衝突


『発煙筒投入。催涙ガス注入開始』


 甲班は直ちに定められた作戦手順を実行する。

 風穴の支洞は崩れた本洞の最奥に近い、元々通風口として利用する予定だった平均直径一メートル程の穴で、穴自体に適宜発煙筒が投入され、更にボンベ式の催涙ガス発生器から生じるガスを狭所作業用の送風機で大量に注入する手順だった。

 ガスの成分は海外の特殊部隊などが暴徒鎮圧に使うのと同種のカプサイシンとブロモベンシルシアニドの混合気体で、少しでも目や鼻、喉の粘膜に吸着されれば、激しい咳や涙が止まらないと言った症状を引き起こす強力なものだった。


 皆が固唾を飲んで大正風穴の入り口を見守る中、タケミカヅチの中の真矢はマニュピレータをマニュアルモードに切り替えると、タケミカヅチをゆっくりと前進させた。


『どうしたタケミカヅチ。まだ待機でいい。目標が出てくるまで待て』


 猿渡の声は訝しむ気持ちが滲んでいた。

 だが真矢はその声を無視し、何かに突き動かされるようにタケミカヅチを左に周り込むように風穴入り口に接近させる。


『真矢さん? どうした? 余り前に出るとネットの投射域に掛かる。止まってくれ』


 真矢は再度、猿渡の指示を無視する。

 言語化できない。

 だがこうしないとヤバい、という焦りのような感覚が彼女の背筋から繰り返し立ち昇り、彼女に、タケミカヅチに行動を促していた。


 作戦の主役であるタケミカヅチの、管制を外れた勝手な動きに現場の空気がざわつき始めた。

 風穴入り口からはうっすらではあるが発煙筒のものと思われる煙が漏れ出し始めている。


『タケミカヅチ。真矢。聴こえるか? 犬飼だ。まずはその場で停止しろ。現在の行動に理由があるなら説明を--』


 かんっ


 犬飼の制止を何かが弾ける音が遮った。


 どんっ


 大きく一歩踏み込んだタケミカヅチは左腕を伸ばして空中の何かを掴む。


 タケミカヅチの握り拳の中で、びぃぃん、と振動するそれは、太い竹を削って作った槍……いや、何かの樹脂の板の矢羽根を結わい付けられた巨大な「矢」だった。


 それは風穴の投光が届かない奥から、真っ直ぐに指揮所に立つ石野を狙う軌道を描いていた。

 タケミカヅチが阻止していなければその矢はやすやすと樹脂のフェンスを貫通して石野を殺していただろう。


「弓矢っ……⁉︎ まさかゴリラが弓矢を⁉︎」


 猿渡は驚愕した。そして同時に真矢の行動の意味を理解した。


 かんっ


 第二射の音がした。

 タケミカヅチは自らを盾にするように指揮所の前に立ちはだかる。

 だが、二射目は最初からそのタケミカヅチそのものが標的だった。


 奴は、ゲー・フュンフは思ったより賢い。


 自身で言った台詞を思い出しながら、猿渡は相手を侮り、勝手な動きをする真矢に苛立ちさえ覚えた自分に歯噛みした。


 タケミカヅチが右足を上げた。


 尻尾と左足を支えに器用に片足立ちの姿勢を維持する。


 今度はなんだ、と猿渡が思った瞬間、どっ、と音を立てて巨大な矢がタケミカヅチの右足の真下の地面を跳ねた。


 タケミカヅチの足を狙ったらしいそれは一矢目のそれとは違い先端に何本も長い金属のボルトが括り付けられており、タケミカヅチの足、可能なら剥き出しの関節部分に当てて、その機能を失わせようという確かな意思が込められていた。


 猿渡は戦慄した。

 奴はこちらの作戦を読んでいる。洞窟から観察して、最高指揮官が誰かをも把握している。石野を狙い、タケミカヅチの足の関節を狙うのは、この状況でゲー・フュンフが取るべき最適の判断と思えた。


 何故?

 どうやって?

 どうしてゴリラにそんな事が?


 それより何より理解できないのは、想像を超えた生物兵器の知的な攻撃を完璧な予測で防ぎ、躱した真矢の行動だった。


『指揮所の電気を落とし、市長を避難させてください。捕獲ネットは撃つだけ無駄です。このまま突っ込みます。このままじゃ--』


 言いながら真矢は、タケミカヅチは走り出す。


『--逃げられる』


 言い終わるか言い終わらないかのタイミングで風穴から黒い塊が飛び出して来た。

 速度の乗ったタケミカヅチはその巨大な生物と、風穴を出てすぐの所で大きな音を立てて激しく衝突した。



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