戦いのその後と楽園の話

 久々に戻った王都の雰囲気は酷いものだった。今回は一般兵にも甚大な被害が出たため、往来のあちらこちらに怪我人が横たわっている。内壁の外側に住む彼らは十二氏族ほど強くはない。勇者の、あの光に呑み込まれてはひとたまりもないだろう。運良く吹っ飛ばされた僕でさえ、瀕死だったのだから。


 魔王城に戻ると、また違った空気が場を支配していた。次こそは勝ってみせると息巻く勢力と、無意味な戦争なんかよりも、停戦中の今こそ内政に力をいれるべきだという勢力が対立していた。僕は喧騒鳴り響く魔王城の廊下を足早に通り抜け、ユキの庭に急いだ。


 庭だけは行く前と変わりなく、まるで別世界のように穏やかな時間が流れていた。通路の両脇には水路が整備され、常に十分な水が全域に行き届くようになっいる。せせらぎの音がとても心地いい。完璧な温度管理、水質管理、土壌管理が行われていて、そのすべてがユキの管理下におかれている。


 そういえば、この庭を作って間もない頃、この庭で培った技術でデキンを緑豊かな土地にしたいとユキは語っていたな。この庭を見れば、それも不可能ではないと思える。それほどまでにこの庭は完璧な状態だ。ただそれでもレドネアの、無作為に切り取った風景の方が鮮やかなに見える。

 僕は眉を顰め、憎々しげに空を見上げた。


「きっと赤い空のせいだ」


 時間の止まったシロツメクサの花畑。喪服のような黒いドレス姿のユキがそこにいた。


「いーちゃん!」


 僕の姿を見つけるやいなや大きく声を上げて立ち上がるユキ。シロツメクサをサクサクと踏み鳴らして駆け寄り、その小さな躰をぶつけるように僕に飛び付いた。如何に女の子とはいえ、鬼族の突進なんて僕に耐えられるはずもなくて、僕の足は地面から離れ、背中からドサッと若草色の絨毯の上に転倒してしまった。


「ユキ、痛いってば」


 幼馴染の艷やかな黒髪についた丸い葉っぱを指でつまむ。僕の胸からなかなか顔をあげようとしないユキ。


「僕の星は消えてなかったでしょ」


 だから生きていることはわかっていたはずだ。


「でも心配したんだから!」

「そうだね…………ありがとう」

「いったい何があったの? ロウア・デキンで」

「何かあったの?」


 気になることでもあるのだろうか。僕は吹っ飛ばされて退場したからその後のことはわからない。


「いーちゃんのことだよ」

「ああ、そっちか」


 僕を呑み込んだ光の正体は、詳しくは知らない。多分勇者の魔法だと思うけれど、発動させた瞬間を目撃したわけではないから。だから僕は、レドネアの海岸で目覚めてから、人魚族に助けてもらってデキンに帰還したところまでのあらましを語った。


「――――ふうん、マリア、ね」

「……」


 妙な勘ぐりを入れられるような言い方をした覚えはないのだけど……。


「でも、レドネアの森は見てみたいなぁ」


 僕の拙い説明で、レドネアの森の魅力を表現しきれただろうか。ユキはうっとりと赤い空の向こう、地平線の果てに思いを馳せる。


「いろんな植物が生い茂っていただけじゃないんだ。森にはたくさんの動物たちがいて、ひとつの世界だった。それにデキンよりも鮮やかに見えたのは空が青いせいかも」

「空が青い?」


 ユキは素っ頓狂な声をあげた。ユキの反応を見て僕はふと思う。もしかしたら人魚族は、あの鮮やかに彩られた眩しい世界を知っていたんじゃないだろうか。


「そうなんだ。多分水属性の魔力が豊富なんだと思う」

「たくさん雨が降るってこと?」


 首を傾げたユキの言葉に僕はぽんと相槌をうった。


「ああ、だからあんなに大きな森ができるんだ」


 なるほど、納得である。


「この騒ぎが落ち着いたらふたりで見に行こう。そうだ! ハルヤートやユローも紹介したいな。友達なんだ。みんなで行こう!」


 まるで叶わない夢を語る子供を見るような優しい目でユキは僕を見る。


「うん、行きたい」

「……」


 本当は、絶対なんとかしてみせると言いたかった。だからユキも諦めないでと言いたかった。けれど、今の僕では何の説得力も生み出さない。それが悔しくて、僕はとても笑えなかった。




 ユキの庭を後にした僕が、次に向かったのは占星塾だ。講義室の窓を覗いて中に誰もいないことを確認する。もう夕方だから星見の塔にいるのだろう。塔の最上階の扉を開けると、夕暮れの濃紺の空の下に二十名ほどの塾生とふたりの先生がいた。誰も一言も話さず、食い入るように星空を見上げていたり、床に紙を敷いて星図を描いている。普段なら誰かしらが占いの結果の解釈で揉めているのに。


 誰も気付いてくれないので、僕は床で星図を描いているユローに声をかけた。


「ユロー、なんでこんなに人が少ないの?」


 手元を覆った影に反応したユローは、次に、頭上から降ってきた僕の声に驚いて顔を跳ね上げた。


「イルベルイーさま!」

「なにその顔」


 吃驚したのはこっちだった。ユローは目の下に隈を作って顔色も悪い。そうとう心配をかけたようだ。それにユローだけじゃない。よく見ると多くの生徒がユローと同じように顔をやつれさせていた。


「イルベルイーさまを含めて六名の安否が確認できなかったのです」


 僕は周囲を見わたす。僕に注目しているみんなと視線を交わしながら、僕は頭数を数えた。行方不明の六名を足しても、全員には到底及ばない。ここにはいないが安否の確認が取れている、ということは、つまりはそういうことなのか。


「残りの人の星は?」


 念のために聞いてみると、やっぱりユローは目を伏せて首を横に振った。


「そう……」

「あの、イルベルイーさまは今までどちらに?」

「あっ、そうだ! お土産があるんだ」


 僕は大きめの肩掛け鞄から紙束を取り出した。流石にマリアのホロスコープは出せないけれど、過程で作製したレドネアの星図なら良いお土産になると思う。


「あああぁぁああぁ、ぐしょぐしょだ」

「これは?」


 人馬族と白羊族の先生が興味深そうに近づいてきた。僕は海水に濡れてベトベトになった紙束を丁寧に一枚一枚剥がしながら答えた。


「レドネアの星図です。偶然流れ着いたので何かの役に立つかと思い、描いてきたんです。良かった、インクは消えていない」


 星図を受け取った先生はしげしげと眺めた。


「ほう、これが……」

「共通部分もかなりありますね」

「ええ、これは私の星ですよ」


 デキンとレドネア、二つの星図を見比べている二人の先生。


「場所も記録しているので、ズレを計算していけば、レドネアの星空をある程度再現できるかしれません」

「どういうことだ? イルベルイー」


 僕はハッとする。先生たちは『星の書』を知らない。だから見知らぬ空を知るということの価値をわからないでいるのだ。僕は鞄から星の書を出す。


「これを読んでください」

「これは? ベツヘリヌスが記した本です。今までの占星術の常識を塗り替える発想が描いてあるんです」

「ベツヘリヌスだって?」


 なぜそんなものを僕が持っているのか不思議なのだろう。ただ、先生たちが訝しげな顔を見せたのもわずかな時間だけだっな。


「「こ、これは……!!」」


 ハモりながら目を見合わせた先生たちは、僕に本を返すと慌てて星見の塔を出ていってしまった。本は返して貰えたが、何事かと集まってきた塾生たちの相手をする羽目になって、退却後の話をユローから聞きそびれてしまった。

 それどころか翌日、魔王陛下の二大諮問機関、占星院と枢密院から出頭命令が僕宛に下った。

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