戦う理由を見つけた

「ん、んむあ?」


 勇者レイ・ルーズへリオルは眠気まなこを擦りながらベッドから起き上がった。時刻はもう夜半。こんな夜中にいったい何のようだと、部屋の扉を叩いた兵士に尋ねた。そして魔王軍の夜襲との回答に目をパチクリさせた。


「夜襲だって? 今まで近づいてきてるって話すらなかったのに」


 当然だ。魔族が跳梁跋扈するデキンでの哨戒任務なんて誰もやりたがらない。任命されても適当に城塞の近くをぐるりと回って時間を潰すのが関の山だ。そんなことなど露ほども知らない勇者。釈然としない気持ちはあるけれど、とにかくこの鬱々とした退屈な時間が終わったことにホッとした。


「え、もう戦ってるの?」

「………」

「はいっ。今すぐ行きます!」


 扉越しに兵士から現在の戦況を聞くと、レイは跳ねるように返事をして、椅子の背もたれに掛けてあった黄金の剣を手に取った。




「どれ?」


 城壁上から闇夜に目を凝らす。かすかに影が蠢動しているのがわかった。


「あれか。……暗くて見えないな」


 勇者は鷹揚に剣を抜き放ち、星天に掲げる。そして魔力をじっくりと剣に集めながら言葉を綴った。


「聖剣ディオレイド、星々の輝きをその身に宿し、邪悪なる魔を討ち滅ぼせ。星光討滅斬!」


 レイの詠唱が終わるとともに剣に満ち溢れた魔力は、眩い光となって暗闇に蠢く魔族の大軍に襲いかかった。


「おお!」


 光に呑み込まれ、轟音とともにゴミのように爆散する魔王軍を見て、ロウア・デキンの兵士たちは感嘆の声を上げた。


「さすが勇者だ」「凄い……なんて力なんだ!」


 次々と届く賞賛の言葉に、勇者レイはとても満足げに笑った。この糞が付くような暇な時間にレイが考えた必殺技は四つ。《星光討滅斬》はそのなかでも一番最初に考えた技で、最も無駄に光る。


「それにしても、その剣はそのような名前でしたか? たしか……」

「どっ、魔王軍はどうなったの?!」

「おお、そうでした!」


 兵士たちとともに勇者が城壁から顔を出すと、眼下にいくつもの炎が見えた。まるで王都の夜景のようだが、燃えているのは魔族の死体だ。その灯りに影がかかり、もぞもぞと何かが動いた。


「まだくるのか……」


 屍の山を乗り越えて夥しい数の魔族が押し寄せているのだ。勇者は城壁から飛び降り、壁を水平に蹴り、跳躍する。化物じみた跳躍力も、勇者の名を持つ者であればなんとも頼もしい。


「おお!」


 と、感嘆と期待の声を背中に背負い、勇者はまた剣を振り上げた。


「光を我が手に、全天で最も輝く星の欠片、その名を叫べ。日輪崩落!」


 再び目が眩む光が、今度は黒い夜空から降り注ぎ、屍の山を越えようとする魔族を焼き尽くす。お気に入りはまだ使わない。せっかくなので魔王との直接対決まで温存するつもりであった。何度か剣を振るっていると、背後、要塞から爆発音が聞こえ、振り返ると数カ所から土煙が立ち昇るのが見えた。


「はぁ?! なんで!?」


 現場に向かった勇者の眼下には、兵士たちを虐殺する魔族の姿があった。あちこちで上がる悲鳴。背後から狙うとはさすが魔族、卑怯である。

 要塞内を跋扈する魔族たちに向けて、星光討滅斬を撃とうと剣を振りかぶった勇者。しかし、


「だめだ、味方を巻き込んでしまう……」


 これでは断念せざるを得ない。その一瞬の躊躇を見せた彼を竜人族の重突撃が襲った。巻き上がる土煙のなかで、レイは魔族の幾重もの猛攻を受けた。城外にいた有象無象とは違い手練揃い。ほとんどの攻撃は躱したけれど、さすがに無傷とはいかなかった。


 やがて城内が恐ろしく静かになる。勝敗が決したのだ。ディトレイド大臣は無事なのだろうか。ともかく、味方を気にせず技を振るえるようになったのは間違いない。勇者は蝿のように纏わりつく魔族たちをひと振りの剣圧でな払いのける。そして放射状に広がる光の剣技を放った。


「日輪崩落!」


 次の瞬間には、周囲は光に呑まれ、長時間留まり続けた者は全て灰塵に帰した。勇者の、たった一振りの剣で戦場に静寂が訪れる。魔族が白旗を持って停戦を申し入れたのは、それからすぐのことだった。



 そして、勇者は運命と出会う。



 魔王か。いや違う。後世語り継がれるだろう彼の物語のヒロインである。

 彼女は、勇者の攻撃に音を上げ、停戦を申し出た魔王軍の捕虜の中にいた。自分よりも年下の少女はふわりと真紅の髪を後ろで結っている。深い茶色の瞳はあどけなく、きょとんと丸くしていた。

 停戦の調印式を前に、何人かの返還が先んじて行われるようだ。彼女はその一人に選ばれたのだが、自分のおかれた状況がわかっていないらしい。知れば泣いて喜ぶはずだから。しかし人質を盾に助かろうとするとはさすが魔族、卑怯である。


 レイが、まるで花の香りに引き寄せられる蝶のように少女のそばに降り立つ。正確には人間側、なんとか生きていたらしいディトレイド大臣の隣だ。


「引っ込んでいるように言ったでしょう」


 大臣の苦言を無視してレイは、少女の隣に立つ魔族の男を睨んだ。真っ黒な肌に色素の薄い青い瞳、灰色のくせ毛からは羊の角が生えていた。


「この方が勇者ですか……」


 レイよりも三つ四つ年上か。しかし、すでに数多の魔族を葬り去っている勇者に、彼に遅れを取る理由はない。羊の魔族の視線にピリピリとした威圧感がこもるのも同じ理由だ。一触即発の二人を前に、隣の大臣が頭を抱えた時、少女が鈴の音のような可愛らしい声で魔族の青年に尋ねた。


「ユローおにいちゃん、イルベルイーさまは?」


 ユローと呼ばれた羊の魔族は、少女と視線を合わせるようにしゃがみ、彼女の問に答える。


「メルテ、イルベルイーさまは、今、ここにはいないんだ」

「どこかに行っちゃった?」

「きっとすぐ戻ってくるよ」


 にこりと微笑う少女はメルテという名前らしい。りんごのように赤い頬にえくぼを作って微笑うメルテ。見つめ合う二人を前にレイは密かに苛立ちを感じていた。その感情は嫉妬だ。

 イルおにいちゃんとは誰か。直接笑顔を向けられるユローにも。


「では、捕虜の受け渡しを」


 怯えているのか縮こまった声で大臣が、話を先に進ませる。ユローも立ち上がって背中に控える数人の女を差し出した。


「さあ、メルテも」


 彼女の背中を押す。


「え……え?」

「レドネアに帰れるんだよ」

「お家に帰れるの?」

「そうだよ」


 メルテが目を大きく見開いた。当然、その驚きに満ちた表情は喜びへと変わるだろう、そう誰もが思った。しかしメルテが目を泳がせ、逡巡した先に出した答えは


「………………やだ」


 だった。


「だって、お母さんもお父さんも、もういないから……」


 レイだけがその意味を理解できなかった。あまつさえ、デキンでの劣悪な捕虜生活のなかで死んでしまったとさえ考えた。ただ、メルテに接するユローの態度から確信には至らなかったけれど。


「お祖父さんかお祖母さん、親戚の人とかはいない?」


 ユローの問いかけにメルテは首をぷるぷる振る。


「と、とにかく約束なので返還を」


 ユローの判断に大臣も頷いた。しかしユローが背中を押しても、彼のズボンを掴んで動かないメルテ。


「……身寄りもなく、本人も希望しないのであれば、無理強いしなくても問題ないかと思いますが……」


 肩を竦めた大臣が見かねて例外を認めた。

 当然打算だ。デキンでの捕虜生活なら他の者からでも聞ける。洗脳も疑ったが、メルテほどの幼子ならば容易に手懐けられるだろう。身寄りがないのであれば、聴取のあとは、王都で物乞いになるか、趣味の貴族にでも売られるかだが、大臣という役職柄、前者は看過し辛い。ならば無理に連れ帰ることもないだろう。大臣は考える。ただ、最も重要な理由は、あの場から逃げることだった。気を抜くと白目を剥いて糞を漏らしそうなほどの緊迫感だった。

 唯一、そんな尋常ならざるプレッシャーを感じない者がいた。勇者レイだ。だから彼は当然ディトレイド大臣に激しく抗議した。


「どうしてメルテを見捨てたんですか!?」

「人聞きの悪い事を言わないでもらいたい。貴方も聞いていたでしょう。魔族側に残ったのは本人の意志だ」

「ぐ……怪しい魔法で操られているのかも」

「可能性は否定できませんが、あのユローとかいう魔族は、真摯に接していたように見えました」

「……」


 レイは俯いて下唇を噛みしめる。

 言い返せないことが悔しかった。正義になれないことが悔しかった。彼女のヒーローになれないことが悔しかった。レイが生まれた時、彼は普通の人間だった。けれど四年前、絶対的な正義になった。そして正義を行う力もすでに持っていた。なのに今は、気になる女の子の傍にいることすらできない。それがどうしようもなく、彼の心を苛つかせた。

 ただレイは諦めていなかった。なぜなら、自分はまだ想いを伝えてすらいないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る