部活動 一


 二人が向かった先は学校の屋上だ。


 ここ最近の西野には、何かと縁のある場所である。同所に設けられた階段室の上、給水塔の傍らにはピクニックシートが広げられており、そこにローズと横並びで腰掛けている。なんのかんので昼食の席と相成った次第である。


 他に生徒の姿は見られない。


 築浅の学校ではどうだか知らないが、それなりに歴史がある同校の屋上は、これといって整備されている訳でもない。不良が授業をサボったり、女子が人目を憚って話をするくらいしか用途がない。


 おかげで彼らもまた、他人の耳を気にすることなく話ができる。


「……お味はどうかしら?」


 尋ねるローズの胸は、痛いほどにドキドキと高鳴っている。


 それでも素っ気ない態度で訪ねてみせる彼女はブレない女だ。


「…………」


 一方で素直に美味しいと言いたくない西野は捻くれた男である。


 これで相手が委員長であったのなら、絶賛していたことだろう。


「もしかして、口に合わなかったかしら?」


「悪くない」


「そう? 良かったわ」


「…………」


 ローズが西野の為に作ったお弁当は、至って普通の品だった。二段重ねの容器の一段目には鶏の唐揚げや卵焼きといった鉄板メニューが敷き詰められており、下段にはツナと胡麻の散らされたご飯がたっぷりと収められている。


 見ようによってはありふれたお弁当とも取れるだろう。しかしながら、実はどれも彼女手製であって、冷凍食品などの既製品は、一つとして用いていない、かなりの時間と手間が掛けられた代物だ。


 それが二人分、各々の手元にある。


「学食で食事を取る予定じゃなかったのか?」


「別にどうでもいいじゃないの」


 クラスメイトからの誘いをすっぽかしてやって来たローズである。弁当に関しては西野の登校を見越して、事前に作っていた次第だ。意中の相手がやってきたのなら、まさか他の誰かと食事を共にすることもない。


「……それなら一つ、食事のついでに確認したい」


「なぁに?」


「この肉体についてだ」


 自らのもやし体型を見下ろして、西野は続ける。


「人が倒れて意識を失うほどだ。扁桃炎などとは比較にならない炎症が、頭部では起こっていたのだろう。それが一日二日を眠った程度で、そう容易に治癒する筈がない。更に言えば、後遺症の類いも何ら見受けられない」


「それがどうしたの?」


「……まさか貴様から、施しを受ける日が来るとは思わなかった」


「あら、これから毎日食べることになるのよ?」


「そっちじゃない」


 ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべつつ、ローズは軽い調子で戯けてみせる。そんな彼女に、西野は幾らばかりか表情を固くして、言葉を返した。今日まで自身の身体一つで生き残ってきた彼にとって、肉体の把握は死活問題だった。


「相変わらずつれないわねぇ。そんなだからモテないのよ」


「俺の身体はどうなったんだ? どうか、教えて欲しい」


「教えて欲しいと言われても、分からないわ」


「分からない?」


「だって初めてだもの。自分の身体の一部を誰かに与えたのなんて」


「…………」


 想定外の返答を受けて、フツメンは続く言葉を失った。


 これまでの経緯を思えば、彼女を責めることが筋違いであることは、彼にも理解できた。眼球の破損は西野の失態であり、対するローズはと言えば、そんな彼の損傷を自らの負担から補ったのだ。感謝こそすれど、非難するなどお門違いである。


 だが、今の西野にとって、ローズとは悪女以外の何者でもない。


 そこでフツメンは、彼女の好意を明後日な方向に解釈した。自身の身柄を買った者の主張として、その調子を万全に整えておきたいという意志は、彼としても非常に納得のゆくものである。自動車のメンテナンスに金銭を支払うのと大差ない、と。


「どうしたの?」


「いや……」


 それでも彼は悩む。


 どうして彼女に返事をしたものか、その表情には躊躇が浮かんだ。


 感謝の言葉を述べるべきか、否か。


 そうした彼の反応に好機を見出したのがローズである。


「ところで西野くん、数日ぶりの学校はどうかしら?」


「……どうとは?」


「随分と注目されていたようだけれど」


 問い掛けてみせた彼女は確信犯である。


 問われた側は、果たして何と答えたものか。教室内でグゥグゥと腹を鳴らしていた姿は、既に目の前の彼女にも、教室で居合わせたクラスメイトにも、広く知れ渡ってしまっている。取り繕う猶予もない。


「目標は達成できそうかしら?」


 彼女の語る目標とは他でもない、西野の恋人作りである。


 おかげで事更に言葉を失う童貞野郎だ。


 ここぞとばかりに畳み掛けるローズを前に、彼の劣勢は如実である。


「どうやら上手くなさそうね」


「……好きに言っていろ」


「そんな貴方に、私から一つ提案があるわ」


「提案?」


 西野の学園における立場は、日を追うごとに下がってきている。昨今では学年を越えて、その名が知れ渡るほどだ。教師からも問題児として目を付けられつつある。おかげで今もこうして、ローズからの言葉に反応してしまう。


 そんな体たらくだから、彼は彼女に付け入る好きを与えてしまうのだ。


「部活動に入ったらどうかしら? 貴方、たしか帰宅部だったわよね」


「よくまあそんな単語まで知っているな」


「これでも勉強熱心なのよ?」


 ここぞとばかりにアピールする金髪ロリータ。


 既に会話の流れは彼女のものだった。


「……どこかで聞いたような台詞だ」


「え?」


「いや、気にするな。続けてくれ」


「なにも学校の行事ばかりが出会いの機会ではないわ。今の貴方の学内における立ち位置は、非常に厳しいところにあるでしょう? 正直に言って、このまま努力しても、結果らしい結果を得ることはできないのではないかしら」


「…………」


「けれど、だからといって学校という環境から離れてしまうのも良くないわ」


「何故だ?」


「少なくとも貴方が相手に同世代を望むのであれば、相手は同じ学生ということになるでしょう? 所属する学校での立ち位置というのは、決して無視できないものよ? 意中の相手と一緒に文化祭を楽しむ、なんて機会も失われてしまうじゃない」


「っ……」


 記憶に新しいイベントを思い起こして、くわと瞳を見開くフツメン。


 細い先が幾らばかりか厚みをまして、ちょっとキモい感じ。


「だからこそ、学外と学内の間に位置する部活動でこそ、貴方は機会を掴むことができるのではないかしら。学外でなら響く可能性のある貴方の価値を、学内へ移すための唯一の導線が、部活動なのだと思うのだけれど、どう?」


「その語り口調、フランシスカのやつを思い出すな」


「あの娘が私に似たのよ」


「なるほど」


 ローズの主張は西野にとっても納得がゆくものであり、同時に魅力的なものでもあった。義務教育の頃から数えても、部活に所属した経験がない、生粋の帰宅部員であるフツメンだ。青春に目覚めた昨今、新しいことに挑戦してみたいという思いもある。


「覚悟は決まったかしら?」


「ああ、そうだな。やる価値は、十分にあると思う」


 おかげで上手い具合に焚き付けられた西野だった。


 一方で焚き付けた側はと言えば、内心ガッツポーズである。これで彼女が彼を屋上まで連れ出した目的は、その半分が達せられたことになる。向こう一年半の学園生活、部活動でキャッキャウフフしたいのは、何もフツメンに限った話ではなかった。


 ただ、そんな西野の口から続けられた言葉は、流石のローズも想定外。


「早速だが、今日の放課後にでも体育館に向かってみようと思う」


「え?」


「男子バスケット部の顧問は誰だったか、知っているか?」


「ちょっと待ちなさい、西野くん。どうしてバスケット部なの?」


「なんだ?」


「貴方、バスケットをやった経験はあるのかしら?」


「……ないな」


「それじゃあ、他に運動が得意だったりするのかしら? 例えばサッカーをやっていたとか、バレーボールが得意だったとか。いいえ、この際だから球技に限らないで、何かしらチーム競技の経験があるだとか」


「……ない」


「体育では卓球を選択していたわよね?」


「それがどうした?」


「…………」


 しれっと語ってみせるフツメン。


 そんな彼にローズは軌道修正を試みる。


「二年の途中からやって、まさか活躍できるとでも思っているの? 高学年なのに補欠だとか、補欠にすら入れないだとか、それこそ目も当てられないわ。部活動をやることのメリット以上にデメリットのほうが大きんじゃないかしら」


「…………」


「確かに貴方は優れた技術を持っているわ。けれどそれは球技を嗜むものとは違うのではないかしら? 第一、大半の運動競技はチーム戦よ? 今の貴方が馴染めるとは到底思えないのだけれど」


 実はちょっとバスケとかサッカーとか、その手の運動に憧れていたフツメンだ。それが今まさにローズからフルボッコである。彼女が思ったよりも真顔で、心配したふうに言ってくるから、これには彼も傷ついた。


 同時にその言葉が正しいと、悲しくも理解してしまう。


「経験があるならまだしも、そうでないのなら、今の貴方に残された選択肢は取り立てて技術を求められない、同時に一人でも活動可能な文化系の部活だけよ。部活そのものが目的ではないのだから、その辺は妥協すべきだわ」


「……そうか」


「ええ、そうよ。貴方は貴方が他者に誇れる部分を最大限に活かすべきだわ。それがボールを蹴ったり叩いたりすることだというのなら、私も決して否定はしない。けれど、今の貴方はそうではないでしょう?」


「…………」


 なんとしてでも西野の運動部入りを阻止したいローズである。大半の運動部は男女で別枠となっている。万が一にも入部された日には、せっかくの同棲生活も、随分と時間を奪われることになるだろう。それでは本末転倒である。


「分かった。文化部で検討しようと思う」


「理解して頂けたようでなによりだわ」


「ああ」


 しかし、そうなると途端に宛のなくなる西野だった。


 これといって興味のある文化部は存在しない。更に言えば、同校にどれだけ文化部が存在しているのかすら、碌に調べたことがない。唯一知見が及ぶのは、学園祭の際に面識を持った軽音楽部くらいだ。


 そこで自ずと意識が向かったのは、各部活動における部員の男女比である。咄嗟に西野の脳裏に思い浮かんだのは、文芸部だとか、料理部だとか、女子生徒の多そうな部活動の名前である。伊達に女日照りに嘆いていない。


「さて西野くん、ここで私から取引があるわ」


「……なんだ?」


 不意にローズの手が、スカートのポケットに伸びる。


 そこから取り出されたのは、三つ折りにされた数枚のA4用紙だ。


 ニィと良い笑みを浮かべて、彼女は続ける。


「今私の手には、この学校に設けられた文化部の男女比をまとめた資料があるの。もしも貴方が、どうしても欲しいと願うのであれば、これを進呈することでも吝かではないのだけれど、如何かしら?」


「っ……」


 その完璧な流れに西野は息を飲んだ。


 学内において、真正面から彼女に挑んでも絶対に勝てないと、そう思わせるだけの話の運びであった。実際には彼のコミュ力が無残極まる為なのだが、その事実に当の本人は何ら気づいた様子がない。


「……そんなもの、一体どうしたんだ?」


「担任の先生に頼んだのよ。部活動に入りたいのだけれど、あまり男性が多くても困るから、部活動の男女比率をまとめてもらえないかって」


「なるほど」


「日本の男性は、異性に対して気味が悪いほど優しいわよね。お願いして翌日には資料をまとめて来てくれるのだもの。しかもこんなに丁寧に」


 関心した様子で語ってみせるローズ。その腕が動くと共に、手にした紙の束がペラペラと揺れる。チラリと覗いた紙面には、グラフや表のようなものが沢山見て取れた。確かに即日でまとめたにしては大した情報量だと、西野も思わず感嘆だろうか。


「…………」


 おかげで、そうして語る彼女の顔は尚のこと、西野の目に悪女として映った。


 こういうのが成長すると、フランシスカのようになるのだと。


「どうかしら?」


「何が望みだ?」


「近いうちに仕事を頼みたいのだけれど、少し融通して欲しいの」


「内容が抽象的過ぎる。そんなものは条件次第だ」


「そう? ならこれは不要よね」


 ローズの指先が紙面を破くべく動いた。


「っ……」


 目の前の彼女が、やる時にはやる女であることは、西野もここ数日の付き合いから十分に理解していた。そして、もしも破られたのなら、仮にコピーが存在したとしても、正攻法では二度と手に入らないだろうと想像が及ぶ。


「待て、分かった」


「あら、何が分かったのかしら?」


「貴様の言い分を飲む。だから、それを寄越せ」


「ふふふ、最初からそうして素直になっていればよかったのに」


 答えるローズは心の底から愉快そうに笑った。これでなかなか、責めるのも、責められるのも、どちらであっても楽しめる女だ。ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら、西野に紙の束を渡す。


「…………」


 受け取ったフツメンは、即座に紙面へ視線を巡らせた。


 資料には各部活動の男女比が表によって示されていた。また、ローズの言葉を素直に信じたが故だろう。表の傍らには、対象の部活動に所属する生徒の傾向までもが、担任の言葉で細かに記載されている。


 そして、まとめのページには全ての部活動を横通しして、男女比の比較が設けられていた。そちらを確認すると、同校における部活動の男女比を簡単に確認できた。おかげで童貞野郎は一目見て、女性部員の多い部活動を特定できた。


「……なるほど」


「どの部活動に入るか、決まったかしら?」


「料理部だな」


 西野の決断は速攻だった。


 おかげで慌てたのがローズである。


「ちょ、ちょっと待ちなさい、西野くん」


「……今度はなんだ?」


「流石にがっつき過ぎよ、西野くん。ただでさえ女関係で悪い噂しかない貴方が、このタイミングで女子比率の突出して高い料理部に入部してみなさい。まず間違いなく爪弾きに遭うわよ。ただでさえ日本人は同調圧が高いのだから」


「…………」


 下心をずばり指摘されて、再び言葉を失うフツメンだった。


「こういう時は男女比が同じくらいの集団を狙うのが無難よ。今の貴方に必要なのは、相手を警戒させることなく、その懐へ入り込むこと。異性と楽しむのは、その先にあるのだと考えを改めるべきだわ」


「……随分と詳しいじゃないか」


「貴方が拙すぎるだけよ」


「…………」


 もはやグゥの音も出ない西野である。


 なので素直に資料を再確認することにした。ローズの指摘にあったとおり、男女比が同じくらいの部活を確認する。すると、幾つかそれらしい活動が見えてきた。恐らくは彼女もまた、事前に確認していることだろう。


「写真部、語学部、ダンス部、軽音部、それにユーチュー部、か」


「ええ、そうね」


「随分と活動の内容に開きがあるな……」


「軽音部は止めた方が良いわね。貴方、楽器を弾けないもの」


「理解している」


「そうなると、語学部なんて良いんじゃないかしら?」


「ああ、こちらもそう感じた」


 なんだかんだで語学力には定評のある西野だ。


 その点を鑑みた上での提案だろう。


「人数的にも男子が七人、女子が八人だから、多すぎず少なすぎず、丁度よい感じだと思うわ。ただし、学業的な側面が強いから、集まっている子は感性でなく理屈で動く子が多いかもしれないわね。それを良しとするか否かは貴方次第だけれど」


「目的意識がハッキリとしているのは良いことだ」


「そう? なら決まりかしら」


「そうだな……」


 ペラリ、ペラリ、他に紙面などめくりながら、相槌を打つ西野。


 ここまで全てローズの予定通りである。後は語学部に入ったフツメンが、無駄に堪能な英語を披露したところで部員から総スカン。間髪を容れず、自身が彼でも知らない言語の学習へ誘う形で、二人だけの部活動は完成、といった塩梅だ。


 金髪ロリータの脳内では、そこまで昨日のうちに考えられていた。


「それじゃあ、私はそろそろ失礼するわね」


 ピクニックシートから腰を上げるローズ。


 際してはそれとなくパンチラを披露してみせるが、紙面を眺めるのに夢中の西野は、目の前に散らされた黒のローレグに気づかない。しばらくを佇んでみても、一向に上がることのない視線に嘆いて、彼女は屋上を後とした。


 それからしばらく、西野はふと見つけた。


 資料の最後のページに記載された、同好会という名の集まりのリストである。それは部活動という枠組みから外れた、部員数が五名以下の小規模な集まりに与えられるもので、まだ学校側から部活動と認定されていない活動のリストとなる。


「……ブレイクダンス同好会、か」


 普段からシニカルを気取る彼である。


 だからこそ、思わず冒険してみたくなる響きが、そこにはあった。


 曰く、こいつはモテそうだと。




◇ ◆ ◇




 その日の放課後、西野は問題の同好会へ顔を出すことにした。


 他の何処でもない、ブレイクダンス同好会である。


 ちなみにローズはと言えば、今まさに語学部へ入部届を提出せんと、教室を出た辺りである。決して西野を誘うことはしない。先に部室へと足を運び、後からやってきた彼をしたり顔で眺めるのが、彼女が本日に予定するメインディッシュであった。


 ただ、そうしたマジキチ女の思惑は、無駄に突出したフツメンの行動力と決断力を前に敗れることとなる。西野の手にはブレイクダンス同好会への入部届が握られており、その足は今まさに、活動の場となる空き教室の前まで及んでいた。


「……行くか」


 ドキドキと胸を高鳴らせながら、ドアをノックする。


 コンコンコン、やけに大きく音が響いては聞こえた。彼にとっては幾万という銃弾に囲まれるより、尚のこと緊張する瞬間だろうか。気づけばワイシャツの下で、じんわりと下着の脇の辺りが汗に滲み始めていたりする。


「うーい、どちらさん?」


 数瞬の後、内側から返事が返った。


 パタパタと上履きで床を掛ける足音がドア越しに聞こえた。


 ややあって、ガラガラと引き戸が開かれる。


 姿を表したのは、西野より少し背の低いイケメンだった。浅黒く焼かれた肌が特徴的な、良く言えば外交的な、悪く言えばチャラそうな外見の男子生徒である。Tシャツ短パンといった格好で、長めの髪をヘアバンドでオールバックに上げていた。


 襟元や額には汗がじんわりと滲んでいる。ちらり彼の肩越しに視界へ入った教室には、ダンベルが転がっていたり、運動用のマットが敷かれていたりする。どうやら筋トレの最中であったようだ。


「あ、二年の人ッスか? もしかして五月蝿くしちゃってました?」


 彼は制服姿の西野を目の当たりとして、居住まいを正した。


 どうやら一年生のようだ。


 出会い頭の台詞からも分かるとおり、まさか、目の前のフツメンが入部希望とは思わない。以前にも騒音関係で苦情をもらったことがあるのか、その対応は相手が年上であるという点を踏まえても下手である。


「こちらの教室がブレイクダンス同好会の活動場所であっていただろうか?」


「え? あ、あぁ、そうッスけど……」


 浅黒肌の一年生は、しまったな、といった表情で受け答えをする。何かしら制限の類いでも、学校側から強いられているのかもしれない。ただ、そうした塩っぱい表情も、続けられた西野の言葉を受けては吹き飛んだ。


「すまないが、入部させてもらえないか?」


「……え?」


 ポカンと驚いた表情となる浅黒肌の一年生。


 一方でフツメンは粛々と要件を繰り返す。


「ブレイクダンス同好会に入部させてはもらえないか?」


「…………」


 え、マジで? 本気で言ってるの? 訴えんばかりの表情であった。


 教室の出入り口付近で問答を始めた二人。かと思えば、急に言葉を失った仲間の姿。その変化に気づいたのだろう。同じく教室で活動に励んでいた別の部員が、なんだどうしたと言わんばかり、西野の下までやってきた。


「コウちゃん、どうしたん?」


「え? あ、いや、二年の先輩が入部したいって……」


「マジでっ!? やったじゃっ……」


 新たに顔を見せた部員が、パァと表情を輝かせる。


 理由は同校における同好会の位置付けだ。


 同好会は結成から一年以内に、部員を五人集めることが、正式に学校側から部活動として認定される為の条件となっている。これを満たせない場合、貸与された活動場所の返却と、同好会の解散が求められる。


 ただ、それも西野の顔を目撃するまでの出来事であった。戸口に佇む仏頂面のフツメンを目の当たりとした途端、その表情は急転直下である。これでもかと喜んで見せた表情が、そのまま凍りついてピクリとも動かなくなった。


 未だに愛想笑いの大切さを理解しないフツメンだ。


「…………」


「…………」


 会話もなく見つめ合う下級生二人。


 こいつ絶対にダンスって顔じゃねぇよ、言外に訴えんばかりである。


 事実、後続の彼もまた漏れなくイケメンだった。ツーブロックの刈り上げショートに大きめのピアス。背丈は西野よりも頭一つ高い。更に日本人としては堀の深い顔立ちが、年齢の割に大人びた印象を与える。


 顔面偏差値で足切り必至の現場だった。


 イケメンの巣窟だった。


 しかしながら、その程度で動じる西野ではない。


「ブレイクダンス同好会に入部したいのだが」


 再三に渡り繰り返される入部願い。


 既に彼の中では、床に手を突いて、くるくると足を回す自身の姿が、とても鮮やかな光景として思い描かれていた。それがどのような名前の技なのかは知らないが、沢山回せば沢山モテるだろうと考えているフツメンだ。


「あの、先輩、なんていうか……」


「もしかして、部員は募集していなかったりするのか?」


「いや別に、募集してないって訳じゃないんだけど、その……」


 受け答えをするのは浅黒肌の一年生。しどろもどろ、どうやって断ろうかという雰囲気が、ありありと感じられる。常人であれば、自ずと踵を返しただろう。しかし残念ながら、彼らの出会ったフツメンは空気が読めない。圧倒的に空気が読めていない。


「ではすまないが、入部させて欲しい」


「…………」


 ここまで押しの強いフツメンは彼らも初めてだった。


 だからだろうか、折れたのは浅黒肌の一年生だ。


「ま、まあ、体験してもらうくらいなら……」


「……そ、そうだな」


 頷き合う同好会メンバーの二人。


 相手が上級生であることも手伝ってだろう。


 無事に教室へ招かれる運びとなった西野である。




◇ ◆ ◇




 結論から言うと、西野は床に手を突いて足を回すことができなかった。


「…………」


「…………」


 彼が初めて挑戦したブレイクダンスは、夏場にアスファルトの上でのたうち回るミミズのような、そんな摩訶不思議な代物となった。お世辞にもブレイクダンスとは言えない、ダンスと称するにも烏滸がましい何か。


 もちろん本人は踊っているつもりだ。過去に映像で眺めたブレイクダンスを思い起こして、一生懸命にチャレンジ。当初は気分を出して、それとなく頭を振りながらリズムなど刻みつつのスタートであった。それはもうBボーイを気取っていた。


「あの、先輩、そろそろその辺で……」


「…………」


 本人は至って真面目である。真剣である。平素からの仏頂面で、必死になって踊りまくっている。だからこそ、むしろ見ている方が恥ずかしくなるほど。下級生たちも、これ以上は見ていられないとばかり、スピーカーから鳴っていた音を止めた。


「ど、どうだっただろうか?」


 期待に満ちた視線を二人に向けるブレイクダンサー西野。


 一連の踊りは、彼らのフツメンに対する評価を確実にブレイクしていた。


「先輩、悪いんですけど、流石に今のはちょっと……」


「これでも俺ら、真剣にやってるんで……」


 与えられた言葉が、相手を小馬鹿にした物言いであったのなら、西野も諦めがついただろう。或いは彼らに見る目がないと、開き直っていたかもしれない。しかしながら、後輩二人は酷く申し訳なさそうな表情で、フツメンを気遣うように語ってみせた。


 これには流石の西野も気づいた様子だ。


 自分のダンスがどれだけイケていなかったかということに。


「……そうか」


 俺ら、真剣にやってるんで。そんなフレーズが確実に西野の心をえぐっていた。今のダンスが、そんなに悪かったのかと。駄目だったのかと。同時にそこまで言われたことで、ようやっと自重するに至るフツメンだ。


「忙しいところ、すまなかった」


 言うが早いか踵を返す。


 そうして、逃げるように同所を後にした。




◇ ◆ ◇




 ローズ宅に戻った西野は、大きめの鏡を探し始めた。


 ブレイクダンス同好会で自身の披露したダンスが、どの程度の出来栄えであったのか、どうしても確認したくなったからである。拙い部分はあったかもしれないが、多少は踊れていたのではないかと、未だ少なからず考えているフツメンだ。


「……これでいいだろう」


 玄関ホールの壁にはめ込まれた、大型の姿見を見据えて、満足気に頷く。


 伊達に高級マンションしていない。居室毎に設けられたエントランスは、大人が両手を広げても余りある空間だ。それでもダンスをするには少しばかり手狭いスペースだが、西野くらいの体型であれば、踊って踊れないことはない。


 鏡面に映った自身の姿を確認して、いざ、踊り始める。学校で披露したダンスを思い返しては、繰り返すようにチャレンジ。時間にして数十秒ほどだろうか。少なくとも時計の針が一周する間もない出来事である。


 そして彼は早々、自らの過ちに気づいた。


「…………」


 曰く、ダサい。


 ピンと伸ばしたつもりになっていた四肢は、全然伸びていなかった。大きく振り回した筈の脚部は、まるで昆虫のようにカサカサと床の上を這い回っていた。更に鏡へ注目する視線が、その顔面偏差値と相まって、事更に絵面を哀れなものとする。


「……なるほど」


 おかげで西野は理解した。


 自分がどれほどの無様を学内で披露していたのかを。


「…………」


 自ずと胸のうちに湧き上がったのは羞恥心。普通の学生であれば、翌日の登校を躊躇うことだろう。自室に駆け込んで、布団に包まって、自分はなんと阿呆なことをしてしまったのだろうと、悶に悶たことだろう。完全に黒歴史である。


 ただ、こちらのフツメンは少しばかり、他所様と比較して前向きだ。


「これは練習するしかないな」


 誰に言うでもなく呟いて、鏡の前でポージング。


 過去に見たブレイクダンスの映像を思い起こしつつ、その姿を自身の身体で再現せんと動き始める。当然、意識を改めたからといって、急に上手くなるようなことはない、依然として鏡に映った姿は無様なものだ。


 しかしながら、鏡に向かう西野は本気だった。必ずや足をブォンブォン振り回してみせるのだと、それはもう真剣だった。なんだかんだで一度やると決めたことには、とことん努力するタイプの性格である。


 そうした最中のことだ。


 不意にガチャリと音を立てて、玄関のドアが開いた。


「……あ」


 現れたのはローズだ。


 彼女は西野を見るやいなや、声も大きく口を開いた。


「ちょ、ちょっと西野くん! 放課後は一体どこに……」


 昼休みの相談をブッチして、終ぞ語学部に姿を表さなかったフツメンである。その態度に少なからず憤りを感じているのだろう。ただ、そうした口上も、今まさに彼の晒す妙ちくりんな運動を眺めては、段々と勢いを失ってゆく。


 やがて届けられたのは、ただただ純粋な疑問。


「……なにをやっているのかしら? あら手のヨガ?」


「ブレイクダンスの練習だ」


「ぶっ……」


 流石のローズも今回ばかりはフォローできなかったようだ。


 吹き出したツバが、玄関先にしゃがみ込んだ西野の顔面に飛び散った。


「汚い女だな」


「ご、ごめんなさい? 貴方があまりにも面白いことを言うものだから」


 謝りながらも自らのツバが意中の相手に付着した事実に股を濡らすマジキチ。


 一方で不服そうな表情となるフツメン。


「…………」


 まさかローズにまで貶められるとは思わなかった西野である。おかげで彼の内側では、事更に情熱が燃え上がる。なんとしてでも、ブレイクダンスを踊れるようになってやるのだと。格好良いダンスを見せ付けてやるのだと。


「悪いが練習の最中だ。さっさと行ってくれ」


「え? あ、ちょ、ちょっと待って欲しいわっ!」


「なんだ? 見ての通り忙しいんだが」


「語学部への入部はどうなったのかしら? 部活動を始めるのよね?」


「語学部への入部は止めた」


「止めた? それはどういうこと?」


「代わりにブレイクダンス同好会へ入部する予定だ」


「…………」


 如何にローズとはいえ、これに返す言葉は持ち合わせていなかった。

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