三年間で変わったもの
三度目の侵攻は海峡を渡る。竜人族と翼人族、それと天狗族以外は空を飛ぶことができないので、残りは海路となる。しかしデキンには木が少ないので船の建造が困難だ。デキンに点在する枯れた森からなんとか木材をかき集めて、急遽整備した造船所で船を作り始めた。魔族が船を作るなんて聞いたことがないと思っていたら、案の定、初めての試みだったようで苦戦続きだったらしい。人魚族が人間の漁船を捕獲してきてからは、それを研究してかなり捗ったようだ。ただ、材料が少ないので数を揃えるにはかなりの時間を必要とした。
平和とは次の戦争までの準備期間である。三年が経ち、ようやく攻撃の目処がたった。
三年の間に変わったことといえば、ユローが塾を卒業して占星院に上がったことだ。もともと先生からはさっさと院に上がれと言われるくらいの実績はあったのだけれど、彼は僕に合わせて塾に残ってくれていた。だから僕が占星院に上がった三年前にユローもそうするのが一番良かったのだけれど、あの頃は塾の先生たちも占星院の評価委員会も大慌てだったから、特例で卒業できた僕以外は、みんな認定を受けられずにいたのだ。それがようやく今回、卒業の申請が通って占星院に進むことができた。
三年間で変わったこと。メルテが成長した。三年前は僕よりも背が低かったけど今は同じくらいだ。いつも庭で一緒にいるユキと比べると、もうユキの方が年下に見えてくる。たしか十一歳だったか。メルテの成長は身長だけに留まらない。言葉遣いや作法も先輩のメイドたちに教え込まれて随分上達したし、庭師の仕事だってかなり熟練したようでユキがすごく助かってると言っていた。
「やあ、メルテ」
ユキの庭に入ると、扉のすぐ近くの区画でメルテが土いじりをしていた。僕に気づいていない様子の彼女の丸い背中に声をかけると、
「わぁ!?」
と跳ね上がるように背筋をピンと伸ばして驚いた。
「イ、イルベルイーさま!」
ユローが教えた様付けだけど、結局その判断は正しかったといまさら思う。この城で働くのなら、いずれ覚えなければならないことだったから。
「ごくろうさま。ユキはいる?」
「はい、先ほど八重桜の木の下でお見かけしました」
「そう、ありがとう」
三年間で変わったこと。この庭に張り巡らされていた補助魔法が減ったこと。まだ大部分が残っているけれど、少しずつ減らしているらしい。
「ここも随分変わったね」
僕が目の前に広がる庭を見渡すと、メルテも立ち上がって僕の視線を追うように周囲を見渡した。
「魔法でいろんな花を集められるのはすごいことですど、デキンをレドネアのようにするには、そこに頼らない方法も必要だと思ったんです」
「うん。ユキがメルテに叱られたって言ってた」
「そんな、怒ってなんてっ――」
茶化すよに話すと、メルテが慌てて首を振った。
「ははっ、わかってる。でもユキから理由を聞いた時、僕もメルテの言うとおりだと思ったよ。確かに、山にしか咲かない花があったり、暖かいところでしか育たない木があるものね」
「はい。そういう草木自身がもつ特徴を大切にしてあげたほうが良いと思うんです」
「そうだね」
メルテと別れて僕は庭の奥へと進んだ。メルテが言っていた八重桜の木は庭でも奥の方にある。薄紅色の八重桜は何本かがまとまって植えられているため、遠くからでもよく目立つ。牡丹のような大ぶりの花が葡萄のような密度で狂い咲いている。あれでよく枝がしならないなと感心するくらい堂々とした姿で、いささかやり過ぎな感も否めないほどだ。花のひとつひとつは可愛らしいのに、一歩離れて気を見ると恐ろしさすら感じられる。
「ちょっと派手すぎない?」
木の下で八重桜を見上げているユキに、僕も見上げながら話しかける。
「これはこれで可愛いよ」
「そうかな」
「そうなの」
桜を眺める鬼の少女。彼女の横顔をチラリと窺う。言いづらいなぁ……。
僕が今日この庭を訪れたのは、また戦場に赴くことを伝えるためだ。上からの指示もあって勇者のホロスコープを作成していた僕だけど、もうずっと行き詰まっていてろくな結果を出せていない。ひと月やふた月で済むものではないと覚悟はしていたけれど、それでも途方もない作業を地道にこなすにも限界がある。もう三年が経って、運命まであと一年余り。もはや悠長なことはしていられない。
「――そんな、だって大切なお仕事を請け負っているのだから、兵役は免除されているんでしょう?!」
先日、発表された三度目の侵攻に参加すると告げると、ユキは動揺のあまり一瞬身体をグラリと傾がせた。
「材料が圧倒的に足りないんだ。デキンで得られる星図だけじゃどう考えても間に合わない。それに次の侵攻は南の海峡を渡るらしいんだ。だからきっとまたレドネアに行ける。レドネアに着いたらこっちのものさ!」
軍団を抜け出して森にでも入ればそうそう見つからないだろう。あの豊かな森なら、食料の心配はない。
「……でも」
「大丈夫だよ! 僕の星は占える範囲ではまだ消えないんだ」
勇者と対峙する可能性がある以上、過信は禁物だけど、これでユキが安心できるなら安いものだ。
「……」
安い言葉では効果が薄いのか、ユキの表情はなかなか晴れてくれない。前回のことが相当尾を引いているらしい。
これ以上かける言葉が見つからなくて、開きかけた口を僕は二度も閉じた。もう安易な言葉に頼るのはよそう。
浅く息を吐いた僕は、あやすようにユキの頭を撫でるのだけれど、彼女はいつもみたく猫のように頭をすり寄せてはこない。伏し目がちに俯いているだけだ。そんな彼女の小さな頭にぽんぽんと手を乗せて僕は、
「戻ってくるから」
と、言い聞かせたのだった。
今回僕は、一兵士として従軍するわけではない。あくまでも占星術師の仕事として、たまたま都合が良いから軍と行動をともにするだけだ。占星院からは従軍占星術師として三名が配置されているけれど、それとも無関係。だから白羊族の部隊とはまったく別の場所で展開している竜人族の集団に紛れ込んでいてもまったく問題はないわけで。そして竜人族に囲まれて僕がいったい何をしているのかというと、三年も会っていないハルヤートを探しているのだ。
「星は消えていないし、大きな動きもなさそうだからこのなかにいると思うんだけど……」
竜人族は白羊族よりも背が高い。そうでなくても僕は子供で、巨木のような人混みのなかで同じく子供であるハルを探すのは一苦労だ。と、思っていたら突然背後から聞き知った声に名前を呼ばれて、振り返るとハルが息を弾ませて立っていた。
「イル! こんなところで何してるの? 白羊族はもっと向うだよ」
久しぶりに見たハルの顔はあまり変わっていなくて、そのことが自分でもびっくりするくらい安心した。
「ハル?」
「あ、いや、ごめん」
星の輝きからハルがまだ生きているということは知っていたけど、実際に顔を合わせてその無事を確認できることが、こんなにも心を綻ばせるものだとは思わなかったんだ。思わず気が抜けたせいで溢れた涙を拭って、僕は言葉を続けた。
「いいんだ。僕はもう兵役は免除されているから。ただ、今回は事情があって参加してるだけ。隊列に加わらくていいみたいだったからハルを探しに来たんだ」
「そうなんだ! 一人前の占星術師になったんだね。おめでとう!」
「ありがとう」
「事情って、仕事?」
「そうだね」
「ひゃー、大変だ」
「ははっ、勇者と直接戦うハルよりマシだよ。あ、動き出したね」
動き出した部隊に追随しながらハルとお喋りしていると、他の竜人族の人たちに睨まれてしまった。なので僕らは部隊から少し離れた場所で歩くことにした。行軍中は部隊の近くにさえいれば、そこまで煩く言われない。
僕らは二度目の侵攻から今までにあったことを互いに語りあった。二度の実戦を最前線で戦い生き残ったハルは、なんと祖父から時期族長に指名されたそうだ。一人前の戦士になるための伝統的な儀式を終えたら、即襲名することになっているらしい。ただ、僕が「すごい!」と声を上げても、ハルは「うん……」と、なんとも歯切れの悪い返事が返ってきた。父親が亡くなってしまったから繰り上がったのだと考えると、確かに複雑な気持ちになるだろう。
負け続けの僕らにとって、楽しい話題を多く見つけるのは難しいことだった。けれどせっかくの友達との再会を葬式気分でぶち壊しにしたくない。だからなんとか色々考えてみたりして、探してみたりして、それでもついに話題が尽きて、遠くに浮かぶ雲の形にすら手を付けだした頃、岩だらけの地平線が真っ赤な水平線にかわった。
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