雲とスイカと蝉時雨


 ピンポン、とドアチャイムを鳴らした真矢は、家主に大きな声で呼び掛ける。


「こんにちはーっ! 真矢ですーっ! サツキさーん?」


「あー、真矢さん。こっちよ、庭の方!」


 鬱蒼とした森の中の細い小径の先、忘れられたようにぽつんと立つ一軒家の軒先に、真矢と猿渡の姿はあった。

 真矢はTシャツに丈の短いデニムのパンツ、猿渡は白い麻のシャツにワークパンツにサンダルというラフな格好で、手には大きな球体を納めたビニール袋を下げている。


 二人は家主の声のする方に回り込み、柵の切れ目から庭に入った。


 あれから三ヶ月。

 夏も盛りの八月である。


 照り付ける日差しと入道雲。

 三六◯度、輪唱の波状攻撃を続ける蝉時雨。

 大きなつばの付いた白い帽子にノースリーブの白いワンピースを着たゴリラが真矢と猿渡を迎えた。


「いらっしゃい。暑かったでしょう。今、麦茶でも入れるわね」

「いえー。お構いなく。すぐに帰りますから」


 顔の前で手をひらひらさせて遠慮の意を示した真矢は、隣の猿渡に視線を送って合図した。


「サツキさん、これ。北辻の熊木さんとこで作ったスイカです。良かったら冷やして食べてください」

「まあ、美味しそうなスイカ! ありがとう。喜んで頂くわ。熊木さんにも宜しくお伝えして」


 ゲー・フュンフは彼女の誕生日に由来する「サツキ」と言う名を与えられて、蝙蝠山近くの森の中の一軒家に住んでいた。


 アメリカ国防高等研究計画局が研究し生み出そうとしていたのは、ゴリラを強化した生体兵器ではなかった。

 米軍の活動地域の拡大に伴って増加する人的被害は、反戦団体や左派にとって格好の政府批判材料であり、軍にとってその最小化は正に死活問題であった。

 そこで求められたのが、タフな肉体と高度な命令をこなすことができる知性を併せ持ち、且つ保護されるべき「人権」を持たない類人猿の代替兵士であった。

 ゲー・フュンフ……サツキは数少ない知性強化個体の成功例「ゲー・ナンバー」の一頭で、残りの兄弟や仲間は全て処分されてしまったとのことだった。


 サツキと示し合わせて一芝居打ち、彼女の撃破映像を録画した町役場の面々は、住人が老衰で亡くなってから相続者もなく町の資産となっていた放棄家屋の内の一軒に彼女を匿った。

 町役場の面々は市のバックアップを受けながらその家屋を臨時の療養室に改造し、蝙蝠山町出身の獣医師、杉田の協力を得て、彼女の治療と回復に尽くした。

 サツキの全てのギブスと包帯が外れたのが一ヶ月前。

 バイオ強化生命体として驚異の回復力を見せた彼女は今では元気そのもので、杉田と一緒に強化された自分自身を材料に、脳機能の拡大の研究と、窒素からタンパク質を合成するバイオリアクターの研究を行っている。

 脳機能の拡大の研究は、痴呆や一部の精神疾患に対する治療法への貢献が期待され、また窒素からタンパク質を合成する技術は、将来訪れる食料危機に対する切り札になるかも知れなかった。


 八ヶ国語を操り、好奇心旺盛で読書家のサツキはインターネットを利用して自分の研究テーマについての知識を日々深め、世界中の専門家とメールやSNSで活発に議論し、web上の彼女、「satsuki-kohmoriyama」は大脳生理学、生化学の分野の若い研究者の間では、今やちょっとした有名人になっていた。


「少し寄ってらっしゃらない? このスイカ、すぐに切り分けるから」

「いえ、又にします。あ、サツキさん、今週末の花火大会、こちらに来ていいですか?」

「花火大会?」


 サツキの訊き返しに猿渡が答えた。

「深見川の川原から打ち上げるんですがね、ほら、あそこ」


 猿渡が庭先から、遠くに見える川とそれに掛かる橋の辺りを指差す。


「ここからなら丁度良く見えそうなんで。僕とこの真矢。獣医の杉田。それから市長の石野でお邪魔しようかと」


 サツキはなんとも言えない柔らかな表情を作った。


「悪いわね……気を遣って貰って」

「何のことです? 僕らはただ、特等席から花火が見たいだけですよ」


 さも当たり前のことのようにとぼける猿渡を横目で見ながら、真矢は誇らしい気持ちになった。



***



「ずっと、訊こうと思ってたんだけどさ」


 帰り道。

 獣道のような森の道をとぼとぼ歩きながらら猿渡は切り出した。


「なんです? あらたまって」


「サツキさんと戦った、あの夜のこと」


「はい?」


「サツキさんが矢を撃つってなんで分かったの?」

「分からなかったですよ」

「え? でもあの時、タケミカヅチは……」

「私が彼女ならどうするか、って話です」

「……」

「あの時は上手く説明できませんでしたが、何か飛ばすか、投げるかする気がして」

「うーん……」


 あの時のタケミカヅチの動きに、何かもっと確信みたいなものがあったように感じていた猿渡は釈然としなかった。


「それと勝負を決めた最後の……尻尾の一撃。確か事前のスペックの説明では、尻尾はAI制御で、操縦者……つまり真矢さんの思うようには動かせなかったはずだろ? あれはどうやったの?」

「どうやったも何も、私は何もしなかったですよ」

「何も……しなかった? ちょっと待って、それってどういう……?」


 へへーん、と真矢は悪戯っぽく笑った。


「あの場には、もう一人いたでしょう? 私たちの心強い仲間が。さ、迎えに行きましょう先輩。ようやく今日フルオーバーホールを終えて、ピカピカに生まれ変わった私たちの大事な同僚を!」


 猿渡の背中をバンッと叩いた真矢は坂道を駆け出した。


「えほっ、イッテ!」


 予想外の強さで叩かれて、少しむせた猿渡は溜息をつくと微笑んで、サンダルが脱げそうになるのを気にしながら走る真矢の背中を追い掛ける。


 照り付ける夏の日差し。


 降り注ぐ蝉時雨。


 空には真っ白な入道雲が、もくもくとその威容を誇っていた。





*** 完 ***

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役場ロボ タケミカヅチ 木船田ヒロマル @hiromaru712

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