勇者の力

 暗闇の中、ゴロゴロと雷鳴のような音が聞こえる。本隊の進軍する音だ。流石に要塞にも聞こえたようで、さっきまで微動だにしなかった篝火があちらこちらに動き回っている。そんな要塞の動きを眺めていると一瞬、要塞から本隊へ、キラリと光の線が伸びた。


 「なん――」だ? と誰もが思っただろう。しかし言葉にするよりも早く答えがわかった。本隊から光の柱が立ち昇り、やがて空気の張り裂ける音が衝撃波とともにこちらに届いた。


「なんだ!?」


 みんなが口々に言う。しかしほとんどが答えを己の中に持っていた。本気で疑問符を頭の上に浮かべていたのは、勇者を見たことがない者だけだ。


「勇者が動いたぞ! 今だ!」


 空を飛べる竜人族と翼人族、天狗族が静かに、しかし高速で飛び立つ。一瞬で闇に呑まれたと思った次の瞬間には、要塞から爆音が聞こえた。


「やった! 成功だ! 我らも続け!」


 巨人族が抱えてきた巨石に妖狐族が炎を纏わせる。ひとり一投でも数百の火の岩がロウアデキンを襲うことになる。上空を飛来する炎塊の下、橙の光に照らされながら僕らも要塞に走った。

 先頭の鬼族が拳をひと振りすると、ドォン! という轟音とともにいとも簡単に入り口ができる。そこから雪崩込み、翼人族や天狗族の戦列に加わる。十二氏族のなかで白羊族は、二番目に戦闘能力が低い。はっきり言って弱い。けれどそれはあくまでも『魔族のなかで』である。人間の平均寿命は七十年ほどらしい。僕はもうその年齢を越えているが、その時間のすべてを占星術に捧げてきたわけではない。すべての魔族は、最低限の武術の鍛錬を積む。荒廃したデキンで生きていくために、来たるべき人間との戦いに備えるため、そして僕は勇者からユキを守るために。物心ついた頃から、占星塾に通い始めても嗜み程度には剣を振り続けた。それが大体七十年ほどだ。子供の僕でさえこうなのだから、魔族の誰だって勇者以外の人間には負けはしない。


 主戦力である鬼族と竜人族、巨人族はすべて勇者のもとに向かった。要塞を守る兵士たちの相手は僕たちの受け持ちだ。角が生えているだけで、子供と何ら変わらない見た目の僕たちを見た兵士たちは、混乱の中で、それでも薄笑みを浮かべて距離を詰めてきた。


「どんな厳つい魔族かと思えばただのガキじゃねぇか」

「前いた連中はこんな奴らに殺されたってのか?」

「こんな痩せっぽっちに剣を持たせて、俺の上の娘よりもちいせぇじゃねぇか」


 そんな迂闊な兵士たちの剣をいなし首を刈り取っていく。ひとり、ふたり、さんにんも殺して見せれば嫌でもわかる。舐めた顔をした者はひとりもいなくなった。


「こっ、こいつらただのガキじゃねぇ! ガキじゃねぇぞ!」

「ばっ、化物!」

「ゆ、勇者は何やってんだ!」


 彼らを愚かだとは思わない。僕だって四十、五十年前はもっと浅はかで迂闊だっただろうから。見たところ正規の兵士ではないように思える。鎧も胸当てのプレートだけ。剣も輝きが鈍い。自分の命を預ける武器だというのに手入れも碌にしていないように見える。それに魔族に関する知識をまったく持っていないように見える。彼らは敵のことをいったいどんなふうに教えられていたのだろう。人間軍の上層部は、勇者がひとりいれば全て事足りるとでも思っているのだろうか。所詮はただの末端兵、数合わせなのだろうか。だとすれば彼らはなんて可哀想なんだ。


 僕らが見える範囲の敵を殲滅した頃、ふと、要塞の奥がいっそう騒がしくなった。主戦力が勇者と接敵したのだ。

 その勇ましい戦闘音を聞いて、『俺たちの後ろには勇者がいてくれる』『今度こそ勇者を打ち倒してくれる』と両者は思っただろう。昂ぶった士気を怒号に乗せて、両軍は要塞の狭い通路のあちらこちらでぶつかり合った。しかし、どれだけ士気を高めようと、どれだけ地の利を活かそうとも、人間が魔族に勝てるはずもなく、一刻ほど経ったろうか、人間たちの抵抗に陰りが見えてきた。直に殲滅できるだろう。


「そうだ、ハルは……!」


 余裕ができた僕は星空を仰ぐ。今ばかりは星見のためではない。頭上で鳴り響く金属音の行方を追ったのだ。


「くそっ、ここからじゃ見えない!」


 建物の屋根伝いに登り、僕は城壁上に立つ。そして顔を上げた瞬間、すぐ隣の城壁が抉れるように吹き飛んだ。爆風に眇めた目を恐る恐る開ける。城壁の消し飛んだ部分を見ても誰かが吹っ飛んできたというわけではなかった。戦いの余波!


 こんなところにまで届くっていうのか……。


ごくりと喉を鳴らす。もし、さっきのが僕に命中していたら? 頑強な城壁を崩す勢いで城壁に叩きつけられる自分を想像して背中を冷や汗を伝った。刹那、再び戦いの余波が近くの城壁に着弾する。飛散する破片から頭部を守る腕の中で僕は思い知らされる。


 無理だ、近づけない……!


 ハルのことは心配だ。けれど僕がここにいる方が彼の足を引っ張ることになることは容易に想像できた。


「くそっ! くそ!」


 僕は城壁から飛び降りる。その自由落下の最中――――来る! そう思った次の瞬間、途方もないエネルギーの塊が衝撃波となって空中で身動きのとれない僕を襲った。耳を劈くほどの爆発音に全身を殴りつけられた僕は、薄れゆく意識の中、闇夜にぼんやりと浮かぶ勇者の姿をみた。彼の剣は今まさに振り終え、生み出された光が僕を呑み込んだ。









 大きな波の音に混じって漣の音が聞こえる。意識を取り戻した僕は、自分が仰向けに倒れていることを知った。


 戦いの音が聞こえない、終わったのか……?


 まだはっきりしない意識の中、僕は妙な違和感を感じた。その違和感は意識がはっきりする過程で鮮明になってゆき――――


 どうして波の音が聞こえるんだ……?


 瞼の隙間から差し込む光に目を眇めながらゆっくりと開けた瞳に映ったのは、どこまでも澄み渡っているような蒼穹だった。デキンではこんな空は見たことがない。晴れていても空は、錆びたような赤茶けた色をしているから。それは空気中に含まれる火属性の魔力の割合が多いからだけど、ならばここの空は水属性の魔力が多いのだろうか。

 僕は身体を起こそうとするも上手く動かない。痛みが酷いわけではない。全身がだるいのはどうしてだ。身体の様子がわからない。少なくとも四肢の感覚はあるのでどこかが足りないわけではないないらしい。声が出ないのは喉がカラカラに乾ききっているからか。


「あ…………う……」


 大切な人たちの名前を呼ぼうとしても掠れた声で言葉にならなかった。

 こうしていても仕方がないので、僕はふらふらの身体でなんとか立ち上がろうと試みる。何度か失敗し、頭から砂浜に突っ込んだ。口に入った砂を吐きながらなんとか立ち上がり、側にあった丁度いい流木を杖にして、僕は海岸線沿いの砂浜を歩きだした。


 なんだ、ここは……。


 デキンの夕日のような赤い海ではない。青い海、青い空、白い砂浜。足の裏は熱くて、けれど頬を撫でる風は冷たくて気持ちが良い。僕の知っている海とは全てが違う。まるで別世界だ。

 やがて遠くに断崖が見えて、その丘の上に青々と鮮やかな木が立っていた。まるでユキの庭のような色彩。いや、もっと鮮やかに見えるのはこの青空のせいか。


 近づくと丘は、まるで楽園のような姿を見せた。地面には背の低い草が萌え、木には赤い実が成っている。その実を鳥が啄んで、チチチと歌を歌っていた。


 僕は死んだのか? あの光にのみこまれ、今度こそ死んだのか?


 僕は丘を登る。すでに体力は底をついていた。顔を伏せたら挫けてしまいそうだ。僕は重たい頭を持ち上げながら樹上の鳥を見上げた。


 小鳥さん、その啄んでいる果実を僕にも分けてもらえないだろうか。


 そんな思いは通じない。僕を見つけた小鳥が不思議そうに首を傾げたけれど、多分それは返事ではないだろう。

 倒れるように木にもたれかかって座り、小鳥の求愛の歌を聴きながら僕は目を閉じた。


 大丈夫、僕はまだ死んでない。


 核心があった。なぜなら、ここが楽園なら僕が来れるはずがないからだ。僕はまだ、ユキを守るという誓いを果たせていないのだから。

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