彼女の星はここでは消えていなかった

 レドネア東部、カシヤ王国のテーギ村。僕が今いる場所だ。ただ、地名だけでは土地勘のない僕はいまいちピンとこないので、もっと詳しくマリアに話を聞くことにした。その結果、僕が流れ着いていた海辺はレドネアの最東端で、この村はそこから半刻ほど歩いた場所に位置するということがわかった。その海の遥か向うには、魔族がくらすデキンの大地があるという。言い伝えではそうなっているらしい。


 言い伝えではって……えらく他人事だな。


 何百年も生き続ける魔族と違って、七十年ほどしか生きない人間にとっては、二千年前の出来事は遥か昔のことらしい。魔族にとっても勇者と魔王の戦いは伝説として語り継がれていることだけれど、悠久の昔というような感覚ではない。なにせ五代前の魔王さまのことなのだから。


「――ということは、海岸線沿いを北に進めばロウア・デキンにぶつかるわけだ」

「そうなの?」


 海沿いの野営地で描いた星位置とのズレを観測して、距離自体はおおよそ把握していた。ロウア・デキンまでは約十日の行程となる。とはいえ、できれば陸路は避けたいところ。なぜならロウア・デキンの戦いで魔族側が負けていた場合、僕は人間側の防衛ラインを内側から抜けなければならないからだ。デキンとレドネアを繋ぐ細い回廊は、当然、人間の哨戒網の範囲内だろう。


「とにかく、なんとか帰ることはできそうだ」

「お弁当作ってあげるね」

「あはっ、ありがとう」



 帰還はなんとかなりそうなので、僕は言葉通りお守りを作ることにした。マリアとミレイが運命に抗う時の一助となるように願いを込めよう。効果は安らかな眠りを得られること。これには僕の歌を閉じ込める。込められた魔力が続く限り、お守りの効果が切れることはないだろう。本当はもっと直接的な、防御魔法なんかを込めることができればいいのだけれど、僕は魔導師ではないので基本的な魔法は使えても、魔法具を作れるほど造詣が深くないのだ。


「材料に真珠があれば良いんだけど……」


 こんな田舎村に宝石の類は期待できまい。


「そうだな、だったら海に貝殻を拾いに行ってくるよ」


 巻き貝の貝殻なら、もしかしたら歌も閉じ込められるかも。立ち上がった僕を見上げてマリアは不安げな顔をした。


「ひとりで大丈夫?」

「はは、大丈夫だよ。角を隠せるローブかなにかある?」

「お父さんのなら。そのままだとイルベルイーには長いから切っちゃおう」

「いいの?」


 服の一着といえども大切な遺品だ。そうでなくても売れば生活の足しになるだろう。しかしマリアは笑って首を縦に振った。


「ええ」




 マリアから渡された灰色のローブを羽織った僕は、家を出てひとり東へ向けて歩いた。マリアもミレイは畑仕事があるので一緒には行けない。


「えーっと、森沿いに進んで草原にでたら潮の匂いがしてくる、だったっけ」


 マリアの案内通りに歩を進める僕。足跡はまっすぐだが、頭はキョロキョロ、視線はうろうろだ。特に気になるのは左手に広がる森。こんな緑が生い茂る森あるなんて信じられなかった。振り返ると見える地平線の向こう側にも、同じような光景が広がっているのだろうか。デキンで森といえば、土と同じ色の枯れ木の集合体。木樹は、大地の魔力を吸って辛うじて生きているというのに。


 海に着くとすぐに貝殻探しを始めた。巻き貝の、それもアクセサリーにしても邪魔にならない小さなものが良い。海は、足元は透明なのに水平線に近づくほど青さを増していく。デキンでは夕日のような赤なのだけれど、境目はどうなっているのだろう。

 足元にキラリと光る貝殻を拾い上げる。薄桃色の可愛らしいものはミレイが喜ぶだろうか。空を映したような爽やかな青い貝殻にマリアは喜んでくれるだろうか。


 丁度良い貝殻をふたつ拾えたので僕は歌を歌い始める。村で催眠効果のある歌はおいそれと歌えないからだ。効果がすぐに切れるようでは意味が無いので、何曲も何曲も歌った。一刻以上経っただろうか、潮風も冷たくなってきた頃合いに僕は浜辺を後にする。砂浜の丘を越え、草原を抜け、帰り道にも歌いながら歩いた。森を右手に進めばやがてテーギ村の小麦畑が見えてくる。しかし行きがけとは少し様子が違うようだ。


「だれか来てる?」


 マリアの家に馬が二頭留まっていた。父親の死を告げる使者だろうか。まさかいち農民にそんなたいそうなことはすまい。だとすると、魔族を匿っているという噂でも流れたのだろうか。僕はフードを深く被り直し、気配を殺して家に向かった。



「し、知りません!」

「ええい! 隠し立てするとためにならんぞ!」

「私、本当に魔族なんて知らない!」


 庭の生け垣に隠れてなかの様子を窺うと、憲兵らしき身なりの男が二人、マリアに詰め寄っているところだった。要件は予想通りだ。


「お前が海辺に流れ着いた魔族を家に運び込んで匿っているという話を掴んでいるんだぞ!」

「家の中を調べて貰いましたが、私と妹以外の誰もいませんでしたし、痕跡もなかったじゃないですか」


 僕の手は無意識に鞄にいく。持ってきておいて本当によかった。


「目撃報告があるのだ! とにかく一緒に来てもらう!」

「そんなっ!」

「人類の敵を庇い立てするというのならば、貴様も敵だぞ? もちろん妹も、なぁ」

「妹は関係ありません!」

「ほうら、やっぱり匿っているんじゃないか!」

「ち、ちがっ、そういう意味じゃ……」


 危機的状況だがそこまで心配はしていない。なぜなら彼女の星はここで消えてはいなかったから。


「ごちゃごちゃ五月蝿いぞ!」


 マリアの両手首を強引に掴み、引っ張り上げる男。


「さあ来い!」


 そしてもうひとりの男が腰に下げていた荒縄をマリアの手首に巻き始めた。その時だ、


「お、おねえちゃんをはなせ!」


 別方向から可愛らしい怒声が飛んで、出処に目線を向けると勇み立つミレイの姿があった。両手の拳をぎゅっときつくにぎり、肩はワナワナと震えている。


「ミレイ!」


 マリアが妹の名を呼ぶと同時にミレイは走り出す。縄を持つ男の足元に詰め寄り、両腕をぶんぶん振り回す、振り回す! 五歳の女の子の攻撃など憲兵には何のダメージも与えられないだろう。しかし仕事の邪魔くらいにはなっているようで、明らかに煩わしそうな顔をした男は腰に携えた剣を抜いた。


「このガキ!」


 頭上に振りかぶる男。大丈夫、ミレイの星もここでは消えていなかった。たかが憲兵ごときの攻撃では星の光は消せやしない。男が剣を振り下ろすが、切っ先が木の枝に引っかかって軌道が反れてしまった。剣を避けられて頭に血が上った男は、恐ろしさのあまり尻もちを吐いたミレイの腹部を蹴飛ばした。ふっとばされたミレイは男の背丈の倍ほども吹っ飛んで、地面に叩きつけられた。ぐったりとして動かないミレイだが、身体はわずかに動いている。

 マリアとミレイの星も強いわけではないのだ。これ以上、不確定要素をそのままにしておくのは良くない。


 僕が出ていけばこの場は解決できる。武器がなくてもたかが人間のひとりやふたり、武装していてもどうということはない。けれどそれでどうなる。出ていった憲兵が帰ってこなければ新たな人員が派遣されてるだろう。ただその時、僕はここにはいない。


 僕が躊躇している間にも状況はどんどん悪くなっていく。ミレイに唾を吐きかけた男が、荒々しく自分の首をゴキゴキ鳴らしながらマリアの元へと戻ってきて再び手首を縄で結び始めた。


「おい」


 マリアを釣り上げている男が、顎で家の中を合図する。


「ああ、へへっ、そうだな」


 何を意味しているのかを悟った縄を持つ男が、手早く仕事済ませ、ボロ布をマリアの口に噛ませた。


「むぐー!」

「うっせぇ! 黙ってろ!」


 マリアの腹部を乱暴に殴りつける男。大人しくなったマリアを肩に担いで、ふたりは玄関のほうに向かった。


 マリアの星はまだ消えない。だからこの場では死にはしないし、この村から連れて行かれることはないだろう。しかし、それだけだ。僕がこのまま様子を見続けていれば、彼女たちは命以外の全てを失うことになるだろう。


 ……時間稼ぎが必要になるな。


 僕は立ち上がる。低い生け垣から上半身を出して、僕は男たちの背中に言葉を投げつけた。


「止まれ!」


 鷹揚に振り返る男たち。


「ちっ、でてきやがったのか」「ガキが、影でぶるぶる震えていれば良かったものを」


 もともと奴らは、僕がどこかに隠れて様子を窺っているのだと思っていたようで、こうなることは折り込み済みだったようだ。


「とりあえず、マリアを降ろせ」

「口の利き方に気をつけろ、ガキ」

「口の利き方? 年上に敬意を払えという話なら、畏まるのはお前たちの方だ」

「ああ?」

「まあ、どうでもいいけど」


 お喋りをしたいわけじゃないので、僕はすぐに行動した。

 マリアを抱えているせいで両手が塞がっている男の懐に潜り込み、腰に下げた剣を抜く。


「なっ?! こいっつ!」


 そして何をする暇も与えること無く心臓を一突きにした。剣は抜かない。血が飛び散るから。


「こっ、このや――!」


 慌てて剣を抜こうとしたもうひとりの男の剣の柄を踏み台にして跳び上がり、頭上に翻って首を百八十度捻る。そして僕が着地するのと同時に、男は声もなく膝から崩れ落ちた。


「……はぁ」


 やってしまった。


 振り返ると、尻餅をついたマリアが、まるで化物を見るような目で僕を見つめていた。自分よりも年下――に見える――子供が、武装した二人の男相手を瞬殺したのだ。恐ろしくもなるだろう。僕は溜め息を吐いてポケットからふたつの貝殻を取り出した。屈んで、マリアに渡そうと手を出したけれど、彼女はビクリと肩を震わせただけだ。


「あ、あの……わたし」

「ああ、良いよ。わかってるから」


 別にわかって欲しいなんて思わない。相互理解は素晴らしいことだけれど、必要としない場合の方が多い。今がそうだ。お互いに理解しあわなくたって、人はそこそこ上手く付き合っていけるものだから。それに僕はここに長居するつもりはないのだから、要らぬところに労力を使いたくない。


 僕は貝殻をマリアの足元に置いて、


「これ、お守り。眠れない夜は身につけてみて」


 と、使い方を教えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る