鮮烈

 その要塞の名前はロウア・デキン。《デキンの栓》という意味だ。魔族にとって屈辱的な名前であると同時に、希望の名前でもある。使用頻度が二千年にたった一度だというのに、あまりにも巨大で、あまりにも整えられている。どれだけ人間がこの要塞を重要視しているかがわかる。ただ、我が王都の防衛の要である内壁よりも高いんじゃないかってくらい堅牢な外壁を前にしても魔王軍――特に十二氏族の武闘派たちは余裕の笑みを浮かべていた。理由は僕にもわかる。この壁なら抜けると確信したのだ。


 僕たちが動くと壁に異変があった。薄い緑の膜が要塞を包み込んだのだ。魔法による防壁を敷いたのだとひと目見てわかった。しかしなんとも頼りなく、その貧弱さに罠かと疑うほどだ。児戯にも等しい人間の行動が読めなくて、結局魔王軍はその日、待機を選択した。

 愚かしいことだろうか。しかし事前に行われた占星院の星見の結果では、この戦いは芳しくない終わりを迎えるだろうと告げていたのだ。それを知る軍上層部では、慎重派が大多数を占めていた。逆に、そんな占があったことを知らない大多数からは不満の声が上がっていた。あのような貧弱な魔法障壁に何を恐れることがある、と。

 しかし占星院の発表を教えることはできない。ただこのまま放っておけば、どの道兵士たちの士気は下降するだろう。虎穴に入らずんば虎子を獲ずとも言う。軍上層部は、夜明けとともに攻撃することを決定した。



 濃紺の空がやがて赤味を帯び、黄金の線が幾つも西の空に伸び始めた頃、僕らはロウア・デキンの高い壁を眺めていた。なるほど、夜明けだと僕らは太陽を背負うことができるのか。僕は場違いにも感心していた。こんなふうに天体をとらえたことがなかったから。


 要塞の壁は見事に凹凸のない平面だ。こちら側に門でもあれば足がかりになろうものを、これでは奇策は使えない。加えて人間側の勇者以外の戦力も未知数である。軍上層部は、投石で壁に穴を空けた後の一番槍として、下級魔族からなる突入部隊を編成した。

 生贄?


 突撃のラッパが朝焼けの空に響き渡る。すると呼応するように前方から耳を劈くほどの怒号が沸き上がった。雷鳴のような轟音を上げ、火山のような土煙を上げて軍団は前進する。彼らの後方で、僕ら十二氏族も魔法支援の用意を整えた。


「来る! 敵の迎撃だ!」


 騎乗した士官が城壁の上を指した。その先を追うと、城壁と空の境目が糸状にキラリと光っていた。


「防壁展開! 反撃用意!」


 光の線がふっと消えたと思ったら、今度は空を引っ掻いたような黒い線が無数に現れた。引っ掻き傷は次第に短くなり、やがて無数の点となる。


 ドカッドカドカドカッ!


 弓矢なんてちゃちなものでは穿けない魔族もいる。僕らとは違い、人間はよく敵を知っていたようで、降ってきたのは僕の身の丈ほどの短槍だった。いや、羽がついているってことは、これも矢だっていうのか!


 ほとんど防いだけれど、庇えなかった部隊は悲惨なことになっている。しかし魔王軍の進軍は止まらない。


「放て!」


 今度はこちらから魔法が飛ぶ。魔法だけじゃない。最後尾からは巨人族による投石が、自軍の頭上を超えてロウア・デキンの壁を襲った。攻撃魔法は城壁上に展開する弩兵部隊を撫でるように、投石は一点を突き崩すように。一箇所さえ抜くことができれば後は数ので押せば良い。

 翼人族が観測から戻り、壁の厚みや破壊状況、向こう側の対応などを報告する。どうやら見た目よりも壁は厚いらしい。しかし前進した軍団は今も敵の攻撃に晒され続けている。弩を排除したら、今度は魔法が飛んでくるようになったのだ。

 どれも大した魔法ではないが、猫人族には炎、蜥蜴族には氷といったように各魔族の弱点を的確に捉えている。纏まりを持たせるために部族に別れて編成したのが裏目に出てしまっていた。魔法攻撃のほうが重さがない分、護る側としては楽なのだが代わりに範囲が広がって、被害自体は増え続けた。流石に二十万のすべてを庇いきることはできない。

 今か今かと待ち構えていた前線が、まだかまだかと焦りだし、やがて隣の戦友の死に絶望を感じ始めた頃、


「抜けたぞおおお!」


 ようやく聳え立つ絶壁から希望の光が差し込んだ。


「雪崩込め!」


 今この時のためにあいつは死んだのだと、無念にも死んでいった仲間たちを踏み台にして兵士たちは走り出す。このタイミングで待機していた十二氏族も動いた。翼人族が人狼族を、天狗族が雪人族を空から城内に運び入れた。僕たち白羊族も、軍属の占星術師と看護部隊以外は突入部隊に加わった。


 壁を抜けるとすでにそこかしこで火の手が上がっていた。要塞を利用されたくない人間側の仕業だろう。このロウア・デキンは、今度は魔族の拠点としてレドネアへの足がかりになるのだ。魔族側に破壊する理由はない。

 すでに戦闘の様子はなく、あるのは痕跡だけ。ただ、少なくとも城内に魔族の死体は転がっていない。僕はユローとともにさらに奥を目指した。



 要塞の内部は小規模な街になっているようで、おそらく赴任してきた兵士たちの家族が住んでいたのだろう。外壁と比べて明らかに新しい造りの家々に時代の変遷を感じる。奥に行くほど火の手はなく、むしろ建物には消火された跡があった。


「こっちだ、火を消せ!」


 水属性の魔法が得意な雪人族と天狗族の仕事だったようだ。空を飛んで先行したのはこれが理由だったのか。


「おい、人間の子供がいるぞ!」

「逃げ遅れたのか……」


 消火活動に当たっていた天狗族が燃える家の中で女の子を見つけたようだ。


「どうする? 面倒くせぇし殺しとくか」


 物騒な言葉に僕の身体は無意識に動いた。


「やめてください!」


 なぜだろう。もしかしたらユキと被さって見えたのかも。髪型も顔立ちも全然違うのに。


「なんだお前?」


 天狗族の男は高鼻のお面を上げて訝しげに僕を覗き込んだ。


「僕はイルベルイー・オーヴェス。まだ子供じゃないですか。助けてあげてください。いずれ人間側に戻せる時も来るでしょう」


 男は話の内容よりも僕の名前に反応した。


「オーヴェスっていうと白羊族の宗家じゃねえか。占星術師さまがなんだってこんなところに」

「ま、まだ見習いなんですっ」

「ははっ、そうかい」

「それより――」


 僕は男に捕らえられた少女を視線で指す。


「ああ、だったら好きにしな。何人か捕虜を取ったって、前の奴らが言ってたから、集められているんじゃないか?」

「だったら連れていけば良いのに」

「面倒だったんだよ」


 男はそう言い残して立ち去っていった。

 男に開放された女の子はその場にへたり込んで俯いている。金髪で、歳は僕よりも少し下にみえるけど……いや、人間の寿命から考えれば、かなり幼いはずだ。僕は彼女に駆け寄り、声をかけた。


「大丈夫? 立てる?」


 彼女は首をぶんぶんと振って、スカートの裾を押さえつけていた。とても怖かったのだろう、膝の間から水溜まりが湯気を立てて広がっていた。


「怖かったね」


 僕は近くの家に彼女を運び込むと、適当な布を見繕って彼女の服と取り替えた。即席のワンピースに身を包んだ少女を抱いて僕は、捕虜が捕らえられているという要塞の最奥に向かった。


「僕はイルベルイー。君は?」

「……メルテ」


 良かった、どうやら怖がってはいないようだ。


「良い名前だね」

「……おにいちゃん」

「うん?」

「助けてくれて、ありがとう」


 疲れた笑みを見せるメルテに僕は、これ以上何も言ってあげることができなくて、収容所に着くやいなや担当の兵士にメルテを預けてしまった。彼女のこれからを考えると胸が痛くなるよ。片親だけでも生きていれば良いのだけれど、その可能性は限りなくゼロに近い。


 ふと、背後から光が差した。まだ太陽は東の空――つまり目の前――にあるのに。僕はとっさに振り返る。光はやがて要塞の壁を呑み込み、捕虜の収容所も呑み込んだ。

 そして僕とユローも、その光に呑まこまれた。



 真っ白な光のなか、突然腕が発火する。

 いや、腕だけじゃない、頬も灼けるように熱い。動転した僕は掻き毟るように炎を消そうとする。しかし一向に消えなくて、それが余計に僕を焦らせた。僕だけじゃない。隣ではユローも必死にまとわりつく炎を払っていた。

 すると今度は全身を殴りつけた衝撃波によって吹き飛ばされる。

 いったい何が起こっているのか。僕は飛ばされた先で、這いつくばりながら霞む目を擦る。そして自分たちは運が良かったのだと悟った。


 僕らがさっきまでいた場所が、まるで定規で境界線を引いたように焦げ跡がついていた。

 その線の向こうは別世界。聞こえてくるのは轟々と燃える炎の音か悲鳴だけ。まるで地獄だ。


「イ、イルベルイーさま……」


 振り返ると、体中火傷と傷だらけのユローがいた。そんな姿を見て、ホッと胸を撫で下ろした僕はおかしいだろうか。皮肉笑いを浮かべる余裕なんてなかった。


 僕は痛む腕を抑えながら、覚束ない足取りで線の内側に足を踏み入れる。

 気持ち悪い、嫌な熱気だ。


 これは一体何だ? 何が起こったっていうんだ。


 瓦礫の中から、焦げた人間の腕が伸びている。

 熱に弱い魔族も同じように焼け焦げるか、そうでない者は飛来物に身体を貫かれて事切れている。


「あ、あれは……」


 視界がぼやけるのは体調のせいか、それとも陽炎のせいか。

 とにかく、そのぼやけた視界の向こう側、瓦礫の上にひとりの少年の姿があった。


 光り輝く諸刃の剣を携える姿は雷の使者か、真紅の短髪が風に靡いて炎の化身のようにもみえる。

 黄金色の双眸は命を優しく包み込む大地のようだが、その澄ました表情はまるで凍てつく氷雪の権化だ。


 迸る魔力の奔流に包まれる少年。彼が勇者だと、僕はひと目で確信した。

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