星海に溺れる

 『星の書』を手に入れた翌日から、僕は占星塾の書庫に篭り始めた。『星の書』の封印――そんなものがあればだけど――を解く手立てがなかったし、そもそも魔導書かどうかすら判別できなかったから。魔導書なら本から魔力を感じるはずなのだ。だからとりあえず、『星の書』に書いてある手法でホロスコープを作り上げることができるのかどうかを試そうと思ったのだ。


 対象は勇者。

 僕はまず、勇者についてわかっていることを書き出した。


 生まれたのは十二年前。レドネアのどこかで勇者としての宿命を背負い誕生した。彼の宿星はデキンからでも良く見える、全天の夜空で最も明るい蒼い星だ。性別は男。紅い髪と黄金の瞳を持ち、性格は……あれ

だけじゃわからないな。わかっているのはかなり迂闊ってことくらい。


「それと十二歳の時、魔王軍と最初の戦闘を経験、と。……これだけの情報でホロスコープなんて作れるのか?」


 半信半疑……いいや違う。これは前途多難な予感。

 とにかく、ぼやいていても仕方がないので、僕は当時の星の位置が判りそうな資料を探し始めた。


 ほんの些細な事柄でさえ一体何に影響され、またしているのかわからない。だから僕は頭から潜るように記録を読み漁った。何日も、何日も。やがて資料が共用の長テーブルに山積みになっていく。テーブルはたくさんあるので他の利用者の迷惑にはならないはずだ。時折ユローが現れて食事や睡眠をとれと苦言を置いていく。友達思いのユローに空返事をしつつ集められる限りの資料を集めたら、今度は勇者が現れた時の星図の作成にとりかかった。一つの星に二つの食い違う記述があれば、他の資料から考察のうえ正否を判断する。勇者と誕生日の近い者のホロスコープから星の位置の整合性を確認して、修正。それをひたすら繰り返


した後、勇者の宿星を中心に星図を描いていった。


 星海に潜りはじめてひと月が経った頃、


「できた……。継ぎ接ぎだらけでかなりずれがあると思うけど」


 勇者の誕生時の星図の完成である。ただ問題はここから。この星図を底面に、現在を天面にして立体化するのだ。次に底面と天面の間の空間にロウア・デキンの戦いを描く。指先に魔力を込めてポツリポツリと青や赤の星を置いていった。天面となる現在とはとても近い位置にあるので、同じ星同士を星の色と同じ色の線で繋げていく。本当は微細な変化も描き込まなければならないのだけれど、ここまで近いとなると、直線でも問題ないだろう。勇者の星の変化だが、彼にとってあの戦いが吉事だったのか凶事だったのかわからないので、仕方なく《大きな転機》とした。


 僕は組み上げられた立方体を見る。スカスカでまるで中身がない。こんなホロスコープで未来なんて見えるわけがない。けれどここまでが今の僕にできる精一杯だ。勇者に今までの人生を振り返ってインタビューでもさせてもらえるなら別だけど。

 ベツヘリヌスは本当にこれで勇者の運命を占ったのだろうか。できなかったから負けた、とか?

 激しく頭を振って弱気な気持ちを振り払う。きっと何かが足りないんだ。


 僕はホロスコープに再度向き合う。そして立方体の内部に自分の宿星を書き込んでみた。今までの運行を辿るように指を動かし、線を描く。自分の星の動きは覚えているので、底面から天面まで曲線を描くことができた。勇者の星のとはまるで関係ないところにあるけれど、他の星もすべて描けば少しは見えるものもあるかもしれない。僕は次にユキの星を、同じように立方体に描き、ユキの辿った十二年を線にして描き込んだ。


 まだ足りない。僕は知る限りの宿星とその軌道を書き込んでいく。しかしそれだけでは寥廓たる隙間は埋まらなくて。


「また全部調べて描かないといけないのか……」


 途方もない作業に言葉を失い、かわりに口から出るのは溜め息だけだ。


 星の運行には規則がある。しかし誰かが運命に抗えば僅かにズレが生じ、周囲の星々にも影響を与える。勇者のホロスコープを完成させるには、最低十二年間の星の運行記録が必要だ。今は『星の書』の記述が正しいのかを試しているだけだけど、実用に耐えうる勇者のホロスコープを作るには、彼の親しい人間たちの宿星を知らなければならない。星天に輝くすべての星のを描画すれば、あるいは完成するかもしれないが、


「そんなの、作ってる間にユキが殺されてしまう」


 僕はホロスコープを畳んで鞄にしまいこむ。それから星の書もパタンと閉じてまた、溜め息を吐いた。


 ふと顔を上げる。見渡しても誰の姿もない。当たり前だ。山のように重ねられた本や紙束が尾根をなして僕の前に聳え立っているから。


 これを片付けるのか……。


 こういう時に限って頼れる級友はいない。僕は三度溜め息を吐いて立ち上がり、一番上から三冊手にとって書架へと向かった。




 少し見ないうちにユキの庭園は随分と様変わりをしていた。以前咲いていた花は枯れ落ち、別の花が咲き誇っている。ただ一箇所だけは、出兵前に来た時と何一つ変わらないままだ。恐らく魔力で保っているのだろう。


「――ユキ」


 白いクレマチスの生け垣にシロツメクサの花畑。その中心に濃紺のドレス姿のユキが座っていた。ユキはちらりとこちらを一瞥すると、ふいと視線を反らしてしまう。戸惑い、立ち止まる僕。


 何かまずいことしたかな。


 まったく思い当たる節がない。足を踏み出すとさくりさくりとシロツメクサのしなる小気味いい音がして、それはきっとユキの耳にも届いただろう。僕の接近に気がついても顔を背けたままのユキの真後ろに座って、僕は彼女の髪を撫でた。


「私は何か不作法を働きましたでしょうか。魔王陛下」


 態とらしく言ってみる。ユキは僕から目を背けたまま小さく言った。


「ふたつ」


 ふたつ?


「なに?」

「ふたつ、怒っています。ひとつは帰ってきてから今まで、一度も 逢いに来なかったこと。ただいまって、顔くらい見せればいいのに」


 後ろからでも尖らせた唇が見える。


「ごめんなさい」


 父が母によく言われている「私と仕事、どっちが大事なの」という台詞が過ぎった。……まったく違うか。


「もうひとつは?」


 僕の言葉と同時に振り返ったユキは、今度は強く諌めるような口調で言った。


「何も言わずに戦いに出ていったこと! …………心配したんだから」


 心配させないように何も言わなかったのだけれど、逆効果だったようだ。確かに、勇者と接敵した僕の命は、あの場で終わっていてもおかしくなかった。


「……ごめん」


 自ずと伏し目がちになる僕。するとユキは小さな手でくりんと癖づいた僕の髪に触れた。


「ふわふわ」

「……」


 僕は自分の癖っ毛、そんなに好きじゃないんだけど、ユキは気に入っているみたい。


「許す」

「ありがたき幸せ」


 僕の頭から手を離したユキは、改めて僕に向き直って問いかけた。


「それで、今日はどうしたの?」


 そうだ、今日はユキに見てもらいたいものがあったんだ。

 僕は肩に下げた大きな鞄から赤茶色の本を取り出す。本を受け取ったユキは、表紙の金色の文字を指でなぞりタイトルを読み上げた。


「星の書?」

「そう」

「占星術の本? 私わからないよ?」


 きょとんと首を傾げるユキ。


「違うんだ。いや、そうなんだけど、そうじゃなくて……これ、ベツヘリヌスの本なんだ」

「ベツヘリヌスって、あの大占星術師の?」

「そう。それで歴史書の記述が確かなら、これは占星術書じゃなくて魔導書らしいんだ。でも僕じゃあ詳しいことはわからなくて……」


 魔法が得意なユキなら、もしかしたら何かわかるかもしれないと思ったのだ。話を聞いたユキは、難しい顔をして表紙を捲った。僕は彼女の小さな指が文字をなぞる様子を見守った。

 ユキは占星術には暗いので、本の中身を読んでいるわけではないと思う。魔力を通して魔術的な細工がされていないか調べているのだろう。時折、何かを感じ取るように目を瞑ったから。やがて本を閉じたユキは、持ち上げて背表紙を覗いてみたり、臭いを嗅いでみたりと、色んなことを試し始めた。ユキが何かを試みる度に、僕は苦笑いを深めていった。


「難しい?」

「うーん……何かが隠れてるような感じはするんだけど」

「おおっ」


 滅多にない僕からのお願い事。力になりたいと思ってくれているのだろう。ユキはなかなか結論を出そうとせず、往生際悪くしばらく粘り続けた。こうなればもはや意地だ。とはいえ、意地でどうにかなれば僕だって苦労はしない。四半刻ほど足掻いた挙句、ユキも敢え無く撃沈したのであった。


「だめ。よくわからない」

「いや、十分だよ。何か秘密があることがわかっただけでも、ユキに相談してみてよかった」


 ユキは微笑んでくれたけれど、その笑顔にはどこか悲しみが含まれているようで。


 それにしても一介の占星術師がよくもここまでの封印を施したものだ。いや、《一介》ではなかったな。

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