ロボットのいる役場
「お昼、どうします?」
月次の収支報告を打ち込み終えた猿渡はパソコンを閉じて席を立つと、大きく伸びをしながら課長の犬飼に声を掛ける。
犬飼は四十に差し掛かる中年と言っていい年齢の筈だったが、若作りな顔立ちとスマートな体躯が彼を年齢不詳に見せていた。
段取りや根回しの上手い仕事の出来る独身課長は、こんな田舎の役場の課長よりも銀行マンか商社マンでもしているのが似合いそうな仕事振りで、田舎特有の無責任な噂によれば元公安だったり元自衛隊だったりその都度様々にキャスティングされ、一番最近では一昨年に着任した県下初の美人女性市長とデキてるなんて話までがまことしやかに囁かれていたが、彼自身はそんな事は全くどこ吹く風で、彼なりに自分の職務に確かな真摯さと静かな熱意を持って取り組んでいるようだった。
「セブンまで降りるか?」
「いえ、橋んとこのフジマートまで」
「何かしらのカレーを頼んでもいいか? カツカレーがあればカツカレー。カレーが無ければ幕内か牛丼。流石にどれかはあるだろう。収支報告は?」
「終わりました。共有フォルダに入れてあるんで確認お願いします」
「分かった。弁当は頼む。レシート、捨てるなよ」
「大体でいいですよ」
「ダメだ。お金のことはキチッとしないと」
「相変わらずですね」
「これが当たり前だ」
「あれ? 真矢さんは?」
「有線トレーニングの申請が出てる。裏庭で竹中さんと操縦訓練だろう。……二十分オーバーだな。注文取りついでに、声を掛けて休憩を取るように言ってくれ」
***
蝙蝠山町は、S県C市の県境の蝙蝠山とその裾野の狭い平野をその版図とする、人口七千余人の地方都市である。
面積の大半を山林が占め、多くの住民が林業・農業従事者である山地集落の例に漏れず、ピークだった一九七◯年から人口は緩やかに減少の一途を辿っており、少子高齢化が原因の諸問題は国家の二十年を先立って町にしっかりとその陰を落としていた。
町の木はモミジ、町の花はサクラ。
町の中央を蝙蝠山と猪山が形作る蝙蝠山渓谷が走り、水量豊かな深見川が流れ、その流域にはキャンプ場も多くある。
老朽化した町役場は変色でやや黒ずんだ壁肌の三階建ての建物で、如何にも低予算で建てた面白味も何もない四角い四角い様相だったが、二年前に耐震工事の鉄筋の筋交いが壁一面に入り、それがなぜだかシルバーに塗られた為に、急に退廃した未来の施設のような妙に味のある景観に変貌を遂げていた。
裏庭は雑草が散在する荒れたコンクリートの敷地だったが、今はそこに鉄骨と鋼管で出来た高さ五メートル程の一本橋が渡っていて、それに連なる遊動ワイヤの下には、この町の役場を他の町役場と異ならせしめている稀有な特徴が、その整備責任者に見守られながら、ゆっくりとした動作で「歩いて」いた。
そう。蝙蝠山町役場は現時点のこの国で唯一、有人型二足歩行ロボットを備品として所持する役場なのである。
ヒトと比してやや腕の長い類人猿に似たデザインの、身長三メートル程のそのロボットの名は「タケミカヅチ」と言った。
***
「竹中さぁん」
降りてきた猿渡は、初老に差し掛かったタケミカヅチ唯一の専任整備士の名を呼んだ。
「おうコウちゃん。あー……もうお昼か」
「何してんです? 今更歩行訓練?」
「いやー、マヤちゃんがどうしてもってね。ほら、先月の市の桜祭りで転んじゃったろ。マヤちゃん、あれをずっと気にしててさ……」
「あー」
「オートを切って、マニュアルで歩ければってちょくちょく練習してんのさ」
「うわ……そりゃ中々っすね」
赤く錆の浮いた一本橋は、二足歩行ロボットであるタケミカヅチの為に造られた訓練用のガイドである。
万一転倒しても、タケミカヅチの背中と一本橋とを繋ぐワイヤが、機体を半分宙釣りにし、それが決定的に地面に叩きつけられるのを防ぐ。
タケミカヅチの操縦は、手で操作する二本のコントロールレバーと、足元の三枚のフットペダルで行う。
だが通常、その動作の一つ一つを手や足の操作で動かす訳では勿論ない。
予めOSには機体姿勢や対物距離に応じた無数のモーションパターンが記憶させてあり、例えるなら、ゲームのキャラクターを操るような感覚で(無論それよりは複雑ではあるが)コマンドを入力するすることで、半自動で最適な動作が出力されるのである。
一応、マニュアルで動作するモードもあるが、自分の乗ったロボの腕や足、起立角度などを限られた視野と入力装置でリアルタイムで最適化しながら歩行する、と言うのはかなり技術を要する事だった。
ちょっとの段差でグラついたり力んでしまったりした途端、その手足のブレが「入力」としてマシンに反映されてしまい、意図せぬ入力から出力される機体動作は、また違うグラつきやブレを生む。
ほんの小さなきっかけで、あっという間に誤作動が誤作動を呼ぶスパイラルが生じて転倒したり暴れたような挙動になる。
オートマチックで対応するのには問題があるようなよっぽど特殊な状況でない限り、敢えてマニュアルで操作するメリットはないと言えた。
がしゃん、がしゃんと音を立てて猿渡の眼前を横切る三メートルのロボ。
彼はそれが引き摺る電源ケーブルをひょい、と跨いだ。
タケミカヅチは背中に軽油で駆動する発電機を背負っており、通常活動時はその発電機から電力を得て各部のモーターやシリンダーを動かしているが、設備があれば有線での電力供給でも活動できる。
役場裏での訓練時は経費節減の為、専ら有線に頼って運用されていた。
同僚の女性パイロット、真矢の操縦で歩くタケミカヅチは、かなりそーっとと言う印象の動作ではあるものの歩けてはいて、猿渡はその様子から真矢が時間を見つけては繰り返し訓練してるんだと認めた。
「インカム、いいです?」
「あいよ」
「真矢さん。課長がお昼休みにしろってさ」
『あ、わかりま……』
返事で気が逸れたのだろう。
真矢の声は途絶し、タケミカヅチはぐるん、とおかしな角度で上体を捻って転倒し、ワイヤで斜めに宙釣りになった。
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