鉄と肉と
ぎりっ。
力と力がせめぎ合う音がした。
幾重にも交錯する白く乾いたハロゲン灯の光に照らされながら、鋼鉄の巨人と巨大な獣は掌と掌を掴みあって、真正面から力比べの体勢になった。
ごあっ!
ゴリラが吠え、両の腕に一層の力を込める。
ぎゅいいぃぃ……!
タケミカヅチのアブソーバが最短まで縮みアクチュエータが対応の為に回転を上げる。それに呼応して背中の真新しいガソリンエンジンが高らかに歌った。
それは決して痛々しい悲鳴ではなく、設定応力限界を超えない、対応できる範囲の加力だった。
「……いける」
牙を剥くゴリラの顔面をすぐ目前に見ながら、真矢は落ち着いていた。
機体各部のコンディションと環境アイコンをちらりと見て異状がないことと地盤強度が充分あることを確認する。
(八割の力で握り、力まずに早く、正確に)
自分のコントロールスティックの握りと新造されたスイッチ類の位置を確かめる。
きゅっ、と足先を少しにじって、フットペダルに対する足の位置をいい位置に据えた。
乾く唇。
彼女は小さく舌を出して唇を舐める。
「行くよ……タケミカヅチ!」
右の親指のスイッチ。
かしゃんっ! きぃー……ん……。
タケミカヅチの右手の甲から二本の電撃端子が飛び出す。専用コンデンサが高周波を発しながらチャージを始める。
ゴリラの視線と注意が、一瞬その装置の動きに向いた。
ぐるん、と左腕をこねるように回しゴリラの手を解き自由になったタケミカヅチの開いた左マニュピレータが吸い込まれるように厚い筋肉の胸板の鳩尾の一点に、ひたり、と添えられた。
左手の安全カバーを人差し指で跳ね上げ柔らかくトリガーを引く。
ぱんっ!
炸裂音の音は軽く、だが音量は想像以上だった。
ブタン七五%プロパン二五%からなる撃発用の燃焼ガスは電気点火で爆発し、左腕フレームに組み込まれたピストンを射出して鋼の掌底による激烈な打撃を生んだ。
苦悶の表情のゴリラが半透明の液体を口から吐きながらすっ飛んで行く。
ガシャコ!
左前腕はスプリングの力で元に戻りながら、回転ドラム型のガスカートリッジ倉を正確に六◯度回転させ、新しいカートリッジを撃発位置に装填する。ふしゅっ、と戻るピストンが燃焼煙を押し出した。
真矢はフットペダルを一杯に踏み込んだ。
タケミカヅチは自ら突き飛ばしたゴリラに追い縋る。転がる滑るしながらなんとか体勢を立て直し顔を上げたゴリラのその顔面に
ぐしゃっ!
走行速度の運動エネルギーを乗せた強力なパンチを見舞った。
だが、黙ってやられるゴリラではなかった。転がった先で手にした岩を軽々と振り上げると、力任せにタケミカヅチのコクピットハッチの左側面に叩き付けんと剛腕を振るった。みりっ。血管の浮いた筋肉が音を立てた。
しかしその動きは真矢に見えていた。
VRモニタの恩恵である。
彼女は右足と尻尾で踏ん張り左足に荷重を移し左腕を垂直に上げて防御の姿勢を取った。空気を裂いて米俵ほどの岩塊がタケミカヅチに急迫する。
ガシャッッ!
砕ける岩。防御は功を奏したが、衝撃を受け止め切れずに左腕がコクピットを打ち真矢の身体も大きく揺れた。機内灯が明滅する。ベルトが彼女の華奢な身体に食い込んで骨を軋ませる。奥歯の食いしばり。タケミカヅチは一メートルも右にずれた。左腕の黄色警報。フィードバック異状だが動かない訳ではない。『電撃端子』の表示の下に『可』が大きく青点灯した。
警報を無視しながら左手で再びゴリラの右腕を巻き込むように捕まえる。
左脇腹にレバーブローを叩き込むタケミカヅチ。真矢はそのまま電撃端子のトリガーを絞る。
バシッシシシシシ……ッ!
きゃぁぁぁぁぁっ………!
短く断続する通電音にゴリラの悲鳴が重なった。それは意外にも若い女が上げるような甲高い声だった。
タケミカヅチの腕の中で激しく痙攣する巨獣の身体。機体を揺さぶるモーメントを重心を落とし尻尾をつっかえ棒にして押し殺す。ゴリラの身体から薄っすら白い煙が立ち昇る。放電が終わる。青い『可』の表示が赤い『充電中』の表示に変わり、その下に再チャージ完了までの秒数がコンマ二桁単位で目まぐるしくカウントされる。再びきぃー……ん、という高周波が遠くに聞こえた。
一度はぐったりなりかけたゴリラだったが、それでも奴は戦意を失ってはいなかった。
捕らえられた左腕を軸に両足を持ち上げてタケミカヅチの胴体正面にそれを当て込むとそこを足場に
ぐいんっ!
両足力一杯で跳躍した。
ばきん、とゴリラの腕の関節が外れる振動が真矢に伝わる。カメラは空中を遠ざかるゴリラの左足が血の尾を曳いたのを捉えていた。
「猿渡さん……そこにいますか⁉︎」
『ああいる。ここにいる。君と、タケミカヅチと……一緒にいる!』
「市長は?」
『課長が引っ張って避難させたよ。他のみんなも避難した。今ここには僕だけだ』
「ランチャーの準備を」
『……成る程な。任せろ。だけど真矢めぐみ。無理はするなよ、絶対に!』
「はいっ!」
タケミカヅチは力強く地を蹴って駆けた。
ゴリラは傷付き疲れ果てている。
足を痛め、走るのも跳躍するのも激痛を伴うようだ。
右肩は折れたか外れたか、もう使い物になるまい。
タケミカヅチの前照灯に照らし出される黒いゴリラのシルエット。
『電撃端子』の下に再び『可』の表示が青点灯する。
「おおッッ!」
真矢は吠えた。ベタ踏みしたフットペダルがタケミカヅチを最高速度に連れて行く。
地を擦るようなアッパーカットを放つ体勢で踏み込むタケミカヅチ。
真矢は視た。
ゴリラの左手が何かの紐を引こうとしているのを。
(……行けない!)
だが遅かった。
かんっ!
ドスン!
鉄パイプから削り出された巨大な矢は、ゴリラの頭の直ぐ脇をすり抜けてほぼ真正面からタケミカヅチのコクピットハッチに深々と突き刺さった。
「嘘だろッ!……真矢っ……ああっ!」
猿渡は目の前が真っ暗になるという言葉の意味を体得した。
「うぉっ、そんな……めぐみィィィィッッッ……!!!」
血を吐くようなその叫びはほんのりと白み始めた蝙蝠山の空に絶望の色で響き渡った。
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