戦場で

 まさか、間に合ったのか……? まだ彼は十二歳のはずだ。寿命が短い人間の子とはいえ、戦場にでるには幼すぎるはずなのに!


 瓦礫の横で立ち竦みながら僕は勇者を見上げていた。太陽の光が、彼のためだけにあるんじゃないかってくらい彼を浮き立たせている。指一本も動かすことができなくて、呼吸をすることすら躊躇われた。彼がもたらしたこの静寂を一度壊してしまえば、非力な僕は抗うことのできない激流に呑み込まれてしまうだろうから。


「これは……」


 僕が動けなくても勇者は動く。こちらの気も知らずに呆気なく。

 彼は瓦礫の上から周囲を見渡した。そして惨状に打ち震えた。


「こ、こんなこと……なんて、酷いことを!」


 恐らく炭化した捕虜を見ているのだろう。崩れ落ちた壁に埋もれた人間を見ているのだろう。少年は顔に悲しみの色を浮かべ、やがてそれを怒りに変えた。


「魔族ッ、許さない!」

「いや、これお前の仕業だから」


 思わず口をついて出てしまった。僕は慌てて両手で口を塞ぐがもう遅い。


「なに、お前。魔族だな」


 勇者の双眸は僕を真っ直ぐに捉えていた。

 魔族だなと問うたけれど、この角を見ればわかるだろう。なのになぜそんな質問を? どう答えたら僕はこの窮地を脱することができるのだろうか。想像もつかない。口を開いた瞬間、声を出す前に首が飛んでいる可能性だってある。逡巡の末、僕は沈黙を選択した。


「今の、どういうことだ?」


 勇者は質問を変えた。僕よりも年上に見えるけれど、白羊族と人間ではそもそも寿命が違う。見た目は当てにならない。たしか勇者の宿星が星天に現れたのは十二年前。


「ここは捕虜の収容場所だったんだ。さっきまで、ついさっきまでみんなここにいたんだよ」


 メルテは大丈夫なのだろうか。悲鳴が聞こえるということはまだ可能性はゼロじゃないはずだ。


「そんな……」


 勇者は、悲壮感を露わにして足元を見下ろす。敵の言葉をあっさり信じるのか。やはり見た目以上に若いようだ。これで揺らぐようならまだ希望はある。


「僕はイルベルイー・オーヴェス。見ての通り、白羊族だよ。君は?」


 名乗ったのは、僕と知り合いにさせるためだ。有象無象なら殺せても、見知った相手ならば抵抗が生じよう。普通は通じない手でも、この子供勇者なら通じるだろう。


「レイ……レイ・ルーズヘリオル。勇者だ」


 できることなら、この勇者を殺したい。けれど僕では傷一つ付けられないだろう。今の僕にできることは、一人でも多くの生存者を連れてここを離れることだ。


「もしかしたら生きている人がいるかもしれない。だから捜索したいんだけど」

「それは俺たち人間がやる。お前たちはさっさとここから出て行け」


 さすがに口車には乗らないか。問答無用で斬りつけられないだけマシだと考えるべきか。せめてメルテの安否だけでも確認したいけど。と、僕が動きあぐねていると突如、勇者が立っていた瓦礫が爆発した。


「うわっ?!」


 飛来する要塞の残骸から身を守りつつ、僕はその場にしゃがみこんだ。恐らく魔族側の魔法だろう。爆発は止むどころかさらに勢いを増し、勇者を攻撃し続ける。


「イルベルイー、大丈夫?」

「ハルヤート!」


 肩に手を置かれて見上げると、愛槍ドゥーアを携えたハルヤートの姿があった。他にも多数の竜人族が空から現れ、勇者のいた場所を取り囲むように次々と着地している。背後から地響きが鳴り、振り返ると巨人族が、その足元には鬼族が。見上げると天狗族が空を覆い尽くしていた。 鳴り止まない爆音のなか、ハルヤートが叫ぶように僕に告げる。


「今のうちに退却を!」

「で、でも、メルテが!」

「ここはすぐに戦場になるから!」


 わかってる! けれど、だからって自分だけ逃げるという判断を簡単にできるわけではなかった。その一瞬の躊躇がハルヤートを追い詰めてしまったんだ。怒号を上げたハルヤートが、まだ治まらない土煙に飛び込む。閃光が瞬き金属の擦れ合う音がして、煙の中から土色の雲を引いて二人の少年が飛び出した。巨大な槍とともに勇者に突撃するハルヤートの表情は、これ以上無いほど張り詰めている。対する勇者レイは、すまし顔でハルヤートの重突撃を受け止めていた。それほど実力差があるというのか!


「ハル――」


 彼の名を叫びかけて止める。返り討ちにされる危険をおしてハルヤートが作ってくれた時間を無駄にするわけにはいかないから。すぐに他の竜人族と鬼族がハルヤートの増援に飛び、他の氏族たちも支援を開始する。彼らの後ろに続く形で僕は捕虜収容所跡に走った。



「メルテ!」


 甲高い金属音が徐々に離れていく収容所で、僕とユローはメルテを探した。けれど、どれだけ彼女の名を叫んでも返事はない。僕らでさえ大怪我を負ったというのに、人間の子供があの光に晒されて生きているなんて奇跡だ。それがわかっていても、僕は叫ばずにはいられなかった。


 剣撃の残響が聞こえたと思ったら、今度はどこかで壁が崩れだす。十二氏族きっての武闘派氏族が勢揃いしているのだ。まさか負けるとは思わないけれど……。そう思いながらもどこかで占星院の占いがチラついた。時間が経つにつれて僕の背中に汗が伝う。走り回って熱いからじゃない。焦りからくる冷や汗だ。まだほんのわずかな時間しか経っていないのに!


 そんななか、微かに声が聞こえた。


「おに…………ちゃ……」


 確かに聞こえた。僕は瓦礫を乗り越え声のもとに駆けつける。すると、メルテが崩れた木造の家の柱に下敷きになっていた。


「メルテ!」


 駆け寄り、ユローとともに彼女の上にのしかかる柱を取り除く。もっと力のある氏族ならいっぺんに片付けられるのだろうけれど、僕たちではひとつずつ瓦礫を撤去するしかない。それがもどかしくて。はやく助け出さないと、メルテはまだほんの小さい子供だというのに!


 ようやく全ての瓦礫を取り除き、僕はメルテを抱き上げる。


「メルテ!」

「……い……ちゃ」


 ろくに言葉も出せないくらいメルテは弱りきっていた。しがみつくことも出来ないメルテを抱きとめる。しかし小さく傷ついた身体ではちゃんと立つことが難しくて、どうしてもふらついてしまう。そんな僕の背中をユローが支えてくれた。


「さ、早く行きましょう。ここに留まれば戦いの邪魔になってしまいます」

「そうだね」


 要塞の奥で次々と上がる土煙と爆発音。速すぎて僕の目では追いきれないけれど、あの戦列の中にハルヤートがいる。彼が時間を作ってくれたからユローとメルテを助けることができた。どれだけ恩に感じても、今の自分にできることは何もない。あの戦場に混ざれば鼓動がひとつ打つ間に、僕は八つ裂きにされてしまうだろう。悔しさに奥歯を噛み締めながら僕は、戦場に背を向けた。


 突如、背中から再び眩い光が差した。今度は白い光ではなく、視界を紅蓮に染め上げる真っ赤な光だ。僕が振り向くと同時に引き裂かれた空が悲鳴を上げる。


「空が燃えている?!」


 そして広がり続ける炎から次々と魔族たちが落下していた。赤い入道雲から黒い雨が降りしきるように。


「ハルヤート!」


 その黒い雨の中に、傷ついた竜人族の友人の姿を見つけた。


「ユロー、お願いがあるんだ! メルテを連れて一緒に逃げて! 僕はハルヤートを助けに行かなきゃ!」

「何言ってるんですか! 竜人族や鬼族が戦ってるんですよ! 死ぬおつもりですか?!」

「ハルヤートが勇者を引きつけてくれたから、僕はメルテを探せたんだ! 今度は僕がハルヤートを助ける番だ!」


 こんなことを言えばユローは黙るしかない。


「大丈夫だよ。僕だってまだ死にたくないから。無茶はしない」


 ユローは僕の腕からメルテを引き取りながら苦笑いを浮かべた。


「これ以上の無茶なんてありませんよ」

「ありがとう」


 僕は燃える雲の下へ向かった。

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