狩猟老人救出作戦


『主発動機始動』


 猿渡の合図に、真矢は市のゆるキャラのキーホルダーが付いたイグニッションキーを回す。


 どるるん、るるる……


 空冷4サイクル傾斜型OHVの発電用エンジンが、コクピット背面の壁越しに力強い脈動を伝えて来る。


 モニターが起動し、一瞬システム仕様を報せる英字の画面が流れた後、周囲の景色が映し出された。

 正面メインモニターのすぐ下にあるインフォメーションパネルのコンディションアイコンが次々に赤点灯し、黄色を経て緑に変わる。


 真矢はその、エンジンを模したアイコンのランプの色を確認して答える。


「青点灯、チェック」

『電気系統』

「チェック」

『カメラ、センサー群』

「チェック」

『操縦・駆動系』

「チェック。全青点灯確認。タケミカヅチ、起動準備よし」

『よし。ゆっくり立って降車だ。桁を踏み外さないように』

「了解。タケミカヅチ、起動します」


 両手と膝を突いた姿勢から、命を得たメカトロニクスの塊がゆっくりと起きあがる。

 前のめりだった搭乗姿勢が徐々に起き上がり、トラックの荷台を映していたスクリーンの視界が人の背丈をゆうに超える高さから周囲を見渡す景色へと移り変わってゆく。


 体高三メートル、乾燥重量二.八トンの機械の巨人は、そろりそろりとアルミで出来たスロープ板を降りてゆく。

 猿渡はその足元と姿勢バランスとに交互に気を配りながら、タケミカヅチの降車を見守った。


 大地に降り立ったタケミカヅチは、腕を上げ下げし、拳を開き、そして握った。


 国道と細い山道の分岐点近く、緊急避難や一時停止用に道幅が広くなった場所。

 カラーコーンを前後に置き、ハザードを点滅させて停車する二台の車両が、彼らの臨時前線基地だった。

 猿渡は軽のワゴンの運転席に収まる。犬飼はタガミカヅチの降車を見届けると猿渡の隣、助手席に入った。


『起動問題なし』

「犬飼だ。聴こえるか」

『真矢です。聴こえます』

「確認する。今回の目的は何らかの理由で行動不能となっていると思われる町民、飯島賢雄氏の保護だ。危険動物による妨害や攻撃の可能性がある。真矢」

『はい』

「危険を感じたら退避を優先と肝に銘じておけ。こちらの了解は得なくていい。後ろを向いて、一目散に逃げろ。タケミカヅチの主な装甲の材質はFRPだ。残念だがゴリラのパワーなら破砕が可能だと思われる。しかも相手は兵器として調整された猛獣だ。通常のゴリラよりも危険性は割り増しで考えるのが妥当だろうが、それがどの程度なのかは未知数だ」

『その場合、飯島さんは……』

「……君が危険なら、君の安全を優先だ。全ての責任は私が負う。退避しろ。必ずだ。いいな」

『……』

「真矢。返事が聴こえない」

『……了解』

「真矢さん、モニターしながらこっちでも状況判断は手伝う。一緒にやろう。君一人の仕事じゃない。課全体で取り組む人助けだ。全力を尽くそう。結果に後悔しないで済むように」

『ありがとうございます猿渡さん。了解しました』

「飯島老は登山口の直前まで車で入り、そこからは徒歩で山林に入るのが常だったようだ。四トンは市道には入れない。タケミカヅチ先頭に我々はワゴンで続く。ここから市道を四○○メートル徐行で北上、登山口前の駐車場で周囲の状況を確認。以降は当該地点での状況によるが、何の痕跡も無ければ引き返す。タケミカヅチの性能上、宛てもなく山野を彷徨うのは成果が期待できないばかりか危険が増すだけだからだ」

「課長」

「なんだ」

「万一、自衛隊と接触した場合は……」


 考えたくはなかったが、猿渡はそう尋ねずにいられなかった。


「……自衛隊がゲー・フュンフをロストした地点から十五キロ。時間的に見て捜索範囲にこの山が入っているかどうかは微妙な所だが、万一捜索部隊と接触したら大人しく向こうの指示に従おう。幾らなんでもいきなり撃っては来ないだろうが、タケミカヅチに防弾性能はない。戦っても勝てないからな」

『ゲー・フュンフ……そのゴリラに出会ったら戦闘、とかになるんでしょうか……?』

「可能性はあるが、全力でそれは回避しよう。飯島老の保護が今回の目的であって、ゲー・フュンフそのものをどうにかする必要はない」

「後は出たとこ勝負、ですね」

「すまない。前例もマニュアルもない。繰り返して言うが全ての責任は私が負う。全力を尽くし、結果がどうであろうと全員で無事に帰還する。いいな」

『了解』

「了解」

「よし。行こう。タケミカヅチ前進。猿渡、タケミカヅチに合わせて前進だ」


***


 

 登山口へと続く市道は幅三メートル程の一車線のアスファルト道路だ。


 タケミカヅチは二足歩行である為、瞬間的にその片足の狭い接地面積に二.八トンの自重全てが掛かる。

 アスファルトであればまず踏み抜くようなことはないが、一歩山野に踏み込めばまともに歩けるかどうかも怪しかった。


 フットペダルを浅く踏み込みながら、真矢は、ごくり、と喉を鳴らした。


 モニターは、昼下がりながら鬱蒼とした樹林の陰で薄暗い林道が、前方から後方へ流れる様子を映し出す。

 

「……いる」

『見えたのか?』

『こちらからは何も……真矢さん?』

「見えてはいません。そう、感じるんです」


 殺気……いや、視線だ。


 森の奥、木の上、或いは地面の起伏の陰。

 どこからか、誰かが自分達の一挙手一投足を凝視している。


 異常な事態の中、生涯で最も研ぎ澄まされた真矢の凡ゆる感覚が、彼女にそう警告していた。


 やけに喉が乾く。

 落ち葉が散乱する薄暗い林道の四○○メートルが、彼女には遠い遠い道のりに感じられた。


 軽のワゴンのハンドルを握る猿渡も緊張していた。


 徐行で進むワゴンのフロントガラスの先には、細かく振動する軽油エンジンを背負ったロボットの背中が一定のペースで左右に揺れている。


 助手席の上司、犬飼は一見いつもと変わらぬ様子で平然と座っているが、その眼は瞬きもせず前方を見据えており、見えざる敵への警戒に注力しているのは疑いなかった。

 

 猿渡は視線だけで左、右また左、と辺りを窺う。

 だがそこには春から夏に移り変わつつある季節の中、生命の息吹を葉の繁りで一杯に表現したような雑木の林が広がるばかりだった。


 バックミラーに目をやるが、そこもまた過ぎ行く山林をただただ映すばかり。

 ミラーに下がる役所の誰かが付けた交通安全の鈴付きお守りがゆらゆらと揺れるのが妙に目に付いて、猿渡はそれを必要以上に忌々しく感じている自分を意識した。


 静かだった。

 

 低く響く二つのエンジン音。

 一定のリズムでアスファルトを軋ませる重機の駆動音。

 鳥の声すら聞こえない。何かの気配に一帯の生き物たちが逃げ出したのか、それともこの周辺は普段から同様なのか。


 緊急時にタケミカヅチが後退できるだけの間隔を保ちながら、目の荒い路面を撫でるように進むワゴン車の運転席で、猿渡もまた、ごくり、と喉を鳴らした。

 

 永遠に続くかと思われた無機質な静寂は、やや上ずった真矢の声で破られた。


『駐車場、見えて来ました』

「速度そのまま。まずは駐車場の中央まで進む」

『了解』


 蝙蝠山登山口の駐車場は、整備されてから二十年程が経つ。

 駐車場、とは言っても車一台一台を区切るライン等は無く、アスファルト舗装された広場を囲むように一段高くなった歩道が敷設されている作りだ。


 登山道に入る階段の脇に、町が設営したカラーのイラスト地図の立看板と、雨宿り用のバス停のような屋根、ベンチ、地域の業者が設置した自販機があった。


『車は? 飯島老の車は幌付きの白い軽トラだ』

「車……車は一台も……待って下さい! 左側! 見えますか? 柵が壊れてる!」


 敷地の左奥、崖と歩道とを分かつ焦げ茶に塗られたスチールパイプと鉄条からなる簡素なフェンスは大きくひしゃげて壊れ、敷地の外に向かって折れ曲り広く口を開けていた。


「接近して下を確かめます」

『気をつけて。車が転落していて、それがゲー・フュンフに寄るものなら、まだ近くにいるかも知れない』


 猿渡の声は幾分緊張してはいたが冷静たろうと努めているのが伝わって来て、真矢は少しだけ頬を緩めた。


 一人じゃない。


 その感覚は彼女の拠り所となって、その背中をそっと推した。


『ワイヤを準備する。猿渡』

『はいっ』

『真矢。崖下の状況を確認してくれ』


「……行きます」


 一際軽やかに軽油エンジンを轟かせ、タケミカヅチは歩行速度を上げた。

 

 一気に三十メートル程を早足で移動し、壊れたフェンスの手前の歩道の段差に片足を掛ける。

 段差をセンサーが感知し脚部のダンパーが感知した段差のレベルに合わせ、ちぃー、と音を立ててストロークを調整する。


 タケミカヅチは段差を越え、歩道で立ち位置を取り直すと、ゆっくりゆっくり前屈みになりながら崖下を除き込む。

 崖、と言ってもそこは切り立った絶壁ではなく、灌木が茂る斜面で、だが一部は何かで削ったように赤茶けた地肌を晒していた。


 その切れ切れの地肌の帯の先、そこに大きな木に横向きに突っ込んで擱座した軽トラックがあった。


 そしてその運転席の窓からは、力なく下がる人間の手がはみ出していた。

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