『星の書』

 占星塾の書庫には膨大な記録資料が蔵書されている。過去の星々の運行、占いの結果と実際の出来事、占いの解釈など。数多くの本のなかでも、僕は二千年前の出来事について調べようと思った。二千年前というと、すなわち初代勇者が生きた時代である。その頃に活躍した筆頭占星術師は、今でもすべての占星術師の目標であり、白羊族の誇りだ。名はベツヘリヌス。僕は彼の軌跡に活路を見出そうとしていた。


 過去の占星術師たちのコーナーは薄暗くて、もしかしたら本に埃でも積もっているんじゃないかと思えるくらい、人の立ち入った痕跡がなかった。案の定、書架の棚板は白んでおり、触れるとふわりと埃が舞った。

 占星術師が持ち回りで管理している筈だけど……。

 これは占星塾だけでなく、院の方でも見られる傾向なのだが、占星術師はおしなべて歴史には興味を示さない。なぜなら、占星術は現在を見て未来を知る学問だからだ。知る必要がある過去といえば、せいぜい星見の解釈例くらい。僕もそうだった。


 僕は背表紙を指でなぞりながらタイトルを追っていく。


「あった」


 そして一冊の本を手に取った。ベツヘリヌスの本だ。こういう本は占星術師が纏めるものではない。歴史家と呼ばれる種類の人たちの仕事。しかし彼らは占星術師ではないので、偉人たちが成した占星術について具体的なことは言及されていない。偉人たちが何を成し、それが後世にどんな影響を与えたか、どんな意味を持つのかが書かれているのだ。だから僕たち占星術師は歴史書を読まない。


 ページを捲ると、最初に著者の言葉があり、次のページから幼年期のベツヘリヌスの活躍が書かれていた。真偽を疑ってしまうような記述が散見されるのは、彼が常軌を逸した天才だからか、あるいは史料不足による仮説部分が多いからか。そんな眉唾な記述のなかに、気になる一文があった。


 『稀代の大占星術師は、自ら作成した魔導書をもって魔王陛下に策を授けた』


「どういう意味だ……著者の勘違い?」


 占星術に魔導書なんて使わない。それに占って得られるのは運命という未来であって作戦などではない。占いの結果から作戦を立てられるほど具体的な未来を言い当てたのか? まさか……。助言程度ならできるけど。


「なら策って何だ?」


 ベツヘリヌスと当時の魔王さまは、結局運命を打倒できずに勇者に殺されてしまったけれど、その魔導書とやらには興味を引かれる。


「本の名前は……書いてないな。この書庫にあるか?」


 目当ての本についてわかっていることは二つ。著者がベツヘリヌスであること。そして魔導書であるということだ。

 占星術師は魔導書を使わない。だからこの書庫には魔導書のコーナーは無い。となれば著者別の占星術書の書棚か。ベツヘリヌスの遺した書となれば、過去に興味を示さない占星術師といえども誰もが閲覧を希望する人気書物になってもおかしくないはずだ。しかし今までそんな話は聞いたことがない。


 僕の予想を裏切ることなく、著者別のコーナーにもベツヘリヌスの魔導書はなかった。


「でも本の名前すらわからないなんて……」


 これじゃあ探しようがないじゃないか。彼の実家は潰えていたはずだし……。

 捜索を諦めるという選択肢が過ぎった時、ふと、昔読んだ占星術書のことを思い出した。あまりにも不自然な回想に僕は違和感を感じた。もしかしたら僕の運命が変わった? だとすれば思い出したその本が、ベツヘリヌスの魔導書である可能性は高い。自分のホロスコープを取り出して運命の変化を確認しようかと思ったけれど、それには宿星を観測しなければならない。僕は鞄に伸びた手を戻して自宅へと急いだ。星見なんてしなくても、その本を見ればわかることだから。



「お帰りなさいませ、イルベルイーさま。今日は占星塾のお休みではないはずでは?」「忘れ物!」


 執事の苦言を強引に躱し、書庫の扉を開ける。

 確か…………駄目だ、タイトルは思い出せない。なにせ五十年は昔の記憶だ。僕は覚束ない記憶を頼りに書架に並ぶ背表紙を追った。


「あった、これだ!」


 赤茶けた表紙には金色の文字で『星の書』と書かれていた。大きさは普通の本の半分くらいで、子供の僕でも軽く持てる。ページを捲ると著者の名前も前書きもなく、すぐに占星術についての記述が綴られていた。僕がこの本を思い出したのには理由があった。


「やっぱりだ。この本、占いで出た運命と、実際の出来事が逆に書かれてる」


 普通の占星術書なら、占いの結果として実際にあったことが記録されているはずなのだ。まるで逆から書き始めたみたいだ。この本に出会った頃の僕では想像もできなかった。ベツヘリヌスが魔導書を作っていたことを知らなければ気にも留めなかっただろう。この本が彼の物かはわからないし、魔導書らしい魔力も感じないけれど、他の占星術書とは一線を画す異質性を感じた。


 寮に持ち帰って続きを読んだ僕は感動に打ち震えた。


「間違いない。ベツヘリヌスの本だ」


 そして確信に至った。同時に絶望もした。この本に表されていた思想は、従来の占星術とは真逆のものだったのだ。

 『星の書』には、現在の状況から逆算してホロスコープを作り上げる手法が記述されていた。つまり、これを利用すれば勇者のホロスコープを作り上げ、彼の運命を、未来を視ることができるのだ。最初に思ったことは「馬鹿げてる」だった。確かに、膨大な星の運行記録と照らし合わせれば理論上不可能なことではない。しかし、


「星の運行記録をすべて把握するなんて無理だ」


 それには星々の動きを完全に把握する必要がある。星々の動きにはある程度の法則はあるけれど、誰かが運命に抗ったら、その者の宿星は瞬きを変える。その変化は周囲に広がり、やがては全く関係ない星にも僅かに影響を与えるのだ。


「覚えろっていうのか。ベツヘリヌスは覚えたっていうのか……? いや、覚えたとしても無理だ」


 次々と降って湧く否定材料。

 勇者はレドネアで生まれた。レドネアとデキンでは星の見え方が違う。星の見え方が違えばホロスコープも当然違うものになってくる。レドネアで星がどう見えるか分からなければ、いくら星々の運行記録があったって勇者のホロスコープは作れない。


「まさかそれでも作った?」


 天才の偉業に戦慄する。


「いやいや、無理だよ絶対無理だ。どんなにベツヘリヌスが天才でも、できないものはできない」


 そうだ、途中から忘れていたけど、この『星の書』は魔導書のはずだ。


「…………」


 魔力なんて感じないけど……。


「封印されてる?」


 考えられるとしたらそれくらいだ。ただ、仮に予想が当たったいても封印を解く方法がわからない。少ない魔術の引き出しを探してみても見当もつかない。

 手詰まり感が酷い現状に、本を閉じた僕は机に突っ伏して瞳を閉ざした。そして、


「明日、ハルヤートを訪ねてみようかな……」


 とポツリ呟いた。僕がどれだけ剣技を磨いても、足手まといにしかならないというのに。

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