コロサナイデ


『うおおおおっっ!!!』

「めぐっ……真矢さん⁉︎」


 タケミカヅチは、真矢は死んではいなかった。

 真矢の叫びも雄々しく鉄パイプが刺さったままのタケミカヅチはアッパーカットを繰り出した。電撃端子の間にバチバチと放電の火花が閃く。


 ごんっ!


 それは綺麗にゴリラの顎を捉え、電撃も充分に通電した。だがゴリラはそれを堪えると、左手でタケミカヅチの右腕を取って捻り始めた。そしてタケミカヅチに刺さった鉄パイプの矢を乱暴に引き抜く。

 その切っ先は真矢の頰を掠め、そこに一筋の緋色の線を引いた。

 ゴリラはその矢を片手で器用に持ち替えると渾身の力で再度コクピットに突き立てようと振りかぶる。


 猿渡が叫ぶ

「危ない!」


 切った唇から滲む血の味を感じながら真矢はタケミカヅチのオートバランスを切った。


「なんで⁉︎」


 タブレットでタケミカヅチのコンディションをモニターしていた猿渡が素っ頓狂な声を上げる。

 タケミカヅチはバランスを失って倒れ込む。右脚を蹴る。機体はうつ伏せになるように身体を捻る。唸りを上げて回転した尻尾が鞭のようにしなってゴリラの頰を激しく打った。

 これはゲー・フュンフに取って全く予想外だったらしく、強化ゴリラはその一撃をまともに喰らって白目を剥いた。

 タケミカヅチはマニュアル操縦の足の運びで瞬時に体勢を立て直し、ふらつくゴリラの体重を預かるように寄り添った。


「ありがとう……」


 左コントロールスティックの安全カバーをかちゃり、と上げる。

 真矢は真っ赤なトリガーを連続して五回引いた。


 ぱんっ!

 ぱんっ!

 ぱんっ!

 ぱんっ!

 ぱんっ!


「……タケミカヅチ」


 ずずん……!


 地響きを立ててゴリラが地に伏した。タケミカヅは後ろに飛び退く。


「キャプチャーネット投射!」


 猿渡が拳でスイッチを叩く。ぼひゅっ、という間の抜けた音が三つ重なった。ポリエステルの青いネットは錘に曳かれて綺麗に広がると、倒れたゴリラに次々に覆い被さった。

 間髪入れずジャンプしたタケミカヅチはゴリラに馬乗りになると火花を上げる電撃端子をその頭に突きつけた。


 コクピットで荒く息をしながら、真矢は左手の甲で頬を拭った。

 血と汗の混じったものが、ぬらりした感触でへばりつく。

 ジジッと音を立ててVRゴークルの映像が乱れると、次の瞬間、プッ、と画像が消えて真っ暗になった。鉄パイプの貫通で、システムにダメージがあったのだろう。


 真矢はゴーグルを外そうとした。うまく外れない。彼女は自分の手が痙攣と言っていいほどに震えている事を知った。

 ゴーグルを外すと機内灯は全てダウンしており目の前の丸い穴からの光だけがコクピット内を照らしていた。その穴は殆ど真矢の顔の正面で、彼女は改めて自分の紙一重の生存を実感し、ごくりと喉を鳴らした。

 ゴリラを取り押えた姿勢を維持しながらコクピットハッチを開く。

 ふわっ、と外の空気が彼女の顔を撫でる。

 血の匂い。何かが燃えた匂い。汗の匂い。そして、濃い獣の匂い。


 目の前にがんじがらめにネットに捕らえられた黒い獣が横たわる。


「……サナイデ」

「……えっ?」


 彼女は最初それを気のせいかと思った。


「今、なんて……?」


 だが次の瞬間にはごく自然な流れで、目の前のゴリラにそう問い掛けていた。


「オネガイ……コロサナイデ」


 ゲー・フュンフは、絶え絶えに苦しそうに息をしながら、確かに彼女にそう言った。


「しゃっ……しゃっ……しゃっ……」


 真矢は今の今まで命懸けで戦っていた事も、死の恐怖で震えていた事もすっかり忘れて


「喋ったァァァァァァッッッ!!?」


 ただただ驚きに任せて力一杯の声でそう叫んだ。





***




 真っ暗な部屋。


 大きなスクリーンに激しく揺れるカメラが捉えた大きなゴリラの映像が映っている。音声はない。


 カメラはゴリラに異常に接近したり離れたりを繰り返す。その度に画面は激しく揺れ、時にノイズが走った。

 狭い光域のライトがあっちこっち向きながら照らす周囲はどうやら森林のようだ。

 カメラを搭載した「何か」は眼前のゴリラと戦いながら、森の奥へ奥へと移動しているらしい。

 映像の両側にはその「何か」のファンクションアイコンやコンディションのインジケータが並び、その内の「電撃端子」の下の秒読みがゼロになると青い字で「可」という表示に変わった。

 画面の右側から鋼鉄の腕が映り込み、ゴリラの左頰を殴りつける。その瞬間、手の甲の二本爪が火花を上げて、殴られたゴリラがびくん、と跳ねた。

 そのまま映像の中を、ふらっと退がったゴリラの姿が、ふっ、と消えた。

 カメラはその後を追い掛ける。

 急に森が開け、カメラが慌てたように前進を止める。

 周囲を見回すカメラ。

 そこは断崖絶壁で、足元は何十メートルも下に大きな河が黒々と流れており、そこに何か大きなものが落ちたことを示す波紋が拡がっていた。

 カメラは暫くそこを見詰め、また波紋の周囲を見渡し、河の下流に視線を移した。


 映像はそこで途切れた。


「これが、ゲー・フュンフ撃破の証拠映像?」


 暗闇の中、男の声がそう問い掛ける。


「ああ。見た通りだ。ゲー・フュンフは蝙蝠山町役場所有の無目的動力作業着、タケミカヅチと交戦の末、電撃で意識を失い、三十五メートルを落下して弓張淵に転落。溺死した」


 答えたのは強い意志を感じさせる張りのある女の声だった。


「……それを信じろと?」

「どういう質問だ? 見た通りだと言っただろう。もう一度頭から見たいなら再生するが」

「石野一佐……どうなさるおつもりなんです?」

「その呼び方は止してくれ。私は今は一民間人に過ぎん。そっちこそどうするつもりだ? 河に落ちて死んだゴリラの供養の為に、山一つ黒焦げの灰の山に変えるか?」


 溜息。そして軽く笑ったような息遣い。


「いいでしょう。ただ、後々死体は見つかるでしょうな?」

「……弓張淵は深い所で水深十五メートルある。地形も入り組んでいて水流も複雑。ダイバーを潜らせるのは危険だが、死体に腐敗ガスが溜まれば浮いてくるだろう。今の時期なら、そうだな、およそ二週間以内には」

「結構。腐敗が酷ければそちらで焼却してください。ただ死体の画像はこちらに頂きたい」

「約束しよう」


 パッと部屋の電気が点く。


 野戦服の男は席を立つとバインダーを小脇に抱えた。


「次は蝙蝠山で類人猿のUMAが目撃されてネットで話題になり、そのUMAが蝙蝠山町の町興しに一役買うんですかな?」


 石野は灰皿の縁を煙草で二度叩き、先に伸びていた灰を落とした。


「いいアイデアだ」

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