部活動 二

 ブレイクダンス同好会で赤っ恥を掻いて以降、西野はダンスの練習に没頭した。


 毎日、授業が終わったら脇目も振らずにローズ宅へ戻り、玄関ホールの鏡の前で練習を行った。ローズからは再三に渡って語学部への入部を勧められたが、フツメンの心はブレイクダンスに首ったけであった。


 例えば朝の時間、これまではギリギリまで眠っていた彼だが、ダンスの練習を開始して以来、早朝にマラソンを始めた。更に夕食後は筋トレである。その気になれば空も飛べるフツメンだが、ダンスに関しては、自身の肉体のみで行うと決めた様子だった。


 おかげで困惑せざるを得ないのが、同居人の金髪ロリータである。


「西野くん、今晩の夕食なのだけれど……」


「ああ、それに関してなのだが、プロテインを調達してもらえないだろうか? なんでも筋肉トレーニングをした後に飲むのが効果的らしい。そう高いものでなくて構わないから、どうか頼めないか?」


 例によって玄関ホールで家主を出迎えたフツメンである。


 もれなく妙ちくりんなポーズで練習の最中だ。


 界隈ではチェアーと呼ばれる、ブレイクダンスにおける基本的な技である。両手で身体を持ち上げて静止、全身でポージングを行う。如何に難易度の高い姿勢を、どれだけキレのある動きから移行できるかが評価のポイントとなる。


「…………」


 女にモテる為という当初の目標も、どこか怪しいフツメンである。


 これにはローズも焦り始めていた。


 彼女にとっての西野とは、弱々しければ弱々しいほど嬉しいのだ。衣食住、更には他者との交流を奪い、全てを自らの手により与えることが、彼女にとっての理想であり、西野に対する愛の最大の表現に他ならない。


 それがまさか、腹筋の割れたマッチョ野郎に至ってしまうなどと、遺憾も甚だしい出来事である。万が一にも、そうなった彼に振り向く異性など現れた日には、腸が煮えくり返る思いである。故に絶対に阻止しなければならない展開だった。


「あまり無理をすると、逆に筋肉が溶けることがあるというわ」


「そうなのか?」


「横紋筋融解症というのだけれど、貴方みたいな痩せ型が急に運動を……」


「なるほど、それなら明日にでも校医に相談してみることとしよう」


「…………」


 ただ、そんな彼女の思惑など、彼には知る余地もない。


 腹立たしいほど前向きな西野だった。


 こうなると手のつけられないフツメンである。


「そういえば、語学部の方はどうなんだ? 入部したのだろう?」


 それとなくローズに話題など振ってみせる西野。


 日々夢中になるものを得た為か、平素と比較して幾分か機嫌が良い。おかげでここ数日は、ローズとの会話に対しても、十分な気遣いが見られる。それ自体は喜ばしい出来事であるが故に、やはり納得のいかない金髪ロリータだ。


「辞めたわ」


「辞めた?」


「だってつまらないのだもの」


「…………」


 西野が入部しないのであれば、そこに何の価値も見出さないローズだ。初日に足を運んで以来、一度として訪れることなく、退部の手続きを済ませていた。そんな彼女が現在意識を向けているのは、当然のことブレイクダンス同好会となる。


 西野が無謀にも突撃した一件に関しては、既に確認済みである。


「まあ、好きにするといい。貴様の人生は貴様のものだ」


「言われるまでもないわね。そうさせてもらうわ」


 ローズ悲願の同棲生活も、始まってみれば毎日がこんな具合だった。


 色々と腑に落ちないものを抱えて、頭を悩ませる金髪ロリータである。




◇ ◆ ◇




 ある日のこと、放課後を待って西野に声を掛ける生徒の姿があった。


「なあ西野、ちょっといいか?」


 学年一を誇るイケメン、竹内くんである。


 終業を知らせる鐘の音が鳴ると共に、彼は西野の席に向かった。


「なんだ?」


「少し話をしたいんだ。顔を貸せよ」


 短く呟いて、顎を上にしゃくって見せる。


 屋上へ来いということだろう。


 すぐにでも帰宅して、ダンスの練習を始めたかった西野である。ただ、クラスメイトの手前、クラスのリーダー的存在からのお願いを断ることは憚られた。そう長く掛かることはないだろうと、過去の経験から判断した彼は素直に頷いた。


「ああ、分かった」


 促されるがまま、教室を後とする。


 居合わせたクラスメイトたちは、ここ最近で関わる機会の増えた二人の会話を目の当たりにして、今度はなんだろうと注目だ。しかし、その間に割り込んでまで、事情を問い詰めようという生徒はいない。


 皆々は視線を向ける限りで、二人を教室外に見送った。


 一方で見送られた側はと言えば、粛々と屋上に移動である。


 階段を登って最上階へ。


 手狭い階段室のドアを後続の西野が後手に閉めた時点で、屋上フロアは彼らの貸し切りとなる。ひゅうと吹いた木枯らしが、冬服に変わって間もない彼らの身体を冷やす。つい先月までは半袖でも過ごせていた気候が、既に懐かしい冷たさだ。


「……西野」


 屋上には他に誰の姿も見受けられない。


 その中央に立ち、フツメンを振り返った竹内くんが口を開いた。


 答える西野の態度はこれまでと何ら変わりない。


「なんだ? 竹内くん」


「俺はお前にどうしても確認したいことがある、西野」


 互いに正面から向かい合うよう並び立つ。


 屋上にクラスメイトから呼び出されて二人きり。向けられる表情はどこか強張って、緊張を感じさせる。そんなシチュエーションが、西野のシニカルな部分を刺激した。自然と返す言葉は気取ったものとなる。


「あぁ、なんでも聞いてくれて構わない。言ってくれ」


「それだ、その態度だよ、西野っ! 毎度のこと俺の癪に障るのはっ」


 おかげで速攻、竹内くんの我慢が限界に達した。


 帰国してからの数日、彼は胸のうちにモヤモヤとしたものを抱えていた。一方的に見下していた相手が、自分でも手の届かなかった女性とよろしくやっていた。その事実が彼のプライドを酷く傷つけていたのだ。


 本人もまた西野に訴えるのはお門違いだと理解している。


 それでも訴えずにはいられない竹内君だった。


「繁華街でヤクザに絡まれたとき、こっちはビビりまくりだったっていうのに、お前はどうして平然としていられたんだ? 文化祭の時もそうだ。一方的に爪弾きにされていたのに、盗まれた売上を自分の財布から戻して、格好つけたつもりなのか?」


「…………」


「極めつけは先週の旅行だ。わざわざ俺たちが向かった旅先で、あの女やローズちゃんと絡んでいたのは、俺に対する当て付けか? 言えよ! 言いたいことがあるなら、ここで面と向かって言えよっ!」


 些か被害妄想じみた物言いである。


 しかしながら、竹内君の置かれた状況を思えば、一連の訴えは尤もだった。あまりにも不自然な出来事が、ここ最近になって、彼の身の回りで頻発している。ただ、残念なことに西野には、これといって何の思惑もない。


 強いて言えば暗躍していたのはローズである。


 故にフツメンは考える。今後の学園生活を思えば、ここで竹内君と不仲になるのは、百害あって一利無しである。如何に空気の読めない彼であっても、相手が何を不服に思っているのかは理解できた。


 同時に内一つは、フツメンとしても甚だ遺憾な話である。


「まず一つ言うが、あの女は育ての親の姉にあたる人物だ」


 そこで彼の口から漏れたのは、在り来りな嘘だった。


 しかしながら、西野の顔面偏差値があまりにも普通であり、一方で相手女性の外見が極めて優れている点から、告げられた内容は語って聞かせた側が想像した以上に、竹内君の胸中ヘ素直に響いた。


「お前の親は日本人じゃないのか?」


「育ての親だ」


「…………」


 不意に竹内くんの脳裏へ思い浮かんだのは、いつぞや訪れた西野の自宅である。傍目にも疑いようのない単身者向けのアパートであった。更に言えば低所得者向けのボロアパートでもあった。何かしら家庭に事情がなければ、そのようなことにはならない。


「……そう言えば、西野は一人暮らしだったな」


「ああ、だから竹内くんが考えているようなことは何一つない」


「それにしては随分と若かったじゃないか? 肌も綺麗だった」


「あれは若作りだ。実年齢は四十近いぞ」


「……マジか?」


「マジだ」


 躊躇なくフランシスカの評判を落としにゆく西野である。


 これまでの経緯が経緯なだけあって、彼の良心はなんら傷んでいない。ちなみに本当の年齢は二十代中頃である。彼女の所属する組織においては、同年齢帯においても一番の出世頭だという。


「けど、お前、あの時のキスは……」


「あの女のフライトが迫っていたんだ。事情の説明に時間を掛けている猶予がなかった。あと五分遅れていたら、飛行機に乗り遅れていたところだったと、つい先日にも連絡をもらった。空港へ向かうまでの移動も大変だったらしい」


「……ふぅん?」


 些か苦しい言い訳ではある。


 なので西野は畳み掛けるよう、話題を変えるよう言葉を並べた。


「それとヤクザの件だが、好きな女の為に必死になるのは当然のことだろう? 人間誰しも、大切なものの為なら、目の前に何があろうと、全力で駆け出してゆけるものだ。俺にとっては、あの時がその瞬間であっただけのことだ」


 偉そうなことを語ってはいるが、結果的には竹内君にまんまと松浦さんを寝取られてしまったフツメンである。一方で寝取った側はと言えば、西野がこんな具合だから、碌に自尊心も満たされなくて、近日中にリリース予定である。


「お前、そんなに好きだったのか? あんな女が」


「そうだ」


「これまで付き合った女でも、あそこまで尻の軽い女は初めてだったぞ?」


「竹内くん、それ以上は彼女の悪口を言うな」


「……悪い」


「いや、思い起こせば、この手の話題はおあいこだったな」


 いつだかローズをあの女呼ばわりしたことを思い出した西野だ。


 当時、竹内君はその点に目くじらを立てていた。今更ながら、申し訳ないことをしたと反省するフツメンである。もちろん彼は知らない。竹内君的には単に、自身がフツメンから軽く見られたことが、気に入らなかっただけだということに。


「おあいこ? なんだよそれ」


「覚えていないなら気にするな。わざわざ思い出して不快になることもない」


「俺はお前のそういう物言いが既に不快なんだよ」


「それは悪いことをした」


「っ……」


 的確に竹内君のツボを刺激してゆく西野。


 だからだろうか、これを煽られたと感じる竹内君は、声も大きく言い放つ。


「西野、これだけは言っておく」


「なんだ?」


「ローズちゃんのこと、俺は全く諦めちゃいないからな?」


 それは非常に竹内君らしからぬ物言いであった。


 当初であれば、宣言する必要のなかった事柄である。


 何故ならば竹内君は学年一のイケメンであり、対する西野は学年一の嫌われ者である。両者の間に存在する力関係は絶対で、万が一にも越えられよう筈がない。だからこそ、わざわざ口に出す必要などなかった。


 それが今この瞬間、竹内君の口から西野に伝えられた。


 前者の後者に対する意識が、少しばかり変化を見せた瞬間だった。


「…………」


 一方、まさかそんなふうになっているとは知らないのがフツメンだ。


 反射的に口を開きかけた彼は、好きにしろ、喉元まで出掛かった言葉を慌てて飲み込んだ。過去に幾度かやり取りした経験から、どのように答えたら相手の顰蹙を買うのか、愚鈍なフツメンもまた、少しずつ学んでいる。


 更に言えば旅中では迷惑を掛けた負い目もある。


 そこで彼は竹内君をヨイショすることにした。


 気分良く教室へ戻ってもらう為にも、気を使うべきだと判断した。


「知っている。竹内くんは俺にとって、理想そのものだからな」


「あぁ? お前、それ次に言ったら殴るぞ?」


「…………」


 いずれにせよ顰蹙を買うフツメンである。




◇ ◆ ◇




 同日も西野は帰宅するなり、ダンスの練習に精を出していた。


 初めてから数日ながら、既に彼の中では習慣となりつつある。思い起こせばこれといって趣味らしい趣味もなかったフツメンだ。十代も中頃を過ぎて、ようやっと夢中になれることを見つけたが故の熱中なのかもしれない。


 そんな具合だから、少なからず成果も見えてくる。


「……できた」


 何ができたかと言えば、ウィンドミルだ。


 もちろん出来栄えは非常に拙い。それも僅か二周を回った限りではある。しかしながら、その足は本人が意図した形で、彼が思い描くブレイクダンスのイメージさながら、ブォンブォンと回ってみせた。


 最後は重心がずれて身体が移動してしまった為、足を壁にぶつけて横転。踵を殴打して、痛みが全身を駆け抜ける。しかし、その刺激すら気にならないほど、西野の心は生まれて初めて経験するダンスへの成功体験に狂喜していた。


「この成功を確かなものにしなければ」


 何かを掴んだ様子で、間髪を容れずに練習へ戻らんとする。


 そんな絶好調の彼に対して、他所から声が掛かった。


「……ねぇ、玄関で練習するのは止めてもらえないかしら?」


 今まさに玄関ドアを越えて姿を表したローズである。


 学校から帰宅した様子だ。


「帰ったか、早かったな。リビングでゆっくり寛ぐといい」


 構わず背面を床につけて、再び足を大きく振り回し始める西野。


 綺麗に回れるようになるまで、世間的には数週間を要すると言われるウィンドミルであるから、数日で二回転まで到達できた西野は、なかなか悪くない成績と言える。学生が学業の片手間に行ったとあらば、大したものではなかろうか。


「…………」


 ただ、そんな彼の熱意もどこ吹く風、ローズからの視線は冷たい。


 彼女的にはなんら嬉しくないフツメンの前向きな成長だった。


「邪魔なのだけれど」


「悪いが飛び越えていってくれ。アンタなら楽勝だろう?」


「…………」


 ローズの身体能力は西野を遥かに凌駕する。彼が必死になって練習している技であっても、彼女なら一日でものにすることが可能だろう。それどころか世間に謳われるブレイクダンスの技であれば、大半を数日で習得できるのではなかろうか。


 だからだろうか、自ずと本音がぽろり漏れた彼女である。


「……そんな床を転がりまわる踊りの何が楽しいのかしら」


「持たざる者には、持たざる者なりの楽しみがあるということだ」


 グルングルンと大股開きで足を二回転半させる西野。続くチェアに失敗したところで、バタンと大きく音を立てて両足がホールに落ちた。つま先に少なからず痛みを感じつつ、それでも心の中には、再び二回転続けて回れたことに満足感が。


「随分と楽しそうね」


「ああ、とても楽しい」


「…………」


 その満足気な表情を眺めては、流石のローズも続く上手い皮肉が出てこない。


 せっかく始まった嬉し恥ずかし同棲生活も、西野が妙なダンスにハマったせいで、碌に楽しめていない彼女である。それこそ顔を合わせるのは食事の時間くらいなものだ。更に毎日を運動に励んでいる為か、自慰をする様子も見られない。


 幾十というカメラ、集音器を西野の部屋に取り付けたローズだが、そこにフツメンが一人で励む姿は、今のところ一度として映っていない。下着が汚れていたことも、ゴミ箱にそれらしいティッシュが入っていたことも、当然ない。


 これでは何の為に洗濯当番を買って出たのか分からない。


 彼女に出来ることは、日々の食事に自らの体液を注ぎ続けることだけだった。




◇ ◆ ◇




 更に数日が過ぎたある日のこと、朝の二年A組に衝撃が走った。


「今日は皆に転校生を紹介する」


 それはホームルームが始まって間もない時分の出来事であった。何気ないふうを装い、同クラスの担任である大竹先生が言ったのだ。


 途端に教室からはわっと声が上がった。


 この手の情報は多かれ少なかれ、事前に情報が入ってくるのが常である。それが今回に関しては、なんら予兆がない不意打ちであった。


 自ずと声を上げるのは、カースト上位に位置する生徒たちである。


「せんせー、それは男子ですかー? それとも女子ですかー?」


 本日の一番槍は鈴木君だった。


 これを無視して、大竹先生は教室の外に向かい声を掛ける。


「どうぞ、入ってきていいですよ」


 頭髪に寂しさを覚えて以来、大竹先生は日に日に若いイケメンが嫌いになっていった。昨今は話を聞くだけでも苛立ちを覚える中年ハゲだ。好きなタイプの女性は、ハゲをハゲと思わない心の広い女性。土台無理な話である。


「……どうしました? 入ってきて下さって結構ですよ」


 しかも続けざま、その口から続けられた言葉は、生徒相手ながら随分と丁寧な口調である。民間経験がない生粋の教育者である彼にとって、十代の少年少女を相手に下手に出る機会など、年に一度あるかないかである。


 これには二年A組の生徒たちも、おやっと思った。


 ただ、そうした担任の振る舞いも、次の瞬間、開かれた教室のドアと、そこから姿を表した者の姿を目の当たりとしては、誰も彼もの頭から吹き飛んだ。先生に質問を無視された鈴木君でさえ、その事実がまるで気にならなくなるほど。


「…………」


 ガララと引き戸がスライドした先、そこには美しい少女が立っていた。腰下まで届く長い銀髪と、雪のように白い肌が、否応にも人目を引く。彼女が一歩を踏み出すに応じて、教室に居合わせた生徒たちからは、口々に声が上がった。


「うぉおおお、かわいいっ」「スゲェ、外人さんだっ!」「なんだかお人形さんみたいっ!」「っていうか、ローズちゃんみたいじゃない?」「そりゃお前、相手が白人さんだからじゃないか?」「ちっちゃくて可愛い!」「本当に人形みたいだな」


 予期せぬ美少女の来訪を受けて、二年A組は沸き立った。


 その声は隣接するクラスにまで声が響くほどだ。


 ただ、そうしたクラスメイトたちの反応に対して、素直に共感できない生徒もまた、同所には確かに存在していた。西野を筆頭として、竹内くん、志水、リサちゃん、松浦さん、鈴木君の六名である。


 彼らは転校生を目の当たりとして、その表情を一様に強張らせた。


「なっ……」


 何故ならば転校生は、卒業旅行先で出会ったゴスロリ少女であった。


 咄嗟に漏れた呻き声は、果たして誰のものか。


 クリクリとした大きく真っ赤な瞳がギョロリと動いて、教室を見渡す。並んだ机を右へ左へ舐めるように、そこへ腰掛けた生徒たちの顔を確認してゆく。その動きはまるで何か、大切なものでも探しているようだった。


 可愛らしいことは可愛らしいが、どこか気味の悪さを感じさせる眼球の動きだ。


「今日からこのクラスで一緒に勉強することになった、ガブリエラさんだ。見ての通り海外からの編入学となるが、本学では分け隔てのない……」


「ねぇ、ローズお姉さまは?」


「……え?」


 大竹先生の言葉を遮って、ゴスロリ少女が言った。


 先生はぎょっとした様子で彼女を見返す。


 これに構わず、転校生は自らの思うがままに言葉を続けた。


「ローズお姉さまはどこにいラっしゃるの? 同じクラスではないの?」


「え? あ、あぁ……あの子なら、隣のB組だが……」


「なラ私が籍を置くべきは、こちラのクラスではないですね」


 訪れて早々、彼女は踵を返した。


 そして、何ら構うことなく教室を出ていった。


 姿を現してから、数分と経たぬ間の出来事である。これには声を上げる機会を見計らっていた剽軽者もびっくりだ。クラスを盛り上げるべく、今か今かと咆哮のタイミングを図っていた彼だが、その機会は転校生の予期せぬ振る舞いから完全に失われた。


「あ、ちょ、お、おいっ……」


 慌てた大竹先生が、ガブリエラの背を追いかける。


 しかしながら、彼女の進行を阻むまでには至らない。ボソボソと遠慮がちに声を掛ける限り。厳しい厳しいと評判の学年主任にらしからぬ振る舞いだ。もしも他の生徒であれば、たとえ女子生徒であろうとも厳しく叱りつけていたことだろう。


 数秒ばかりの後、今度は隣のクラスから喧騒が響いては聞こえた。




◇ ◆ ◇




 朝のホームルームが終わって直後、西野は竹内君から集合の号令を受けた。


 これはフツメンに限らない。卒業旅行を共にした面々に対して、同様に声掛けが行われていた。声を掛けられた彼ら彼女らは、一時間目の授業をサボると共に、竹内君から指示されるがまま、B棟の屋上へ集合である。


 その理由は確認するまでもない。


「あのガブリエラっていう転校生に関してだが……」


 屋上の一角、集まった面々を見渡して竹内くんが口を開いた。


 間髪を容れず委員長が応じる。


「や、やっぱりそうよね? 旅行先に居た子よね?」


「だよな。やっぱり委員長も、そう思うよな」


 皆々深刻そうな表情で話し合っている。


 伊達に彼女の手引きから、武装した男たちによって拉致されていない。その表情は一様に浮かないものだ。この場に太郎助が居たのなら、彼ら彼女らに混じって、同じように深刻そうな表情で、頭を悩ませる姿が見られたことだろう。


 しかしながら若干一名、なんら気を揉んだ様子の見られないヤツがいる。


 むしろ今という瞬間を楽しんでいるヤツがいる。


 西野だ。


 同じクラスのカースト上位と教室を抜け出して、共にヒソヒソ話という状況が、彼の心地良い部分を刺激している様子だった。今この瞬間に限っては、自身もまたカースト上位に位置しているかのような感覚が、底辺的に嬉しいらしい。


 もちろんゴスロリ少女に関して気が向かないかと言えば、そういう訳でもない。だた、授業をサボってクラスメイトとお喋りという、フツメンにとっては非日常以外の何物でもない状況が、彼の気分を良い方向に高ぶらせていた。


「おい、西野」


「なんだ? 竹内くん」


「お前、なんか知らないのか?」


「いいや、知らないな」


「……………」


 竹内くんから西野に対して訝しげな視線が向けられる。


 いいや、竹内くんだけではない、委員長も、松浦さんも、リサちゃんも、鈴木君も、誰もが西野に注目していた。件の卒業旅行を経て、目の前のフツメンに少なからず思うところが出てきた面々だ。


 特に委員長に限っては、その視線がダウトを告げている。


 絶対にコイツが原因だと言わんばかり。


 そんな視線を勘違いするのが、西野という男である。


「大丈夫だ。何か面倒が起こったとしても、俺が始末をつける」


 ドヤ顔で言ってのけた。


 どうやら竹内くんから事情を尋ねられたのが嬉しかったようだ。カースト上位に位置する生徒から、このような場で発言の機会を頂戴したことが、底辺的にはクラスメイトに認められたように感じられたのだろう。


「お前、なに格好つけてんだよ?」


「…………」


 お陰で即座に叩かれた。


 鈴木君からのツッコミを経て、西野は以降を黙る運びとなった。


 その姿を眺めて、志水はハァと溜息など一つ。


 旅中では勢いから同衾などキメてしまった彼女である。しかし、こうして学内で彼の情けない姿を眺めてみると、やっぱりないわね、そんな寸感が思い浮かぶ。同時に旅中での一件を心の内に恥じて、付き合うなら絶対に竹内君よね、自らに語って聞かせる。


 長年に渡り育まれた顔面偏差値由来の人事評価制度は、ちょっとやそっとの出来事で覆せるほど容易なものではなかった。それを否定することは、例えば孔雀の雄が己の飾り羽を自らの手に捨てるが等しい出来事である。そんなレボリューション、まさか有り得ない。孔雀が孔雀でなくなってしまう。


 それに何より、今の彼女はそれどころではなかった。


 東京外国語大学への入試に向けて、勉強をしなければならないのだ。ただでさえ成績が下がってきている昨今、勉強以外に感けている余裕は皆無だった。今は恋愛なんてしている余裕はないのだと、胸中に幾度となく繰り返す。


 昨今、自信の欠如も著しい二年A組の委員長だった。


 そして結局、とりあえず集まってはみたものの、これといって建設的な議論は行えないまま、次の授業を向かえる運びとなる面々であった。唯一決まったことは、とりあえず相手の出方を待ちましょう、とのこと。




◇ ◆ ◇




 予期せぬ転校生の来訪は、早々に学内へ伝わっていった。


 午前中の授業を終えて昼休みが始まる頃には、二年生はおろか、一年生や三年生のフロアでまで、噂され始めている有様である。一部の男子生徒に至っては、わざわざ教室まで覗きに来る有様であった。


 そして、一連の騒動の中心にある生徒はと言えば――


「ローズお姉さま、お昼休みだそうですよ?」


 意中の相手と出会えたことで、極めてご機嫌だった。


 一方で心中穏やかでないのが、彼女に懐かれた女である。


 ローズだ。


「ガブリエラさん。邪魔だから、そこを退いて欲しいのだけれど」


「嫌です、ローズお姉さま。私はここに居たいんです」


「…………」


 転校生はローズの上に座っていた。椅子に腰掛けた彼女の太ももの上に座っていた。それも向かい合わせである。大きく足を開いて、金髪ロリータの胴体を跨ぐように、真正面から遠慮なく腰掛けている。


 普段のローズであれば、有無を言わさず退かしていたことだろう。しかしながら、両者の力関係は一方的である。万が一にもガチレズが力に訴えたのなら、負けるのはローズである。相手の気分一つで、次の瞬間にでも絶命必至だ。


 故に強く出れない金髪ロリータだった。


 もしも志水が目撃したのなら、ザマァ見ろと内心ほくそ笑んだことだろう。


 一方でこれを眺めるクラスメイトたちの視線はと言えば、非常に微笑ましいものである。これまで学園のアイドルを飾ってきたローズが、これまた彼女に負けず劣らず可愛らしい銀髪ロリータに懐かれている。とても絵になる光景だった。


「なにあれ、めっちゃ可愛いんですけど」「もしかしてローズさんと知り合い?」「っていうか、知り合いじゃなかったらお姉さま言わないだろ?」「もしかして姉妹だったりするのかな?」「でも髪の色とか違くない?」「どうなんだろうね」


「ところで、ガブリエラって言いにくくない?」「じゃあ、ガビーちゃん?」「うーん」「それならガブリーちゃんとか?」「なんだか地下アイドルっぽいんだけど」「っていうか、むしろガブちゃん?」「あ、それいいかも」


 生徒たちの間では、ああだこうだと推測が飛び交う。


 当然、両者の間の蟠(わだかま)りなど知る余地もない。


 二年A組に転校してきた筈の彼女が、いつの間にか二年B組に在籍している。そんな摩訶不思議な出来事は、しかし、彼女の圧倒的に優れたる容姿を前として、些末な問題となり、誰もの意識から霧散していた。きっと教師の手違いだろう、云々。


「実家に帰ったのではなかったのかしら?」


「私くラいの年頃なラ、学校に通うのは普通ですよ、お姉さま」


 その指先がローズの顎をツツツと撫でた。


 金髪ロリータの背筋に、人知れずぶわっと鳥肌が立つ。他方、その様子を目の当たりとしたクラスメイトからは、おぉ、だとか、キャァ、だとか、とても楽しげな声が上がり始めた。中身はどうあれ、見た目は極めて麗しい二人である。


「……何をしに来たのかしら? こんなところまで」


「いやですね、お姉さま。 まさか理解していないのですか?」


「皆目見当がつかないわ」


「お姉さまと共に、肉欲へ溺れる為に来たのですよ」


「…………」


 学校では猫をかぶっているローズと異なり、ガチレズはまるで自分を隠すつもりがなさそうだった。なんら遠慮なく語ってみせる。そうした語り調子が、二年B組の女子生徒には受けたらしく、あちらこちらから黄色い声が響いた。


「一つ確認したいのだけれど、良いかしら?」


「なんですか? ローズお姉さま」


「貴方、どうして動けるの? その手足はどうしたの?」


 ローズが見つめる先、ガブリエラの手には真っ黒な長手袋が、脚部にはハイニーソが窺える。彼女の記憶が正しければ、その内側には生の肉とは程遠い、義手と義足が収まっている筈だ。共に動力の伝達を備えない、完全なハリボテである。


 そして、旅先で確認した彼女は、それら義足や義手を用いて自由に動き回っていた。ただ、四肢が自由であったのは一定の期間であって、最後は寝たきりであった。故にローズたちは対象を安全に実家へ送り戻すことができた。


「あぁ、あレですか? それなラ一晩寝たら治リました」


 ローズの鼻先で、わきわきと右手の指を伸ばしたり握ったりしてみせる。


 ニヤァと浮かんだ表情は、垣間見たクラスメイト曰く、めっちゃエロい。


「……そう」


「だかラこうして今は、お姉様のことを存分に愛でルことができます」


 ガブリエラの両手が、ローズの頬を左右から包むように触れた。


 触れられた側は、制服の下で殊更に鳥肌を立たせる。すぐにでも逃げ出したい金髪ロリータだ。しかしながら、瞬きすら忘れたように自らを見つめる銀髪ロリータが、それを決して許さない。隙きを見せたら狩られかねない危うさが感じられた。


「悪いけれど、私に同性愛の趣味はないわ」


「問題ないですよ、お姉さま。私にはあリますかラ」


「…………」


「お姉さまだって、もう少し綺麗なまま生きていたいでしょう?」


「……ええ、そうね」


 煽られて直後、ローズは胸のうちに吹き出す怒りを感じた。この瞬間、彼女は目の前の相手を排除すべき敵と認識した。強敵には違いないが、真正面から当たらなければ、やりようはあると考えた。


 それは西野と過ごす幸せな毎日の為に必要なことだった。



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