通達

「蝙蝠山ごと……焼き払う⁉︎」


 頭に包帯を巻き、顔には絆創膏を貼った猿渡は、役場の大会議室で椅子を蹴って立ち上がると大声を張り上げた。


「無茶苦茶だ! 山は大事な観光資源です! 登山道や展望台! 植物や動物! 秋の紅葉! 春の桜! 何百年もここの象徴! 人々の心の拠り所なんですよ‼︎」


「猿渡、だったな?」


 長身で長い黒髪の美人は、腕を組んだまま僅かに目を細めた。身体にぴったりとしたダークグレーのビジネススーツ。艶のある生地の白いブラウス。黒い革のヒール。

 はっきりとした発声の声は良く響き、綺麗な音だが迫力を伴って猿渡を打った。


「私は意見を聴きに来たのではない。政府の決定を通達に来ただけだ」


 市長の石野はぴしゃり、とそう言い切った。


「相手はゴリラ一匹です」


 犬飼も同じ位はっきりとした口調で切り返した。


「多くの動植物と観光資源を巻き込んで、山ごと焼き払う理由をご説明願いたい」


「今回は私も遣い走りだ。詳細は聴いてはいない。だが……」


 石野は犬飼に向き直り、組んでいた腕を解いた。


「さる筋からの圧力だろうな」


「米軍、ですか?」


 石野は答えない。


「その勢力はゲー・フュンフだけでなく、ゲー・フュンフがいた痕跡も含め根こそぎ消してしまいたいのだろう。加えて自衛隊は万が一にも人的損害を出したくないし、実包を使用した記録も残したくない。武装した部隊で包囲し、四方から火を掛けて、広範囲を焼き払うのが、彼らにとっては最も都合がいいんだ。この部屋は禁煙か?」


 犬飼は頷いた。

 石野は小さく溜息を漏らす。


 二人のやり取りの空気感に、猿渡は二人が旧知の中である事を感じ取った。


「状況は今晩、零時丁度に開始される。道路は自衛隊が封鎖するが、役場からも民間人に立ち入り禁止を固く通達してくれ」


「時間を、頂けませんか?」


 そう言ったのは真矢だった。


「私たちがゲー・フュンフをなんとかします。そうすれば、米軍……自衛隊もお山を焼く理由はなくなるはず」


「君は……タケミカヅチのパイロット、真矢、だったな。どうやって? タケミカヅチは腕と発動機を失い、内蔵バッテリーだけでは十分と動かないと聞いているが? 制作した大石教授は既に鬼籍に入っておられ、修理もままなるまい? それに例え機体が万全だったとしても、ゲー・フュンフを殺せるのか? 君一人で?」


「殺すんじゃありません!」


 真矢は怒りを乗せた声を石野に叩き付けた。


「私がゲー・フュンフと戦って感じたのは、恐怖でした。私のじゃありません。ゲー・フュンフの、です」


 会議室は静まり返る。


「彼女は怖い。だから攻撃的にならざるを得ない」


「……バイオ強化ゴリラと話し合いでもする気か? 指を噛ませても懐くとは思えんが」


 真矢は、ふ、と頰を緩めた。


「一度はとっちめないと、いい関係は築けないでしょうね」


「君は伝説の拳法使いか何かで、一人でアレを倒す力があるのかな?」


「市長は聡明な方とお見受けします。ですが今回は、二つお間違えです」


「ほう」


「第一に、タケミカヅチはまだ戦えます。そして第二に、こちらの方が重要ですが--」


 真矢は会議室の、犬飼や猿渡、竹中や橘巡査長、水谷町長を振り返る。

 そしてきっぱりと言い切った。


「--私は、一人ではありません」


 くっ、と喉を鳴らした石野は、弾けるように笑った。


「いいだろう。市としてもむざむざ蝙蝠山を失いたくはない。それに私個人としては、決して奴らのやり方が愉快なわけじゃないからな」


 石野は折り畳みの携帯電話を取り出した。猿渡はスマートフォンでないことを意外に思った。


「私だ。困ったことになった。老人が一人行方不明でな。……いや、その件とは別だ。徘徊癖のある女性で、どうやら蝙蝠山に分け入ったようだ。今青年団が探しているが、加藤に状況開始時間を精一杯伸ばすよう伝えてくれ。……ああ。もちろんだ。彼女が見つかり次第すぐ連絡はする。……心得てるよ。分かった。連絡を待つ」


 石野はそう言って一度電話を切った。


「タケミカヅチはどうする? 片腕で十分に満たないタイムリミット内に賭けるのか? 賭け金は蝙蝠山なんだぞ」


「それについては--」


 答えたのは犬飼だった。


「--用意があります」


 犬飼は自信ありげに笑みを浮かべた。

 石野がそれに楽しそうな笑みで応じた瞬間、石野の携帯が鳴った。


「私だ。久しいな加藤。挨拶はいい。……うん。……なるほどな。条件は? ……妥当な線だろうな。分かった。……ふ。心配するな。一通り落ち着いたらレポートのコピーを回す。……ああ。助かった。いつもすまないな。……了解だ。ありがとう」


 交渉は成立したようだった。


「作戦開始は明朝マルロクまで延期された。残念だが私の力ではこれが精一杯だ」


「明朝六時……充分です。ご尽力に感謝します、市長」


 犬飼の謝辞に、石野が頷く。石野はそのまま、にこにこ話を聴いていた水谷町長に向き直った。


「すみません。水谷町長。ご管轄の町をお騒がせして」


「それはこちらの台詞だわ。石野さん」


 老婦人は上品にそう答えると、お茶を一口啜った。


「町の出来事で市長のあなたに苦労を掛けることをお詫びするわね。ごめんなさい。傷は、もういいの?」


「天気が悪いと痛みますが、普通の生活には支障ありません。蝙蝠山役場の方々の試みが上手く行こうとそうでなかろうと、市は全力でフォローします。悪いようにはしません」


「頼みます。若い人たちが理不尽な目に合わないで済むように」


「終わったら一席設けましょう。水谷さん。玉露の新茶で」


「ブランデーが頂きたいわ。あの頃みたいにね」


 石野は笑って、役場のメンバーに向き直る。


「今が二◯時前。蝙蝠山に火が点くまであと十時間しかない。準備を急げ。諸君らの奮戦に期待する」


 彼女は、かっ、と靴の踵を合わせると、びっ、と切れのある礼をした。

 真矢を始めとする面々も、それぞれ礼を返した。


 石野が会議室を出ると、犬飼が場を引き継いだ。


「さて。これから我々が取るべき唯一の作戦を説明する。そして説明が終わったら--」


 犬飼は肩の力を抜いた様子で言った。


「--まずはメシにしよう」


 

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