マリアとミレイ
夢を見た。勇者レイの夢だ。場所は魔王城。満天の星空に浮かぶ彼は黄金の剣を振りかぶり、横なぎに一閃する。するとあっけなく魔王城は光に呑み込まれた。僕はその様子をどこか別の場所で見ていて、ユキの名前を絶叫していた。僕に気づきこちらを向いたレイは、また剣を振るう。僕は剥き出しの憎悪で彼の名前を叫ぶんだ。しかしそれは勇者に届くことなく、僕も光に呑み込まれた。
「なんて夢だ……」
レドネアでの三度目の目覚めは最悪だった。僕自信が一番恐れていることという意味では夢を見るのも順当だが、今の僕の状況では洒落にならない。そんな悪夢から始まった一日だけど、それまでの二回の目覚めとは違い体調はかなり良かった。少女の料理のおかげだろう、体力もかなり回復した。身体が調子を戻し余裕が出てくると、色々なことに頭がいくようになった。
ひとつは、戦いはどうなったのか。僕がここに来てからかなり日数が経っている。流石にもう決着はついただろう。ハルたちが勝ったと信じたいところけれど……夢にも見た勇者の熾烈な戦いぶりが、仲間の活躍を素直に信じさせてくれない。
ふたつめはここがどこで何故僕がここにいるのか。海辺に倒れていたということは、流れ着いたのだろう。周りの風景から推測するに、ここが人間の住む豊穣の大地レドネアだということは間違いない。伝説の記述通りだ。ともあれ後で少女に話を聞こう。
みっつめは僕の切り札――になるかもしれない魔導書の行方。
跳ね上げるように上体を起こした僕はベッドの周囲を見渡した。料理を食べさせて貰った時にも思ったことだけど、相変わらず凄い木材の量だ。辛うじて暖炉が石造りというだけで、あとはすべて木造だ。家具も、スプーンや器に至るまで木でできていた。もしかしてレドネアではあまり貴重ではないのか。この家の少女自身は、言っては悪いがあまり上等な身分には見えなかった。
ぐるりと見渡した僕の目に見覚えのある鞄が飛び込んできた。キャビネットの上のそれは、まさしく僕のものだ。僕はベッドからゆっくりと音を立てないように下りる。立て付けが悪いのか、小さくギッと音が鳴った。まだ少しふらつく足下に注意しながらキャビネットへと向かう。鞄は少し変色しているみたい。中身は数冊の本と筆記用具、それにわずかな非常食。最後に見た中身と同じだ。本が湿気ているところをみると、やっぱり僕は海に流されたようだ。
僕は何冊かある本の中から赤茶色のカバーの本を取り出す。そして表紙の金色の文字を見て息を吐いた。
「良かった、あった」
中身を確認しようと無作為にページに手をかけたとき、背後で扉が開いた。息を呑む音がして、振り返ると目を丸くした少女の姿があった。少女といったのは彼女が人間だからだ。見た目だけならユローと同じくらい年上のお姉さんだ。
「あ――」
無計画に口を開いた挙句に躊躇する僕。すると少女は慌てて扉の後ろに隠れて、顔を半分だけだして僕を警戒した。
「アナタ、だれ?」
あれ、デジャブ? この展開は二度目だ。
自分で介抱しておいて開口一番その台詞はおかしいと思う。とはいえひ弱な人間の、それも少女が魔族を恐れるのは理解できる。僕は出来る限り表情を柔らかくして自己紹介をした。
「僕はイルベルイー・オーヴェス。見ての通り魔族です。危険なところを助けてくれてありがとう。貴女のお陰で僕は生き長らえることができた」
腰を曲げ、頭を下げると、パンツ一丁の自分の身体が見えた。なんて滑稽なんだ! 顔を上げた僕の顔はさぞかし赤かっただろう。しかし恥ずかしい思いをした甲斐あって、少女の警戒心はすっかり消えていた。
「くっ……くっくっ……」
笑いを我慢しているつもりなのだろうけれど全然できていない。
「きっ、君こそ誰なんだよ!」
苦し紛れだが大切なことだ。彼女は扉から全身を出してきちんと僕に向き直る。そして、
「私はマリア、マリア・メイオール。今はいないけど、ミレイっていう妹もいるの」
「親は?」
まさか二人暮らしなんてことはるまい。
「……母は十三年前に流行病で死にました。父は今、戦に行ってます」
「……そう。それで? よく僕を助ける気になったね」
「それは…………」
言い淀むマリア。気まずいなんて思わない。僕にとって謂わばここは敵地。助かったのは事実なので礼は言うが、マリアの動機か理由次第では早急に逃げる算段をつけなければならないのだ。
「それは、貴方がまだ子供だったから」
「子供、ね」
「子供に戦わせるなんて、おかしいわ」
「どうして僕が戦っていたって思ったの?」
この家で目覚めたとき、僕はパンツ一丁だった。今もだけど。砂浜の時はどんな格好だったっけ。剣は持っていなかったと思う。
「あれ」
マリアは壁に掛けてある革鎧を指した。
「――ああ」
なるほど。僕は手元の肩掛け鞄に視線を落とす。
ふむ、どうしたものか。
彼女とわかりあいたいなんて思わない。相互理解は素敵なことだけど、必要としない場合の方が多い。今がそうだ。お互いに理解しあわなくたって、人はそこそこ上手く付き合っていけるものだ。それに僕はここに長居するつもりはないのだから、要らぬところに労力を使いたくない。
マリアは僕を見て子供だと言った。確かにそれは間違いではない。魔族にも成人と子供という考え方はあって、僕は子供だ。ただ、それは年齢によって別けられるわけではない。なぜなら、氏族によって寿命が数百年と違うからだ。
確かに僕はまだ子供だけど、キミより年上なんだよね……。
しかし話をややこしくするようなことは言うまい。
「仕方ないんだ」
僕が伏し目がちにそう答えると、マリアは双眸に哀れみの色を映した。
「それよりここはどこ? レドネアだよね?」
「え? ええ、そうよ。レドネアの、カシヤ王国の東の端、テーギ村よ」
知らない名前がたくさん出てきた。
「カシヤ王国……東の端ってことは――」
僕が、帰還の手立てを掴めると期待した時、この部屋の扉ではない、別の扉――玄関だろうか――が勢い良く開けられることがした。同時に大きな声で、
「おねえちゃん!」
マリアの話に出た妹のミレイだろうか。慌てたマリアが何か言うよりも早くミレイはこの部屋へと到達する。ドタドタドタと板張りの廊下を踏み鳴らし、勢い余って扉の前にいる姉を通り越し、僕の前に滑り込んだ。
「!!?!?」
僕の顔を見るやいなやミレイは慌てて踵を返し、姉の背後へと回り込む。そして姉の腕の隙間から、チラリと片目だけを覗かせた。興味なのか恐怖なのか、どちらともつかないその視線にどう反応すれば良いのかわからない僕はマリアを見上げる。するとマリアも妹の心境を測りかねるのか、呆れ溜め息を吐きながら肩を竦めた。
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