メルテのこと
「え、メルテ帰ってないの?」
寝耳に水の話だった。信じられないのでユローにもう一度確認する。
「捕虜は停戦協定を結ぶカードにされたんだよね?」
僕の問にユローはしっかりと頷いた。
「はい、実際に捕虜はすべて返還されました。メルテを除いて」
「どうしてメルテだけ残したの?」
「本人が望み、人間側がそれを許したからです」
僕はユローから経緯を聞いた。捕虜の扱いはユローの実家、カララクール家が受け持っていた。そしてあの場にはカララクール家の者はユローしかいなかった。だからユローは独断できたのだろう。停戦と言いつつ勇者に圧倒されての決断。どうせ捕虜も全部返すつもりだったのだから交渉も何もあったものではない。
「でも、これからどうするの? 伯爵さまはお許しになられたの?」
「……」
痛いところだったようで、ユローは黙ってしまった。ユローはまだ見習いで、自分で身を立てているわけではない。つまり今回ユローはいうなれば《捨て猫を拾ってきた子ども》なのだ。ならばメルテには働いてもらえば良い。メルテは猫ではないのだから。働くなら伯爵さまも見捨てたりはしないだろう。
「しかし、僕はほとんど家にはいないので……」
僕はふむ、と息を吐く。
「心配だよね」
捕虜としての価値さえ失ったメルテを伯爵さまが大切に扱うとは限らない。それに直接接するのはカララクール家の使用人たちだ。とても人間のメルテに優しくできるとは思えない。メルテは見た目こそ働くには十分な年齢だが、それは魔族の感覚だ。実際はずっと幼い。できれば自分の目の届くところに置いておきたいという心情は理解できる。
「仕事ねえ……そうだ、ユキにお願いしてみようか」
「え?!」
なんとなく口をついて出た言葉にユローは酷く仰天した。
「そんなに驚く?」
「驚きますよ。だって魔王陛下ですよ!?」
「そうか……まあ、そうだよね」
僕は親しくしすぎなのかも。改めるつもりはないけれど、世間とのズレは認識しなくてはならない。
「でも考えなしじゃないんだ。実務はヒャクライさまが務められているからユキ自体忙しいわけじゃない。虐められていれば目に入ると思う。まあ、ユキの使用人たちなら僕も知ってるから安心かな、と」
「なるほど」
「話しだけでもしてみようか」
「そうですね、よろしくお願いします」
ユキに面会の予約を入れて数日後、僕はカララクール邸を訪ねていた。そこでメルテとユローと合流する。
「イルベルイーさま!」
駆け寄ってきては笑顔を見せてくれるメルテだけど、親を亡くし、身寄りも行くところもない。きっと眠れない夜もあるだろう。
「メルテ、久しぶりだね。今日はメルテに、紹介したい人がいるんだ」
僕はしゃがんで彼女に話しかける。少し、メルテの顔が強張ったのは気のせいではないだろう。魔王城を見上げた時の顔なんて真っ青でいたたまれないったらなかった。それも何も知らないからだ。だから僕たちは魔王城の廊下を歩きながらメルテにこれからのことを教えてあげた。
「これから魔王さまに会いに行くんだよ」
メルテと手を繋いで僕は言う。
「それだけでは言葉足らずですよ。ほら、メルテが怖がってます」
反対側でもう片方の手を繋ぐユローが僕を咎めた。確かに、何も言わなかった方が良かったと思えるくらい彼女の顔は青ざめている。
「ええと、女の子なんだ。メルテと同じ」
「それもどうかと思いますが……。誤って無礼を働けば殺されてしまいますよ」
「ユローは物騒過ぎだよ」
せっかく表情が解れかけたのに、また石みたいに固まってしまった。
「ええとね、メルテ。人は生きていくために、誰かの役に立たなきゃならないんだ」
我に返ったメルテは僕に応えた。
「知ってる。仕事、だよね」
僕は頷く。
「そうだね。それで、これから魔王さまにメルテの仕事を貰いにいくんだ。さっきも言たけど、魔王さまは女の子だし、僕と仲良しだからきっとメルテにも優しくしてくれるよ」
「でもね、お前のご主人さまになるお方だから、丁寧に接しないと駄目だよ」
ユローが人差し指を立てて言った。メルテは黙ったままコクコクと何度も頷いていた。
「ここだよ」
ユキの庭の扉は、デキンでは珍しい木製。もちろん庭の木を使っている。大人は屈まないと入れないだろう小さな扉に手を掛けた瞬間、僕らを呼び止める声が背中に届いた。
「イルベルイーさま、ユローさま、お待ちになってください」
振り返るとユキの身の回りを担当するメイドだった。メイドは犬耳をふるふる揺らしながら僕らに小言を言う。
「魔王陛下から、今日は大切な面会予約が入っているからと準備を仰せつかっていましたが、もしやその者をお引き合わせなさるおつもりですか?! 謁見の間を使用しない非公式な面会であっても、魔王陛下にお目通りする最低限の服装というものがございます!」
メイドの言葉を聞いて、ユローはハッと息を呑んだ。僕もメルテを見た。さすがに捕虜だった時の薄汚れた格好ではないにせよ、確かに魔王陛下に会うには不相応だ。
「さもなくともこの者は少女ではありませんか。陛下にお引き合わせなさるということは、大切に思っているのでしょう。であれば、なおのこときちんとした格好をさせてあげてください」
「どういうこと?」
「まったく、これだから男性は」
もはや言っても無駄だと言わんばかりに首を振るメイド。酷い言われようだ。
「ユローさまもおわかりになりませんか?」
突然指名差れたユローはあたふたと慌てて正解を探した。けれど簡単には見つからなくて、結局「わ、わかりません」とすぐに白旗を振った。
「ユローさまはもう年頃なのですから、しっかりなさってください。それでは彼女のひとりもできませんよ!」
「ご、ごめんなさい」
すっかり萎縮してしまったユロー。メイドは気にする様子もなく「ついてきてください!」と僕らに背を向けた。
「え、でも時間が。それに服なんて持ってな――」
「陛下にはイルベルイーさまとユローさまに不備があって遅れるとお伝えしておきます。ご客人用の礼服が何着かありますので、それを使います」
「魔王陛下との面会に遅れても良いの?」
「今回は非公式ですし、陛下の御前に汚らわしい姿を晒すよりもまだマシです。それにお相手がイルベルイーさまでなければ、このようなことはいたしません」
「どういう意味?」
「それはおわかりでしょう」
そんなやり取りをしているうちに更衣室の前に到着する。
「ここからは私に任せて頂きます。おふたりは隣の控え室でお待ちください」
「ちょっと待って!」
告げるだけ告げてメルテを更衣室に案内するメイドを僕は慌てて呼び止めた。そして周囲を確認して彼女に耳打ちする。
「メルテは人間なんだ。戦争でみなし子になって、捕虜だったときに僕らに懐いて、それで引き取ったんだ。今日はユキのメイドにできたらと思って連れてきたんだ。だから優しくしてあげて欲しいんだ」
人間だと告げた時、彼女の身体が少し強張ったけれど、はたして大丈夫だろうか。僕は姿勢を戻して彼女を見上げた。すると彼女は、
「陛下のメイドはみんな仲良しです。それは未来の同僚に対しても変わりません」
と鼻を鳴らした。
「ありがとう」
メルテとメイドが更衣室に入って四半刻。僕らがいる控え室の扉が開いた。
「わあ!」「……!」
感嘆の声を上げたのは僕、息を呑んだのはユローだ。
濃紺のドレスに身を包んだメルテ。赤味がかった髪をふわりと下ろして本物のお姫さまみたいだ。僕がメイドを見ると誇らしげにドヤ顔を披露していた。恥ずかしそうに俯いてもじもじしているメルテに、ユローがしゃがんで頭を撫でた。
「似合ってるよ、メルテ。だから顔をあげてイルベルイーさまに見せてあげよう」
ユローがにっこり微笑うと、メルテは無言でコクリ頷き、ゆっくりと顔をあげた。
ぱっちりと目を懸命に開き、緊張しているのに無理して口角を上げている。真っ赤に染まっているぷっくりほっぺが、とても微笑ましくて。
「うん、可愛いよ」
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