シェアハウス 三

 同日、帰りのホームルームを終えた西野は、すぐさま自宅に戻った。


 学内にいると否応にもローズやガブリエラに話し掛けられる。休み時間には何かと理由をつけて、彼の席を訪れる二人だった。これに辟易したフツメンである。二人がお昼休みの後、午後の授業を休んで、どこへとも出掛けているとは知らない。


 フツメンは逃げるように学校を去り、昨日越したばかりのシェアハウスに帰宅した。道中は往路での慣れを受けて、朝より幾らか早めに着いた。大家から預かった鍵を利用して玄関のドアを開くと、慣れない家の匂いが鼻先に香った。


 靴を脱いだ彼は、玄関を越えてリビングに足を進ませる。


 すると、そこで待っていたのは初めて目の当たりにする人物だった。


「あれ? 誰か来たよ、山野辺」


「え? あ、ニッシー、おかえりー」


「……知り合い?」


「さっき話してた子だよ。昨日ここに越してきたの」


「へぇ……」


 リビングのソファーに腰掛けて、ジロジロと西野を見つめている。


 その姿は山野辺に負けず劣らずギャルだった。


 彼女が黒ギャルである一方、こちらは白ギャルである。髪も明るい色の山野辺とは対象的に、シットリとした艶のある黒。肌と髪の色合いだけを見れば大人しく映る風貌も、耳に付けられた派手なピアスや濃いめの化粧が、彼女の内面を訴える。


 盛りに盛って作られた顔立ちは、薄い顔立ちを化粧で補っているのだろう。おかげで彼女の顔立ちは、どことなく女装した西野のそれと似ていた。ただ、その事実に西野本人が気づくことはない。


「山野辺、彼女は?」


 ソファーに腰掛けた白ギャルを眺めてフツメンが問う。


 彼の記憶が正しければ、家の住民は山野辺とユッキーの二人だけの筈だ。


「私の友達だよー。前に通ってた高校の友達だね」


「なるほど」


 彼女の言葉通り、見知らぬギャルは制服姿だった。


 下着が見えそうなほど、巻きに巻かれたスカートが印象的である。シャツも随分と短くて、腕を伸ばせばへそが見えてしまいそうなほど。手には派手な柄のカバーに彩られた端末が握られている。


「邪魔したな。外で夕食を食べてくる」


「あ、それだったらニッシーも一緒に食べる?」


「……いいのか?」


「ちょうど今、用意してるんだよね」


 そうして語る山野辺は、キッチンに立って忙しなく動き回っている。どうやら夕食の支度をしているようだ。まな板の上で包丁の動く気配や、流しで水の流れる音が彼のもとにも届けられる。


「山野辺、今日はユッキーさんいないの?」


「今日は普通に仕事いってるよー。戻るのは明け方だね」


「マジかー、ショックだわ―」


 西野を眺めていたのも束の間、白ギャルの意識はすぐに手元の端末に移った。


 どうやらこれといって話をする価値もないと判断された様子だ。


 そうした彼女の反応を受けて、西野はこれ幸いとダイニングテーブルに向かう。自室へ荷物を置きに戻ることもせず、椅子に座った。予期せず訪れた異性との交流の機会。一分一秒を惜しんでの行動であった。


 少しでも青春の経験を得ようと必死のフツメンである。


「なにか手伝えることはあるか?」


「そこで座っててくれていいよー。そう大したものを作る訳でもないし」


「……そうか」


 キッチンのカウンター越し、交わされたのは何気ない会話だった。


 だがしかし、それは西野にとっては感動的なやり取りであった。


「…………」


 手伝えることはあるか。そこで座ってていいよ。二人の間で交わされたやり取りを脳内で繰り返しては、胸に温かいものが溢れるのを感じる。今この瞬間、シェアハウスのダイニングスペースには、彼が求めて止まない青春の欠片が転がっていた。


 二年A組の教室では、まず間違いなく不可能な会話である。似たようなやり取りを文化祭の折に経験した気がしないでもないフツメンだが、あの時とは言葉を交わす相手の温度感がまるで違うと、肌を持って感じた次第だった。


「え、もしかして山野辺、そいつと仲いいの?」


「えー? 仲いいっていうか、普通だよ? 普通」


「……ぶっちゃけヤバくない?」


 おかげで早々に、白ギャルから突っ込みが入った。


 どの辺りがヤバいのかと言えば、少し気取った言動もさることながら、ローズから貰い受けた蒼色の眼球がヤバい。初見で人としての信用だとか、センスだとか、その手の諸々を全力で奪いに行く代物だ。


 おかげで昨今、してやったりの金髪ロリータである。


「たしかにヤバいかもしれないねー」


「ユッキーさんとか、絶対に嫌いなタイプじゃん」


「でも、ユッキーも普通だよ? 昨日も一緒にご飯してたし」


「マジで?」


「マジマジ」


 ダイニングに座った西野を挟んで、リビングとキッチンの間で言葉を交わす黒と白のギャルたち。その様子を眺めながら、どうやって次の会話に進んだものか、フツメンは一生懸命に頭を悩ませる。


 そうこうしていると、相手の方から声が掛けられた。


「その制服って津沼高校だよね?」


「ああ、そうだが……」


「リサって知ってる? 前に少し遊んだことがあるんだけど」


「近藤のことか?」


「え? 知ってるんだ? もしかして同じ学年?」


「こっちは二年だが、アンタは?」


「マジかよ。普通にタメじゃん」


 予期せず順調な滑り出しを見せる西野と白ギャルのトーク。


 さも友達の関係にあるかのようにリサちゃんを扱ってみせることで、ポイントを稼いだ彼である。おかげで少しばかり、相手の態度に変化があった。端末に向けられていた視線が上がり、フツメンに移される。


「それだったら竹内君って知ってる? 竹内君」


「ああ、竹内君だったら同じクラスだな。二年A組だ」


「マジ!? 西野、イイね! ちょっと私と話しようよ!」


「それは構わないが……」


 更に竹内君を使うことで、一気に距離を縮める。


 もしも本人にバレたらどのようなことになるのか、想像しないでもない彼だが、今は目の前の彼女とのお話を優先した非モテである。彼からすれば、これといって嘘を言ったつもりはない。いずれのやり取りも、受け取り方の問題である。


「私って竹内君のファンでさ。彼ってマジかっこいいよね」


「そうだな。同性から見ても竹内君は格好良く映る」


「もしかして、西野って竹内君と仲良かったりする?」


「仲がいいかどうかは定かでないが、同じ部活に所属していたことはあるな。もしも竹内君について聞きたいことがあるなら、この場で確認してくれても構わない。伝えて差し支えない範囲で答えよう」


「おぉ!? 西野ってば使えるじゃんっ!」


 西野の言葉を受けて、白ギャルの顔に笑みが浮かんだ。


 それからしばらく、西野はリサちゃんや竹内君をだしにすることで、まんまと異性との交流を手に入れた。味をしめたフツメンである。白ギャルとのトークは、黒ギャルから夕食の支度ができた旨、声を掛けられるまで延々と続けられた。


 そして、夕食を食べ終えた白ギャルは、笑顔で同所を去っていった。


 どうやら山野辺にご飯をたかりに来ていたようだ。


「随分と盛り上がってたけど、竹内君ってそんなに凄いの?」


 夕食後、食器を洗いながら黒ギャルが問うてきた。


 手伝いを断られた西野は、例によってダイニングの椅子に座っている。


 キッチンカウンター越しの会話だ。


「そうだな……」


 少しばかり悩んでから、彼は答えた。


「強いて言えば、憧れのようなものだ」


「ニッシーの憧れ?」


「ああ、竹内君のように生きること、それが俺の理想だ」


「同じクラスの同級生にそこまで言わせるって、なんだか凄いね」


「そうだな」


 西野の手元には黒ギャルが入れてくれたお茶がある。


 これをちびりちびりと飲みながら彼は語る。


「色々と挙げることはできる。勉学に優れていて、試験ではいつも上位をキープしている。運動も得意だ。サッカー部でエースとして活躍しているらしい。クラスメイトからの信頼も厚い。異性のみならず、同性からも頼りにされているな」


「まるで漫画の主人公みたいだね」


「言われてみると、たしかにそのとおりだ」


「そこまで言われると、ちょっと気になるなぁ」


「もしも機会があれば紹介しよう」


「あ、でも私にはユッキーがいるから、それは遠慮しておこうかな」


「そうか」


 山野辺の何気ない一言を受けて、西野は昨晩の出来事を思い出した。夜中、水を飲みにリビングを訪れて、予期せず耳にした彼女の喘ぎ声だ。今後は自室に水差しを常備しようと、その日の内に通販で注文を済ませたフツメンである。


 過去、似たような光景に出くわした経験は少なからずあった。そういった状況に踏み込んでのお仕事も、一度や二度ではない。しかしながら、仕事とプライベートとでは受ける影響が段違いであった。


 そうして食後の時間を談笑に過ごしていると、不意に玄関の開く音が響いた。


 白ギャルが忘れ物でもしたのかと、二人の意識が廊下に向かう。開きっぱなしであったドアの先を通り過ぎたのは、同居人の一人、ユッキーこと柳田由紀夫だった。彼は片手で頭を押さえながら、ゆっくりとした足取りで廊下を進む。


 その姿に気付いた黒ギャルが声を上げた。


「あっ、ユッキー、おかえりー!」


「ただいま。それといきなりで悪いんだけど、少し休むわ」


 足を止めた彼は、リビングに通じるドア枠越しに言った。


 どことなく具合が悪そうな声だった。


「う、うん、分かった。ところで晩御飯は……」


「外で食べてきた。しばらく寝るから気にしなくていいよ」


「……分かった」


 昨日とは一変して、口数も少なく階段を上っていく。


 その様子を目の当たりとしては、自ずと西野も口を開いていた。


「普段もこのくらいの時間帯に戻ってくるのか?」


「ううん? いつもは明け方だよ? この時間は書き入れ時だもん」


「なるほど」


 ユッキーの去っていた方を眺めて、小さく呟くニッシーだった。




◇ ◆ ◇




 翌日、津沼高校では中間試験が始まった。


 これからの数日間、生徒たちは通常の授業の代わりに各学科の試験を受ける。おかげで誰もが普段よりピリピリとしている。大学入試を考える生徒はより高い成績を求めて。高校卒業後に就職を考える生徒は、赤点と補講の回避を求めて。


 各々の理由から、必死になって教科書を睨みつける。


 普段なら談笑に過ごす登校後間もない時間、教室は少しばかり静かだった。


 そして、これは西野も例外ではない。


 以前までの彼であれば、定期試験などまるで気にしなかった。最低限、赤点と補講さえ回避すれば問題ないと考えて、試験期間中であっても、文庫本など読んで悠々と時間を潰していた。試験結果についても、学年で中程と凡庸なものであった。


 それが格好いいのだと、日々静かにシニカルを気取っていたのだ。


 だが、青春に目覚めた今日(こんにち)の西野は、学業に対しても真摯に向き合う。


 より具体的に言えば、定期試験で良い点数を取って、異性の気を引こうと考えていた。更には文化祭の最中、ローズから齎された大学進学という可能性。その役にも立つと考えれば、彼としては一石二鳥である。


 おかげで休み時間、真面目な表情となり教科書を読んでいる。


「…………」


 本日最初の試験科目は世界史Bである。


 暗記力が問われる科目とあって、仕上げに余念がないフツメンだ。数学や物理などのように、公式の応用で点数が望めない以上、愚直に一つ一つ覚える他にない。友人関係が壊滅的な彼だから、過去問が流れてくることもなかった。


「あ、松浦さん……」


 不意にクラスメイトの誰かが呟いた。


 その口から漏れたのは、ここ数日に渡って学校を休み続けていた生徒の名前である。ダンスイベントの翌日から、一度として登校していなかった松浦さんだ。そんな彼女が今まさに、教室まで登校してきたようである。


「…………」


 彼女は何を語るでもなく、自席に向かい椅子に座った。


 粛々とノートや教科書を鞄から机に移していく。


 その様子をクラスメイトたちは腫れ物でも扱うよう、遠巻きに眺めては過ごす。何故ならば二年A組の生徒たちは、ダンスイベントの当時、彼女が見せた奇行を知っていた。包丁を片手に舞台へ乱入した一件を知っていた。


 竹内君やローズ、ガブリエラといった面々の有志を一目見ようと、決して少なくない同クラスの生徒が、会場では観客スペースに控えていた。そして、メディアこそ規制できても、同じ時間を共にした面々の口は塞げない。


 結果的に松浦さんのヤンデレ認定は確かなものとして共有されていた。


 曰く、竹内君を包丁で刺し殺そうとしたらしいぜ。


 おかげで以前とは一変して、周囲からの扱いが変わっている松浦さんだった。仲の良かった教室内グループの女子生徒も、声を掛けに訪れることはない。その孤立具合は昨今の西野に迫るものがある。


 だからだろう、そこに機会を見出した男がいる。


 西野である。


 自席を立った彼は、教科書を片手に松浦さんの下に向かった。


 おかげで教室がざわめき立つ。


 おいちょっと待てよ、そこは放っておけよ。言外に訴えんばかりの視線が、フツメンに対して向けられる。しかし、だからといって躊躇するほど、彼が青春に対して懸ける思いは薄っぺらいものではない。


「おはよう、松浦さん。今日は試験初日だが、勉強の方は大丈夫か?」


「…………」


 松浦さんが自身に扱いきれる女ではないと、西野は過去の経験から理解している。なので彼女に女を求めることはしない。しかし一方で、二年A組という集団に対しては、未だに執着を感じているフツメンだ。


 同所で成功し、青春を味わうことこそが、彼の目標である。


 そこに波風が立たんとすれば、これを収めるべく動いた次第である。


 更に彼の淡い期待を挙げれば、同じ底辺カースト同士、学内では協力し合えるかもしれない、とかなんとか。ローズとの関係がそうであるように、使えるものは何でも使っていくのが彼のやり方であった。


 居合わせた生徒からすれば、波風どころか台風の上陸にも等しい行いである。


「気分が優れないようなら、保健室まで送っていくが……」


 繰り返し声を掛けるフツメン。


 まるで旧来の友人を思わせるフレンドリー具合だ。


 すると、松浦さんは彼からの問い掛けを受けて、その視線を西野の背後に向けた。そこには自席で単語帳と格闘する志水の姿がある。西野君になんて構っていられないわ、と訴えんばかりの気迫でペラペラとやっている。


「ちょっと、委員長」


「え? あ、な、なに?」


 松浦さんが委員長を呼んだ。


 その語り調子はこれまでの彼女とは一変して、酷く淡々とした物言いである。教室の隅の方で大人しくしていた当時の松浦さんとは、まるで別人のようだ。媚に媚びた声色はどこへとも消えていた。


 おかげで驚いたのが委員長である。


 一瞬、誰から声を掛けられたのかと戸惑ったほど。


「西野君は委員長の管轄でしょ? ちゃんとしておいてよ」


「え……」


 更に続けざま、与えられた台詞に目をパチクリと。


 戸惑いは数瞬ばかり。


 ややあって、彼女の発言の意図を理解した委員長は声を荒げた。


「ど、どうしてそういうことになるのよっ!?」


「違うの?」


「違うわよっ!」


 顔を真赤にして吠える委員長。


 全力で拒絶である。


 自ずと思い起こされたのは、卒業旅行で訪れた先、サントリーノのホテルで同衾した一件だろうか。その事実を松浦さんが知っている筈はないのと理解してはいるものの、否応なく顕著に反応してしまった志水は、割と素直な性根の持ち主である。


「……なにそれ。必死すぎない?」


「ア、アンタが気色悪いことを言うからでしょ!?」


「本人の前でそういうこと言うの? それって酷くない?」


「っ……」


 本日の松浦さんは、どこまでもクールだった。


 妙に達観していた。


 もはやこの期に及んでは、体裁を取り繕うことにも意味がないと、周囲からの認識を理解してのキャラチェンジである。相手がカースト上位に位置する委員長であっても、まるで構った様子もなく煽ってみせる。


 失うものが何もない松浦さんは、学内で無敵だった。


「松浦さん、俺に気遣うことはない。委員長を悪く言ってやるな」


「いやいやいや、気遣ってないから。勝手に勘違いしないでくれる?」


「そうなのか?」


「当たり前でしょ? アンタのせいで私はこんなになってるんだから」


「なるほど、それは悪いことをした……」


 教室内の雰囲気が危うい。


 誰もが思った。


 無敵モードの松浦さんと西野、この二人に会話をさせると、大変なことになるのではないか。そうした思いが、彼と彼女を眺める皆々の脳裏に浮かぶ。いの一番に飛び火した委員長など、既にダメージが入ってしまっている。


 そうした只中、教室後方のドアがガララと開かれた。


 姿を表したのは二年A組のナンバーワンイケメン、竹内君である。


「ぁ……」


 イケメンの姿を目の当たりにして、誰のものとも知れない声が漏れた。


 教室に居合わせた皆々の意識が、登校間もない彼に向かう。


 一方で竹内君もまた、教室内で浮いている西野と松浦さんの姿を確認した。ダンスイベントでは当事者であり、尚且つ被害者となった彼だ。室内に入った直後、彼と彼女の並び立つ様子を目撃して、イケメンの歩みが止まる。


 誰もがその一挙一動に注目である。


 喧騒も収まって、少しばかり静かになった二年A組の教室。


 普段と雰囲気を変えて思えるクラスメイト一同。


 そうした光景を目前において、イケメンは続く言葉に躊躇した。ただ、それもほんの僅かな間の出来事である。他者へそうした尻込みを気づかせないように、極めて自然な態度で彼は言葉を口にした。


「松浦さん、週末は色々とあったけど、俺に話があるなら聞くよ?」


「…………」


「もちろん、無理にとは言わないけど、同じ教室で机を並べているクラスメイトなんだから、気軽に声を掛けて欲しいかな。きっと松浦さんには松浦さんの事情があるだろうし、俺にも俺の事情があるから、その上でお互いに話をできたらいいなと思う」


 ニコリと朗らかな笑みを浮かべてのトークだった。


 非の打ち所がない語り掛けだった。


 だからだろうか、これには松浦さんも勢いを削がれたように呟く。


「……別に、そういうのどうでもいいから」


 松浦さんはぷいとそっぽを向いて、正面に向き直る。


 何故ならば、そうして語る彼のお顔は、以前と変わらず極上のイケメンであった。今日はこれくらいにしておいてやるか、そう思えるくらいにイケていた。しかもそれが、自身の凶行を一言も責めることなく、笑顔で迎え入れてみせたのである。


 結果的に竹内君、大勝利である。


「え、嘘? 竹内君って松浦さんに刺されそうになったんじゃなかったの?」「心が広いってレベルじゃないでしょ」「今のマジ惚れるんですけど」「普通だったら絶対に許せなくない?」「っていうか、俺だったら怖くて教室に来れない」「竹内のヤツ、どんだけタフなんだよ」「こういうの憧れるんだけど」「俺も」


「そもそも、どうして松浦さんって捕まってないの?」「正当防衛ってヤツじゃないの?」「どういうこと?」「相手が殺人犯だったんでしょ?」「たしかガブリエラさんのことを狙ってたとか」「マジかよ」「殺人犯を逆に刺しちゃうとか怖い」「松浦さん凄くない?」「凄いからこそ近寄りたくねぇよ」


 女子生徒のほか、男子生徒からも多く声が上がっていた。


 その様子を確認して、竹内君はこれ幸いと自席に向かった。


 ただ、そうした彼も内心はドキドキだ。


 次の瞬間にでも、制服の下から包丁を取り出して、自身の下へ駆け寄ってくるのではないか。危うい想像が脳裏に浮かぶ。メンヘラに絡まれたのは生まれて初めての経験だった。当面、夜道には気をつけようと考えるイケメンだ。


 ちなみに松浦さんの無罪放免については、その凶行が最終的にはガブリエラの危地を救ったことから、【ノーマル】なる存在に気遣ったパパさんが手を回したに過ぎない。ただ、二年A組の面々にとっては、それもこれも預かり知らないことだ


 おかげで同日もまた、静々と自席に戻る運びとなった西野である。




◇ ◆ ◇




 試験日初日の昼休み、委員長はローズから屋上に呼び出された。


 屋上に向かうよう、端末に一方的に連絡が入ったのだ。


 試験期間中の昼休みといえば、生徒にとっては一分一秒が貴重な時間である。普段の昼休みとは比較にならない。しかも本日の委員長は、思うように答案用紙を埋めることができずに焦っている。本来ならば教科書と睨めっこして過ごす時間なのだ。


 おかげで甚く憤慨しながらの到着と相成った。


 階段室と屋外をつなぐ厚い金属製のドアを越えると、青空の下には既にローズの姿があった。ドアの開かれる気配に気づいて、空を眺めていた彼女が委員長を振り返る。そうした何気ない立ち振る舞いにも、優雅さが感じられる金髪ロリータ。


 これがまた委員長としては悔しい。


 おかげで自然と、その口からは苛立ちが溢れていた。


「理由も告げずに一方的に呼び出すって、どういうこと?」


「なにをぷりぷりと怒っているのかしら?」


「別に怒ってないわよっ!」


 昼休みの後に迫っている試験科目は、彼女が他のどの教科よりも重要視している英語である。人生の半分以上を懸けていると称しても過言ではない。そのことが殊更に委員長の気持ちを焦らせていた。


「まあ、貴方の心のあり方なんて、まるで興味がないのだけれど」


「っ……」


 ただ、そうした彼女の思いは、まるでローズに伝わらない。一方的に呼び出しておきながら、これといって感謝の言葉を述べることもなく、突き放した物言いで相手を煽ってみせる。


「……教室に戻ってもいいかしら?」


「駄目よ」


「だ、だったらさっさと話をしてくれない!?」


「せっかちな女は男に嫌われるわよ?」


「っ……」


 出会って早々、委員長の我慢は限界に達しそうだった。


 そんな彼女を薄ら笑いと共に眺めて、ローズは言葉を続ける。


「貴方にお願いがあるの」


「……なによ?」


「ここ最近、私と同じクラスに転がり込んできた転校生が、何かにつけて貴方のクラスに足を運んでいるでしょう?」


「ガブリエラさんのこと?」


「彼女が貴方のクラスを訪れたとき、もしも私の姿が周りにみられなかったら、こっちの端末に連絡を入れて欲しいの」


 どうやら恋敵に対する牽制を計画しているらしいローズだった。


 志水もまた二人の関係には多少なりとも及びがある。相手が何を意図して自分を呼び出したのか、それで理解することができた。だからこそ、委員長の苛立ちは殊更に激しいものとして、胸の内で震え上がる。


 自身の進退が懸かっている中間試験を目前にして、試験勉強の時間を他人の恋愛相談に潰されるなど、彼女にとっては由々しき事態だった。それも相手はカースト最下位のフツメンと、これに惚れたキチガイ女である。


「それと学外なんかで彼を見掛けた時も、同じように連絡を……」


 おかげで委員長は我慢の限界に達した。


 プッツンしてしまった。


 ただ、それでも普段の彼女であれば、目の前の金髪ロリータに対して、強く言うことはできなかったことだろう。学内においてローズの優位は圧倒的である。委員長であっても、真正面からあたっては敗北必死である。


 しかしながら、彼女はつい数日前、フランシスカから情報を得ていた。


 どのような情報かと言えば、それはローズに関する情報だ。


 変態JKのスパッツ動画撲滅プロジェクト、その進捗に際して発足したコミュニティの紹介を条件に、彼女はフランシスカから、ローズの弱みを聞き出すことに成功していた。そうした背景が、彼女に攻めの一歩を決断させた。


「ローズさんって、本気で彼と一つになれると思っているの?」


「……どういうことかしら?」


 雰囲気を変えた委員長の言葉に、ローズの表情が険しくなる。


 鋭さを増した目付きは、一瞥で太郎助を凹ませた代物だ。


 しかし、本日の委員長が抱える焦りと怒りは大したものだ。これを受けても決して怯むことはなかった。一秒でも早く教室に戻り、午後から始まる英語の試験に向けて、教科書や単語帳に目を通さなければならないのである。


 そうした思いが、彼女の背中をトンと押しては続く台詞を口にさせる。


「私も詳しくは知らないけれど、西野君が求めているのは、同じ学生同士の恋愛でしょう? 貴方にそうした彼との恋愛を楽しむ資格があるのかしら? 初めて聞いた時はビックリしたわ。まさか自分の父親より年上だったなん……」


 委員長の言葉が終わりきらない内に、ローズが動いた。


 数メートルほどの距離を瞬く間に詰めて、その指先が相手の首筋を捕らえる。彼女のか細い五本の指は、真正面から志水の首を掴んでいた。人類を超越した身体能力を誇る金髪ロリータだから、ほんの少しでも力を込めれば、絶命は必死の状況である。


「誰から聞いたのかしら?」


「い、言うと思うの?」


「死にたいの?」


「もしもここで私が死んだら、きっと西野君も気づくわよね」


「…………」


 中間試験に懸ける思いが、委員長に恐怖を克服させていた。


 ローズは小柄な少女らしからぬ腕力で首を締め付けている。その事実に驚愕を覚えながらも、一方で刻一刻と過ぎていく昼休みの時間を受けては、胸の内に貯まった鬱憤や憤怒、焦りといった感情が、声になって外に出ていく。


 それはフランシスカから伝えられた、ローズの黒歴史。


「……の、のじゃのじゃ言わなくていいの?」


「っ……」


 志水の何気ない物言いを受けて、金髪ロリータの足が動いた。ヤクザキックの要領で、相手の身体を突き飛ばすように、足の裏で腹部を殴打する。


 蹴られた側からは呻き声が漏れた。同時に後方へと飛ばされた身体は、そのままバランスを崩して、コンクリートで作られた床の上に尻から落ちた。


「痛っ……ちょ、ちょっと、いきなり何するのよっ!?」


 なんとなく相手のアクションを想定していた志水は、尻が落ちると同時に、肘や手を突いて受け身を取った。手首の関節に少しばかり痛みが走ったが、そう深刻なダメージでもない。肘が若干擦れた程度である。


「貴方、フランシスカと繋がっているの?」


「先に声を掛けて来たのはあっち! 私からじゃないわっ!」


「……そう」


 委員長が吠えるのに応じて、ローズは一歩を踏み出す。


 後者の動きを理解して、前者は咄嗟に身構える


 ただ、そうして歩き出した金髪ロリータは、尻餅をついた志水の隣を過ぎて、校内に続く階段室へと向かっていった。もう一回くらい蹴りつけられるかと考えていた彼女だから、その背中を眺めては些か拍子抜けである。


「連絡の件、忘れないで頂戴ね?」


「…………」


 そして、最後に一言ばかり残して、ローズは校内に消えていった。


 その姿を見送った志水は、相手の姿が見えなくなったところで、ハァと溜息を吐いて全身の緊張を解く。同時に一連のやり取りを反芻して、思ったよりも頑張ってみせた自分の行いに、少しばかりの戸惑いを覚える。


「……本当にもう、やってられないわよ」


 顎を上げて見上げた頭上、穏やかな秋晴れが委員長の視界一杯に映った。


 志水千佳子、ローズ相手に初白星である。

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