救出
モニターから大猿が消えた。
違う。舞い上がる砂埃と落ち葉から大猿は跳躍しフレームアウトしたのだと真矢が悟った瞬間、がん、という強い衝撃と共にカメラが何かに遮られた。途端にタケミカヅチのバランスが崩れ、足元の地面を踏み崩し関節とフレームを軋ませながら後ろに倒れようとする。
ゴリラは十メートル余りを跳躍し、タケミカヅチの上体にのしかかるように飛び付いたのだ。
(倒れる!)
全ての操作が間に合わず転倒するしかないと真矢が覚悟した時、タケミカヅチのOSのオートバランスは絶妙のタイミングでその役割を果たし、一歩、半歩と退いて転倒を回避した。
「いい子ね!」
強烈な力がガンガンと機体を殴る音を聴きながら、真矢は思わず愛機のフォローをねぎらった。FRPが引きつるような音を立てて凹みを作る。だが織り込まれた捕材のガラス繊維は、装甲が決定的に断裂することをぎりぎりで防いでいた。
マニュピレータ……腕の操作をマニュアルに切り替える。密着した相手と戦うようなモーションをタケミカヅチのOSは持っていない。左右のコントロールスティックが直接タケミカヅチの左腕右腕と同期し、タケミカヅチの上半身は彼女の拡張された鋼の身体となる。
ゲー・フュンフは殴打による機体の破砕を諦め、ハッチの僅かな凸部に指を掛けて唸りを上げながらそれを剥がそうとし始めた。
ぎいっ、とハッチのヒンジが悲鳴を上げる。
「このぉッ!」
正面のモニター。その先のコクピットハッチ。そこに取り付く筋肉の塊のようなケダモノ。モニターの視界は黒い毛皮が遮っていてほぼ見えず、敵の正確な位置こそ分からないが、真矢はハッチ直近をこそぎ取るように左右から拳打を連発する。
ごんっ! ごごんっ! ごんっ! ……
「ぐごほぉっっ!!!」
四発目か五発目がどこか急所に当たったしく、ゴリラはタケミカヅチを蹴飛ばすように再び跳躍すると、少し離れた茂みに飛び込んで姿を消した。
タケミカヅチは姿勢を低くして四歩退がることで崩されたバランスのモーメントを相殺した。一瞬だけ明転したモニターが風景を再び映し出す。
(トラックから離れないと……!)
真矢は消えたゲー・フュンフを追うように、タケミカヅチを前進させた。
***
タケミカヅチが踏みしだいた背の高い草や灌木のなれの果てが作る道を、猿渡は駆け下りた。
目指すは飯島老の乗る軽トラック。足元の荒れた路面。強化ゴリラと戦うタケミカヅチ。視線を行き来させながら斜面を転がるように下る。
トラックまであと七、八メートル、と言った所で猿渡は一度止まり、身を低くして様子を伺った。
タケミカヅチとゲー・フュンフがトラックに近過ぎる。
猿渡は改めて、タケミカヅチに組み付き殴ったりパーツを剥ぎ取ろうとしたりしている巨大な類人猿をまじまじと見た。
「でけえ……」
彼は初見の折と同じ感想を口にした。
体格は、基本姿勢で三.二メートルを誇るタケミカヅチよりやや小さいようではあるが、ゴリラとしては破格に大きい。
真矢は下肢の挙動をオートに任せ、左右の腕をマニュアル操作に変えて対応したようで、手動ならではの柔らかな動きで取り付くゲー・フュンフを殴り始めた。
「おおっ!」
猿渡は思わず歓声を上げた。真矢は普段はどちらかと言えば大人しい地味な印象の女の子で、華奢で小柄な体躯と相まって荒事には向いてないと考えていた。パイロットに抜擢されたのは彼女の身体の小ささの故で、真矢は元々どこにでもいるⅢ種採用の事務職の女の子だったのだ。
その彼女が、米軍の生物兵器を相手にあり合わせの広報用ロボットで互角の格闘戦を演じている。
マニア気質の猿渡の胸を一瞬、興奮と感動が満たした。
だが、それに浸っている暇はない。
見ればタケミカヅチのスチールフレームの拳が、ゴリラの脇腹を直撃し、苦悶の声を上げた獣はタケミカヅチを蹴って再び茂みに消えた。
タケミカヅチは追撃に移る。
トラックから離れようとする真矢の意図を汲んだ猿渡は、迷わずトラックに向けて飛び出した。
開いたままの窓から中を覗けば、意識を無くした老人がぐったりと身体をドアに預けている。額に擦り傷があるが、猿渡は軽症と見て取った。呼吸はしている。彼はひとまず町民の命があったことに感謝した。
「飯島さん! 聞こえますか⁉︎ 飯島さん‼︎」
「う……」
「役場の者です。助けに来ました。上まで上がります。さ、降りて」
「う……はぁ……」
飯島老人は溜息のような息を吐くと、猿渡に導かれて車外に出た。意識はあるものの朦朧としてるようで肩を貸さねば歩けない。斜面を上った駐車場まで辿り着くには時間が掛かりそうだった。
その時、すぐ近くで草を激しく踏み分ける音がして猿渡は身を固くした。
慌てて大きな動作で音のした方を振り向けば、その動作自体に驚いた様子の犬飼がそこにいた。
「課長……脅かさないでくださいよ」
「お互い様だ。こっちは支える。上がるぞ」
「はい!」
猿渡と犬飼は飯島老人を両側から支えながら彼を半ば引き摺るように来た斜面を登り切る。上がり切って振り向けば、タケミカヅチは灌木まばらな斜面と森林の境目で、それ以上の踏み込みを躊躇していた。
「飯島老人は救助した! 後退だ!」
返事がない。荒い呼吸の音だけがやけに生々しくイヤホンから漏れ出ている。
「聴こえる⁉︎ 真矢さん。状況は⁉︎」
老人を犬飼に任せた猿渡は、斜面の上から覗き込むように身を乗り出してそう叫んだ。
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