く頷いた。
「そっちも」「おふたりともお元気で。本当にありがとうございました」
道すがら、マリアとミレイが持たせてくれたお弁当を食べた。
「これからどうするの?」
「前にレドネアに飛ばされた時、人魚族の助力があって帰ってこられたんだ。だから今回も助けてもらえたらなって。なんにせよ海に出ないと戻れないから東に向かってる」
ほどなくして海に辿り着く。そこからさらに北上してロウア・デキンに向かって歩いた。あの時に助けてくれた人魚族の男のひとはまだいるだろうか。「ここに居るのが役目だ」みたいなことを言っていたけれど。
ロウア・デキンの警戒範囲が近いのか、見回り中の二人の兵士の姿が遠くの崖の上に見えた。僕らは慌てて近くに岩場に隠れた。三年前はおざなりな警戒だったけれど、今回はかなり緊張感をもって仕事に当たっているようだ。こちらとしては迷惑な話だが、そこから得られる情報もある。
すでに何人かの魔族がここを通った、通ろうとしたか、もしくは勇者が不在か。できれば後者であって欲しい。なんとか兵士の警戒をやり過ごし、僕とハルはまた歩きだす。
「あの兵士たちがいる崖の下にいたんだ」
「人魚族の男?」
「そう」
崖下に辿り着く。しかしそこにはいつぞやの牡牛の姿はなかった。僕がガクリと肩を落とすと、唐突に背後から声をかけられた。
「もしや貴方さまは、イルベルイーさまでございますでしょうか」
聞き覚えのある声に、僕は弾むように振り向いた。
「貴方はっ」
振り向いた先、小さな砂場にいたのは、やはり一頭のお牛だった。
「お久しぶりです、イルベルイーさま」
「本当に、お久しぶりです」
「ご用件は承知しております」
僕が何かを言う前に、牡牛は水に口を浸けてぶくぶくする。まるでこうなることがわかっていたみたいだ。というか、予想はしていたんだろう。きっと彼の占いには、ここにいて、来るものを助けろとあるに違いない。
「しかしよくご無事でしたね」
水から口を話した牡牛は感心した口ぶりで言った。
「……助けてくれた人がいるんです」
僕の一瞬の躊躇に事情を察した牡牛は、意味ありげに頷いた。
「ああ、人間に助けられましたか?」
ギクリとした。反射的にハルが身構えたけれど、その緊張感のなかで牡牛は平然とした様子だ。
「黙っていてくれますか?」
僕がそう言うと牡牛は、
「私たちにあなた方を責める資格はありませんよ」
と、自嘲気味に首を振った。人魚族も人間と関わりを持っているのだろうか。
「お恥ずかしいことですが、私どものなかには、人間に魅せられる者もおりまして……」
「人間だから敵だと断ずるのは短絡的だとは思います」
「そう言っていただけて幸いです」
彼らは魔族でも唯一、デキンの大地に縛られない存在である。海に棲んでいれば、それは人間との交流も増えよう。氏族全体としては魔族に与していても、人間と懇意にする個人がでてくるのはありえないはなしではない。そしてそれに対して、僕らに彼らを咎める権利はない。彼らが自らをそう断じたのと同じだ。
他愛もない話をしているうちに、ふたりの人魚族が海面から顔を出した。
「お待たせしました、族長さま」「ただいま参りました」
ひとりは見覚えがある。ゲヘナコだ。
ゲヘナコの背中にしがみついて牡牛のいる海岸を離れる。海に潜る前にゲヘナコは、僕に言葉をかける。
「……イルベルイーさま、申し訳ございませんでした」
沈み込むような重い口調で発せられた言葉は贖罪だった。
「なにがですか?」
身に覚えがないので聞き返す。
「しばらく前に、海岸で私の名を叫ばれていたのを、私は知っていたのです」
「……ああ」
マリアに拾われた浜辺だ。意識を失う前、確かに僕はゲヘナコに助けを求めて彼女の名前を叫んだ。そして彼女が来ることはなかった。それはもちろん近くにいてなくて僕の声が届いていないからだと思っていたけれど、そうではなかったようだ。応じなかったことに罪悪感を感じているのなら、彼女の行動原理は明白だ。
「氏族に言い渡された星詠みに、今じゃないって書いてあったとか?」
ゲヘナコは目を点にして肩越しに僕を見た。
「どうしてわかったんですか!?」
「だって、そりゃあ僕は占星術師だから」
青い海を離れ、赤い海へと帰る。デキンの浜辺を踏んだ僕とハルは、張り詰めていた糸が切れるようにその場にへたり込んだ。マリアの家で疲れは取れたと思ったのだけれど、どれだけご飯が美味しくても、ふかふかの寝台で寝られても、あの場所が敵地の真ん中だということに変わりはなかったらしい。
デキンの浜辺から王都まではひたすら荒野を歩いた。三年前、ひとりでこの道を歩いた時は、時折魔物に襲われることがあった。この辺りには僕でも対処できる程度の魔物しかいないのでなんとかなったのだけれど、今回は道中、僕らを襲う魔物は一匹もいなかった。珍しいこともあるものだとハルに話したら、ハルはこれまで魔物に襲われたことがないと言った。野生の勘というものは凄まじいと瞠目した。
王都に戻った僕は、最初に占星院に出向いた。ユローに、戦争がどうなったのかを聞くためだ。
「おかえりなさい! イルベルイーさま!」
僕の顔を見るやいなやユローは、涙ぐむ笑顔で僕の名を呼んだ。
「ただいま、ユロー。こっちはかわりなかった?」
「ええ。けれど私たち占星院は大忙しでしたよ。重要人物の星の動向をずっと追い続けていましたから。もちろん、イルベルイーさまのも」
「そうだったんだ。それで戦争はどうなったの? 勇者に壊滅させられたのは知っているけど、撤退は? 結局どれくらい生き残ったの?」
「……上陸拠点を勇者に叩かれ、その時、ほとんどの船を失ったそうです。飛べる氏族はなんとか脱出できましたが、そうでない氏族は……」
「そう……」
「それと、いずれ陛下と枢密院にも報告が上がりますが、今回の魔族の遠征を受けて、人間はデキンへの侵攻を決断するようです」
ユローの言葉を聞いた時、僕は頭から血が引いていくのを感じた。
「それって、一年後?」
「侵攻が開始されるのはそれよりももう少し早いです。何らかの理由があって勇者が戦列を離れ、単独で先行してくるだろうと」
すでにユキの未来があと一年しかないということは、占星院、枢密院、そしてユキ自身も知っていることだ。
本当はわかっていた。
魔王城から出ることのないユキの未来が途絶えるということは、勇者がこの魔王城に乗り込んでくるということだ。
わかっていたつもりだったが、ユローに言葉にされるまで、まるで現実味を感じられなかった。
今はどうだ。
「大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが……」
「う、うん、大丈夫」
急がなくちゃ。
勇者のホロスコープを完成させる。諮問機関へ提出するためじゃない。滅びの運命を変えるために、僕に出来るのはそれしかないのだから。
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