魔王陛下の小さな庭師
あらためてユキの庭に入る。ユローと、着飾ったメルテが一緒だ。メイドは準備があるからと言ってどこかへ行ってしまった。
「確か、アマリリスの咲く区画でって話。もうすぐそこだから、ここで待ってて」
ユローとメルテにはいったん待ってもらい、僕はユキを探した。紅いアマリリスを横手に通路をまっすぐ進むと、オリーブの白い花の下にユキの姿を見つけた。
「ごめん、待たせたね」
振り向いたユキはイタズラに微笑った。
「コーディに叱られたって」
コーディというのはさっきのメイドのことだ。とにかく怒ってないようで良かったけれど、バツが悪いのはどうしようもない。
「と、とにかく連れてきたから会ってあげて欲しい」
「人間なんだよね」
「そうだね。前に伝えた通り。今は……着飾ってるけど、メルテは庶民で、見た目よりもずっと幼いから吃驚することもあるかもしれない」
「ふうん……」
あまりピンとこないようなのでさっそく会ってもらおう。百聞は一見にしかずだ。
「向こうに場所を用意してあるわ」
ユキの視線を追うと、この彩り華やかな庭にピッタリの白いテーブルセットが運び込まれていた。
「……わかった。座って待ってて」
ふたりのところに戻った僕は、準備が整ったことを告げる。メルテが緊張をいっそう高めたけれど、こればかりは仕方がない。作法はユローが教えてくれているはずだし、なんとかなるだろう。緊張しながらも背筋をピンと伸ばしているメルテを見るとそう思えた。
「じゃあ、行こうか」
小道から芝生に入る。背の低い薔薇の生け垣から、ユキの小さな帽子が見えた。
人間たちにとって魔王とはどんな存在なのだろう。伝説ではどのように描かれているのだろう。畏怖? 憎悪? ロウア・デキンに滞在していたメルテなら、耳が痛くなるくらい聞かされただろう。魔王陛下に引き合わせると言った時に見せた緊張からも想像にかたくない。まさか、純白のドレスを身に纏い小さな帽子をちょこんと頭に乗せた可憐な少女だとは思うまい。女の子だとは事前に伝えてはいたものの、実物は想像を遥かに超えていたようで、白いアンティークな椅子に腰掛けるユキを見るなり、メルテは目を丸くして静止してしまった。胸が動いていない。息をするのも忘れているようだ。
「メルテ?」
ユローの声に我に返ったメルテは、せっかく張っていた背中を丸めて俯き加減に歩を進めた。すっか萎縮してしまっている。
そして所定の場所で立ち止まり、その場で跪く。最初に僕が口を開いた。
「魔王陛下、この度は面会希望にお応え頂きまことにありがとう存じます」
「よく来ました。イルベルイー、顔を上げることを許可します」
「はっ」
「レドネアからの帰還に際して多大な功績を上げたとか。大義でした」
「恐縮です」
こんな大仰なやり取りいつ以来だろうか。ユキも同じことを考えていたようで、僕と視線を交わしながら彼女は照れくさそうに笑った。
「それで、今日はどのような用件ですか?」
僕はメルテを指して答える。
「はい。この者、メルテと申しまして、先日カララクール家に保護された人間にございます。彼女はデキンで生きることを望んでおますが、まだ幼い故、そして生まれが故に働ける場所を見つけられずにいるのです。このような雑事、陛下のお耳にお入れするべきではないと存じておりますが、何卒お力添えを賜りたく参上いたしました」
「そうですか。ではメルテ、顔を上げなさい」
ついに来た! と、メルテの肩がビクリと震えた。そして恐る恐る顔を上げた。悲壮感たっぷりのメルテににっこりと笑みを見せたユキは、優しい口調で問いかけた。
「メルテ、貴女はここに来る前は何をしていましたか?」
「わ、っ、わたしはっ、お母さんのお手伝いで、畑でおやさいを作ってました。お城に来てからは、おりょうりやおそうじを手伝ってました」
「お城?」
「恐らく、ロウア・デキンのことかと」
メルテの話を聞く前は、僕も見習いメイドになれればと思っていた。けれどメルテにはもっと相応しい仕事があった。
「陛下、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「私が見たレドネアは、伝説に違わぬ緑豊かな場所でした。大地は農耕にも適しており、人々は仕事以外にも庭で花やハーブなどを育てていたのです。私が保護を受けた姉妹がそうでした。メルテの話によると、彼女の家庭も同じように庭で草花を育てていたようなのです。ですので、彼女を庭師としてお雇いになられてはどうかと愚考いまします」
ただ、彼女の――レドネアのやりかたは補助魔法を一切必要としないので、僕たちの常識とは大きな食い違いがあるだろう。まずそこから擦り合わせなければならない。それに庭師といってもメルテの小さな体では限界がある。人間は魔族とは違い虚弱なのだ。とはいえ、メルテの知識や経験はユキの役に立つはず。
「なるほど……」
ユキはメルテを見た。
「はいっ!」
威勢良く返事をするメルテ。そんなこんなで魔王陛下の小さな庭師の誕生である。
「では、私どももこれで失礼いたしますね」
「ありがとう、コーディ」
ユローとメルテが庭から退出した後、メイドたちがいそいそとお茶やお菓子を運び込み、準備が終わると足早に出ていった。
「この庭で茶会をするのは初めてだね」
ユキとメイドたちの後ろ姿を見送った僕は、用意された椅子に座ってカップに口をつけた。
「あちっ!」
「ふふっ、ふふふ」
むう……。
「少し、むずむずしたね」
ふたりの間では使わない言葉遣いを使ったことを言っているのだろう。そういえば面会の最中に照れ笑いをしていた。
「そうだね」
「そういえば、占星塾を卒業したって」
「あー……うん」
裏にある事情を思い出して僕は少し複雑な気分になる。その心境からでる返事は、どうもはっきりしないものになってしまって、そのせいでユキの祝の言葉も語尾にハテナマークがついてしまった。
「おめでとう……?」
とはいえ、星の書の所持と勇者のホロスコープの作成を認められたことは喜ばしいことだ。
「うん、ありがとう」
「……あ、そういえば大変な仕事をお父さまから言いつけられたって。もしかしてそのために卒業させられたの?」
さすが父親のことはよく分かっているようで、僕の曖昧な態度からユキは正解に辿り着いた。
「あー……ははは」
「大丈夫?」
思わず苦笑してしまう僕。ユキは心配そうに首を傾げた。正直言って報告会は憂鬱だ。だって、先代魔王さま率いる枢密院と実父率いる占星院に見られる成果を評価付されるわけだから。ただそんな過大なプレッシャーがあったとしても、結局やることもやれることも今までと何も変わらないのだ。
「大丈夫だよ。もともと自分でやろうとしていたことだし。任命されたことでいろんな人の協力も得やすくなったと思う」
「そっか」
まっすぐユキの目を見て言い切る。よかった、なんとか微笑わせることができた。
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