部活動 三

 ゴスロリ少女が転校してきた同日、放課後を迎えた西野は、ひとり静かに覚悟を決めた。どのような覚悟かと言えば、ブレイクダンス同好会を再訪する覚悟である。ここ数日に渡る練習の成果を披露して、再び同好会への入部を乞うつもりであった。


「よし……」


 同好会の活動場所となる教室、閉じたドアの前に立ち気合を入れる。


 その手に軽く戸口をノックする。


 コンコンコン、乾いた音が響いた。


「すまない、つい数日前に訪れた者なんだが」


 ノックをして直後、ガタリと大きな音が響いた。


 しかし、続く反応はこれといってなかった。返事もなかった。教室に人がいるのは間違いない。もしかして難しい技の練習でもしているのだろうか。多少ばかりブレイクダンスに詳しくなったフツメンは勘ぐる。


 時間にして数秒ほどだろうか。


「……はい、どうぞ。勝手に入ってやってください」


 多少の間をおいて、反応は返ってきた。


 声の響きは前に出会った浅黒肌の一年生で間違いないだろう。だが、以前は感じられた覇気というか、元気というか、リアルが充実していそうな気配が、その返事にはまるで感じられなかった。


 少なからず疑問を浮かべながら、言われるがままにドアを開く。


 ガララと右から左へ動いた引き戸の先、教室には想像したとおりの人物がいた。教室の中央で何をするでもなく、胡座をかいて座り込んでいる。その背は妙に丸まっており、首は力なく下がっていた。


 くいと顔が上がって、瞳が西野を捉える。


「あ……この前の先輩ッスか」


「すまない、どうしても見てもらいたいものがあって来たのだが……」


「…………」


 彼は顔を上げて、フツメンにチラリと視線を向けた。かと思えば、またすぐに頭を垂れてしまった。あまりにも分かりやすい言動だから、流石の西野であっても、目の前の下級生になにか良くないことがあったことは理解できた。


「何かあったのか?」


「いえ、その……なんていうか……」


 一年生の返事は覚束ない。


 さて、どうしたものか。


 流石にダンスを披露できる空気でないことは、コミュ障の西野にも理解できた。気不味い雰囲気に感じ取ったことで、自ずとフツメンの意識は、他所に話題を探すよう、教室の中を眺めるように動いた。


 そこで彼は、ふと気づいた。


「他の部員は、今日は一緒じゃないのだな」


「っ……」


「まだ授業中か?」


 何気ない話題の振りだった。


 けれども、下級生の反応は顕著であった。ビクリと大きく肩を震わせて、殊更に俯いてしまう。まるで何かやましいことでも隠しているような反応だった。仕事柄、少なからず緊張を伴いつつ、フツメンは問い掛けた。


「……同好会の仲間と何か問題でもあったのか?」


「…………」


 どれだけ待っても、浅黒肌の一年生から返事はない。


 何か問題があったのは間違いなさそうだった。


「俺でよければ相談に乗るが……」


「…………」


 幾らばかりか声色を柔らかくして問いかける。


 すると、どうだろう。


 数十秒ばかりを悩んで後に、ボソリと下級生から言葉が返った。


「俺がゲイバレして、部員が全員やめちゃったんスよ」


「…………」


 今度は西野が黙る番だった。


 他に生徒の姿が見られない点から、そういう感じの話かもしれないとは想定していた。だが、原因が目の前の下級生の性癖に起因しているとは思わなかった。しかしながら、これでなかなか、こちらのフツメンはその手の趣味嗜好に理解がある。


 というのも彼が日銭を稼ぐ業界では、割と在り来りな話だった。


「そう気にするようなことじゃない」


 相手を慰めるよう、フツメンは言葉を続ける。


「近年、同性愛者の割合は全人口における一割とも言われている。少なく見積もっても、学内に数十人が在籍している計算だ。普通に生活していると気づかないものだが、きっとクラスにも一人や二人は見つかるだろう」


「……先輩?」


「そして、マイノリティの結束力は、マジョリティの比ではない。少数が故の利というものは、確かに存在する。ここは随分と寂しくなってしまったようだが、それもまた一時的なものだろう。まだまだブレイクダンス同好会は捨てたものでないと思うがな」


「…………」


 過去に同性から性的な目で見られたことのない西野だから、幾らでも舌は動いた。また、実際にそのように考えているからこそ、これといって言い淀むこともなかった。だからだろうか、浅黒肌の彼から反応があった。


「先輩も、そうなんですか?」


「いいや、違う。だが、知り合いにはちらほら居るな」


「……そうなんですね」


「ああ」


「しかし、同性愛者だからといって、そう容易に周囲へ露見することでもあるまい? もしも可能なら、今からでも冗談だったと誤魔化しに行けばいい。現場を見られた訳じゃあないんだろう?」


「それが、そ、その……」


「どうした? 言ってみろ」


 圧倒的上から目線な西野。


 下級生から人生相談を受けているという状況が、彼の心を高ぶらせていた。


「二年生に転校してきた、めっちゃ可愛って評判の女の子、いるじゃないですか? あの子がレズだっていう話になって、それで、流れであれこれと話してたら、その、場の流れっていうか、なんていうか、色々とあって……」


 原因はガブリエラだった。


「確かに部員の奴らのこと、犯したいなって思ったことはありましたよ。でも、そんなことする訳がないじゃないですか。その辺は俺だって、ちゃんと分別を持ってますよ。けど、やっぱり、こういうのって理屈じゃないんですよね、きっと」


「…………」


 下級生はバリタチだった。


 一応、念のために確認しておこうかと、西野は考えた。


「だが、手は出していないんだろう?」


「も、もちろんですよ。見てただけですっ、見てただけっ!」


「……なら、まあ、気にすることはない」


 ちょっと怪しい感じがする返事だった。


 ただ、ここで諦めては西野の目的もまた、早々に頓挫である。数日に渡る練習も水泡に帰す。この場は下級生を信じて前に進むことが、彼にとっても、そして、ブレイクダンス同好会にとっても益のあることだと、フツメンは判断した。


「問題は部員の数か?」


「え?」


「ブレイクダンス同好会だ。好きなのだろう? ダンスが」


「っ……」


 西野に問われて、下級生の瞳が大きく見開かれた。


 俯きがちであった顔が、フツメンを見上げるように上げられた。


「せ、先輩、もしかして……」


「話を聞かせてもらえないか? 力になれるかもしれない」


 与えられたのは縋るような視線。


 これに西野は、ここぞとばかりに格好つけて、大きく頷いてみせた。




◇ ◆ ◇




 それからしばらく、フツメンは同所で浅黒肌の下級生と話をした。


 自ずと見えてきたのは、現在のブレイクダンス同好会が置かれた状況である。どうやらフツメンが考えていた以上に、同好会は危機的状況にあった。


「つまり、来週までに五人、部員が必要ということか」


「はい、そ、そうなんです……」


 理由はひとえに同校が有する同好会と部活に関する規約だ。


 津沼高校で新しく部活動を作る為には、これに先立ち同好会を作り、一年以内に一定の基準を満たした上で、部活動への登録申請を行う必要がある。ここでの基準が、最低五人の部員と、直近三ヶ月以内における相応の実績だ。


 相応の実績という、ふわっとした文言に点に引っかかりを覚えた西野が問うてみると、運動部、文化部を違わずに、何かしら大会やコンクールにおける入賞、もしくは一定回数の参加とのことであった。


 真っ当に活動していることを対外的に証明する必要があるらしい。


「申し込んだ大会はキャンセルすればいいんです。これまでも色々と大会に出てきた実績はあるんで、多分、そっちに引っ張られて駄目って言われることはないと思うんですよ。表彰されたこともありますし。ただ、五人っていう部員の制限が……」


「なるほど」


 奇しくもブレイクダンス同好会は、今月末で結成一周年とのことだった。


 ギリギリまで申請を待った理由は、ひとえに箔付けの為だという。他の部活動と比較すると、教師からの理解を得る為に苦労するだろうと考えたらしく、十分に用意してから申請に臨む予定であったのだそうだ。


 それが今回は裏目に出てしまったようである。


「しかし、それならむしろアンタを追い出すように動くんじゃないのか?」


「こういうことを言うのも格好悪いんですが、俺が一番に踊れるんスよ」


「ああ、そういうことか……」


「この同好会も、先月引退した三年の人から受け継いでやってるんですが、俺が入る前は大会に参加することもままならないレベルでした。だからまあ、多分、そういうことなんじゃないのかなって考えています」


「……理解した」


 下級生からの話を受けて、西野は胸の内に湧き上がる熱いものを感じていた。


 廃部の危機に瀕した同好会、足りない部員、迫ったイベント。その手のメディア作品にありがちなシチュエーションは、青春欠乏症に思い悩む童貞にとって、やる気を引き出すのに十分なものであった。


 更に入部した暁には、モテにモテるブレイクダンス生活が待っている。


「要は五人、部員を集めればいい訳だ」


「え、でも……」


「どうした?」


「先輩って、あの、に、二年A組の西野先輩ッスよね?」


「ああ、そうだ」


「…………」


 躊躇なく頷いた西野に下級生の表情が曇る。


 理由は考えるまでもない。


「一年の俺も、その、せ、先輩のことは色々と噂に聞いてるんで……」


 もの言いたげな眼差しが、西野の目元を見つめる。


 見事なオッドアイだ。


 世にも珍しい黒と青のオッドアイだ。


 だが、フツメンはまるで動じた様子もなく、頷いて答えた。


「任せろ、今週中に集めてみせる」


「…………」


 まるで根拠の知れない、それでいて自信満々な宣言に、下級生の表情は訝しげなものになった。ただ、自身に負い目がある為だろうか、それ以上は何を語ることもない。どうやらゲイバレからの拒絶は、彼にとって相当ショックな出来事であったようだ。


 そんな彼の消沈を良いことに、フツメンは意気揚々と同所を後にした。




◇ ◆ ◇




 ブレイクダンス同好会を経った西野は、その足で二年B組に向かった。


 ローズに会う為だ。


「ローズちゃんなら、もう帰ったけど……」


「そうか、ありがとう」


 居合わせたB組の女子生徒は、嫌々と言った様子で西野に対応した。これといって過去に話をした覚えのない両者だが、後者が学内に轟かせる不穏な噂の数々は、出会い頭に眉へシワを寄せさせるだけの威力があった。


 だが、今はそれどころじゃない西野だから、これを気にした様子もない。


 お礼と共に軽く頭を下げて、ローズ宅へ帰路を急いだ。


 昇降口を過ぎて下履きに履き替える。正門を過ぎて街路に出る。そのまま駅に向かい一直線に早足で進む。改札を越えて、エスカレータを上り、ホームに出る。次の電車の時刻を確認して、自身の端末の時計から、数分ばかり猶予があることを理解する。


 降車駅の改札にほど近い車両へ移ろうと移動を始める。


 そうした最中のことだ、ベンチに腰掛けた小柄な少女と視線があった。


 綺羅びやかな銀髪と真っ白な肌は遠目にも目立つ。


「やっと来ましたね。どこをほっつき歩いていたんですか?」


 少女は西野の姿を見つけて、すっくと立ち上がった。


 他の誰でもない、転校生のガブリエラだ。


 彼女は彼の行く手を遮るよう移動した。


「……何のようだ?」


 駅構内とあって、周囲には他に人目も多い。


 そこには彼らと同じ制服姿もちらほらと。


 ガブリエラと西野の間で会話が生じるに応じて、居合わせた生徒たちからは否応なく視線が向けられた。方や転校してきたばかりの美少女転校生であり、方や学内の負の視線を独り占めする同校きっての苛められっ子だ。


「ちょっとお話しませんか?」


「悪いが、少しばかり急いでいる。また後にしてくれ」


 平素の西野なら、話を聞くくらいはしただろう。


 しかしながら、現在の彼はダンスでモテることしか考えていない。その為にはブレイクダンス同好会の成功こそ必要不可欠であり、今週中に五人という部員を揃える必要があった。故に彼女に関わっている余裕はなかった。


 有無を言わさず傍らを通り過ぎようと歩みを急がせる。


 そんな彼に彼女は、遠慮なく腕をふるった。


「っ……」


 西野の鼻先を目に見えない何かが通り過ぎた。


 前髪が数本ばかりきり飛ばされて、ひらひらと宙を舞う。


「……なんのつもりだ?」


 流石の彼も歩みを止める。


 まさか駅構内で狙われるとは思わなかったようだ。


「あラ、残念です。首を撥ねルつもリだったのに」


 クスクスと笑いながら、挑むような眼差しを向けるガブリエラ。


 どうやら本気で西野の首を狙っていたようだ。仮にこの場で彼が絶命したとしても、彼女が不利益を被ることはないだろう。なんせ誰の目にも見えない摩訶不思議な力である。警察も検分のしようがない。


 同時に彼女の実家は富豪の二文字では片付けられないほど、地位と金と権力を備えた家柄である。駅構内で人の一人や二人、仮に殺してしまったところで、なんら痛むことはない。その気になれば施設そのものを廃業に追い込むことすら可能である。


「噂に聞いた話、アンタはローズを追いかけて来たんじゃないのか?」


「ええ、そうですよ」


「だったら俺などに構わず、あの女の尻を追いかけていればいい」


 他に人目があることも手伝ということもあり、西野は交渉の姿勢を見せる。


 そんな彼に対して、彼女は有り体にも語ってみせた。


「お姉さまってば、貴方のことばかリ考えていルんですもの」


「だったら何だというんだ? 文句があるなら本人に言え」


「邪魔です、消えてもラえませんか?」


「…………」


 旅中での出会った彼女の言動を思い起こして、やはりそういう考えに至るのか、などと思わないでもない西野だ。しかしながら、だからといって素直に消えてやるほど、彼は素直な人間ではない。


「まあ、嫌だと言っても……」


「分かった、付き合ってやる。代わりといってはなんだが、場所を変えさせろ」


「あラ、随分と度胸があルのですね? 以前は殺さレそうになった癖に」


「やるのか? やらないのか?」


「うふふふ、ちゃんと動画に撮って、後でお姉様にお見せしないと」


 難儀な女に惚れられたものだとは、西野の胸中に湧いたローズへの哀れみだった。ただ、そんな彼もまた同じくらい難儀な女に惚れられているのだから、世の中、どうにもままならないものである。


 西野が先導する形で駅を後にする。


 改札を出る際には、自動改札のレバーが上がらず、ぶつかったガブリエラの義手が取れて一悶着。一駅も移動していなかった為、素直に出られなかったようだ。二人仲良く並んで、駅員さんに決済用のカードをピッとやってもらった。


 落としたばかりの義手が流暢に動く様子を眺めて、駅員さんは驚きだった。


 それから彼と彼女は、同所から程近い場所にあった廃ビルに場所を移した。


 近日中に解体が予定されている昭和初期に建てられた古い建物である。既に内装は取り払われており、無骨な鉄骨を晒している。放課後という時間帯も手伝い、作業員たちも現場を後としたようで、他に人気は皆無である。


 人様に言えないようなことを行うには絶好のロケーションだ。


「こんな寂しい場所を最後の光景に選ぶなんて、貴方はとても悲しい人ですね」


「似たような台詞は何度か聞いた覚えがあるが、往々にしてそれは口にした本人のものとなった。悪いことは言わない、考え直してみてはどうだ? 転校初日とは言え、アンタは同じ学校に通う生徒なんだ」


 これでなかなか西野は、同郷というものを大切にする男だ。


 相手がガブリエラであっても、それは例外でない。


「アンタが男を忌諱する理由は理解できる。多少は同情心もある」


「なにが理解できルというのですか?」


「男が怖いのだろう。だからこうして、先手を打って圧倒しようとする。自身が好いた相手と程近い位置にいる男の存在が、不安で落ち着かないのだろう。だから遠ざけようとして、こうまでも強く当たってみせる」


「そんなの当然じゃないですか。一方的に囚わレて、手と足を奪わレたのですよ?」


 そこは形だけでも否定してほしかった西野である。おかげで事前に用意していた台詞は早々に出番を失った。適当に煽って、サクッと終わらせる予定だったフツメンの作戦は、一歩を踏み出した時点で失敗だ。おかげで続く言葉も尻切れトンボ。


「……なら俺に当たるのは筋違いだ」


「どうしてそう言い切れルのですか?」


「あの女にも、アンタにも、こっちは何ら興味がない」


 昨今の西野が興味を持っているのは、二年A組の委員長こと志水千佳子である。文化祭に卒業旅行と、ここ数週間に渡って少なからず時間を共に過ごしたことで、段々と彼女に惹かれ始めているフツメンだった。


 本人は気の強い異性が趣味なのだろうと自己分析しているが、実際には一つのベッドで同衾した一件が強烈に効いている。あれこれと偉そうなことを語って見せても、中身は異性からの好意に免疫のない、ただの童貞野郎だ。


「本当ですか?」


「本当だ」


「学校で聞きました」


「……言ってみろ」


 学校で聞いた。


 そのフレーズに悪い予感しかしない西野だろうか。


 そして、彼の想像はドンピシャであった。


「貴方、随分と女に飢えていルそうじゃないですか。身近にいル女という女に声を掛けていルと聞きました。最近はお姉さまにも纏わリ付いて、色々と迷惑を掛けていルのだとか。まさか放ってはおけません」


「…………」


 微妙に事実も混じっている為、一概に否定することは難しい。


 それがまた西野としてはもどかしい話である。


「まさか襲って欲しいのか?」


「冗談言わないでください」


「今のアンタの言葉も、同じくらい滑稽な冗談に聞こえたんだがな」


 西野は突き放すように語って聞かせる。


 何故ならば相手は同業者だ。要はローズと同じである。そこにはフツメンが望む甘酸っぱい青春など決してありえない。結べるのは仕事の上での関係だけ。そう強く感じていた。だからこそ、距離を置くことはあっても、自ら近づくなどとんでもない。


「俺にも相手を選ぶくらいの自由はあると思わないか?」


「選ぶ自由がないかラ、力尽くで事に至ルのではあリませんか?」


「…………」


 しかし、そうしたフツメンの意志は、どうしても伝わらない。


 無性にブレイクダンスの練習をしたい気分になる西野だろうか。


「いずレにせよ、貴方はこの場で私に敗北します。無様に床へ這いつくばリ、明日にはどこへとも、逃げ出す羽目になルでしょう。学校と名の付く施設は他に幾ラでもあルのですかラ、わざわざお姉様のいラっしゃル場所にこだわル必要はないと思います」


「……それは考えた」


「はい?」


「だがな、ここで逃げ出したら、一度でも逃げ出してしまったら、他へ行ってもまた逃げてしまう気がするんだ。そうして逃げ癖が付いた者の最後ほど、哀れなものはないのではないかと、俺は考えている」


「……何を言っているんですか?」


 銀髪ロリータからの提案は、西野の心の敏感な部分を的確に抉っていた。


 伊達に学校中から総スカンを喰らっていない。


「だから悪いが、俺はこの学校で青春を手に入れてみせる」


 ぐっと拳を握り、西野は力強く語ってみせる。


 その表情は真剣そのものだ。


「頭は大丈夫ですか? 変な語リは止めてください」


 フツメンの偉そうな自分語りを受けて、苛立ちが我慢の限界を越えたのだろう。ガブリエラに動きがあった。一歩を踏み出すと同時に、片腕を大きく右から左へ奮った。応じて飛び出したのは、目に見えない刺激的な何か。


 轟と大きな音を立てて、フロアに突風が巻き起こった。


「その為にも今は時間が惜しい、邪魔をしてくれるな」


 これを西野は真正面から受け入れた。


 今し方に拳を握った姿勢のまま、これといって身動ぎすることなく棒立ちである。すると、彼の手前数十センチほどの地点で、大きく視界が歪んだ。目に見えない何かのぶつかり合う気配。間髪を容れず、パァンという大きな音が響く。


 それはまるで、空気が爆ぜたようだった。


「っ!?」


「あの女が欲しいなら、アンタの好きに好きにすればいい」


 それとなく語りながら、西野が腕を振るう。


 顔の周りを飛び回る羽虫を振り払うような、何気ない振る舞いだ。


 すると次の瞬間、キィンと甲高い音がフロアに響いた。


「な、何をし……」


 台詞も半端に銀髪ロリータの身体が大きく揺らぐ。


 大慌てで身体を浮かせた彼女の視線が向かった先、そこには膝を切り飛ばされた義足が床に転がっていた。これに時を併せて、両腕の義手もまた、ドサリと音を立てて落ちる。いつの間にやら肘から先が切断されていた。


「っ……」


 彼女は熱いものにでも触れたよう、瞬く間に数メートルほどを後ずさる。


 手足を失った肉体が、空に浮かびながら動き回る様子は、なかなか滑稽なものだった。以前も彼女の似たような振る舞いから吹き出しそうになった西野である。あまり見ていては頬の肉が緩みそうで、顔をそむけるよう踵を返す。


「それと一つ忠告だ」


「……なんですか?」


 去り際、ここぞとばかりに格好つけるべく口を開くフツメン。


「アンタが転校してきた学校だが、あれでなかなか良いところだ。今は女のことしか頭にないようだが、少しは周りを見てみるといい。きっと、これからの人生を豊かにしてくれる、そんな何かに出会える筈だ」


 語りながら少しばかり歩んで、ガラスの取り払われた窓枠に足を掛ける。


 半身を乗り出すよう、自重を窓の先へ。


「…………」


 よりによってオマエが言うのかよ、とは喉元まで出掛かったガブリエラの素直な感想だ。しかしながら、一方的にやられてしまった手前、口に出すことは叶わない彼女である。言われるがまま、フツメンを見送る他になかった。


「ではな」


 短く別れの挨拶を告げて、フツメンは屋外へと発っていった。


 彼女には、これを止める手立てがなかった。


 それからしばらく、西野の気配が完全に失われたことを確認して呟く。


「……なんですか、あの化物は」


 その額にはビッシリと、汗の雫が浮かび上がっていた。




◇ ◆ ◇




 ゴスロリ少女と別れた西野は、急ぎ足でローズ宅まで戻った。


 手に荷物を下げたまま、玄関ホールを越えてリビングまで至る。本来なら自室へ戻り、カバンを置いて制服から私服へ着替えたことだろう。しかしながら、今の彼はそれ以上に優先すべき事柄があった。


 玄関に女物の下履きを確認して、フツメンは勇み足で戸口を越える。


 するとリビングには、想定したとおりローズの姿があった。


 彼女はソファーに腰掛けて、優雅にティーカップなど傾けている。ソファーテーブルの上には、焼き菓子の乗った皿やポットが窺える。上等な居室に対して、見た目麗しい彼女が寛ぐ様子は、とても絵になる光景であった。


 そんな空間にフツメンというノイズが交じる。


「あら? 今日は随分と帰りが遅かったわね」


 同居人の帰宅を受けて、家主から軽口が漏れた。


 普段は西野の方が先に帰宅しているケースが多いのだ。玄関先で下手くそなブレイクダンスを披露するのが、ここ最近の彼の日課であった。それが本日に限っては見られないから、彼女もまた少なからず気になっていた。


「少しばかり人と話をしていた」


「おかげで玄関先が汗臭くならずに済んでなによりだわ」


「……その点に関しては、改めようと思う」


 申し訳なさそうに頭を下げる西野。


 一方で、その匂いこそ毎日の楽しみであったローズとしては、いらぬ皮肉で墓穴を掘った形である。想像したより謙虚なフツメンの言葉を受けて、そんな反応をされるなら言わなければ良かったと、後悔も一入だろうか。


 伊達に深夜、西野が寝静まってから各所をペロペロしていない。


 うすしお味。


「それよりも一つ、アンタに頼みがある」


「頼み? それはまた物騒な響きね」


 ピクリ、形の良い耳が長い金髪の下で動く。


 ここ最近、見られなかった話の流れである。今まさに聞いたような文言を期待してこそ、彼女は彼を自宅へ招き入れたのである。そうして繰り返される懇願が、やがては自身に対する絶対の依存になるようにと、日々画策して止まない金髪ロリータだ。


 人間とは堕落する生き物である。


「ブレイクダンス同好会へ入部してくれ」


 しかしながら続けられた言葉は、彼女の望みとは些か趣きが異なる。


「……何故かしら?」


「部員が足りない。名義だけで構わない」


「…………」


 さて、どうして答えたものかと考える金髪ロリータ。


 入部を承諾することは容易である。しかしながら、素直に頷いてしまうのも面白くない。なにより彼女は文化系の部活で、西野とキャッキャウフフしたかったのだ。放課後の部室で一緒に紅茶など飲みながら、談笑に興じたかったのだ。


 あわよくばそのまま生結合したいのだ。


 大勢の部員と一緒に、汗水たらしてダンスの練習というのは違う。


「私に何のメリットがあるのかしら?」


 そこで彼女は事前に用意していた台詞を口にした。


 酷く淡々とした受け答えである。


「……取り立ててメリットと呼べるようなものはないな」


「まさか私が頷くと思っているの?」


「…………」


 そう言われると西野はグゥの音もでない。それでも先月までの彼であれば、自分を切り売りすることで、条件を引き出すことができただろう。しかし、今のフツメンはと言えば、日々の稼ぎはおろか日常の一分一秒が彼女のものである。


「けれど、条件次第では手伝ってあげてもいいわ」


「本当か?」


「同好会を正式な部活動にするために必要な条件なのよね? たしか同窓会の創立から一年以内にメンバーを五人集めて、相応の実績を作る必要があるのだったかしら? いちいち面倒な話よねぇ」


「……何故知っているんだ?」


「自分の手駒の動きくらい、把握しておくべきでしょう?」


「…………」


 彼女は彼女でブレイクダンス同好会に接触していたようだ。西野は知らないが、彼の口からブレイクダンス同好会という言葉が漏れて即座、ローズは動いていた。そして、学園カーストの頂点に立つ金髪ロリータだから、端末一つで情報は勝手に集まった。


「違ったかしら?」


「いいや、そのとおりだ」


「代わりに条件があるわ」


「……言ってみろ」


「同好会が部として承認されたのなら、貴方には部活動を止めてもらう」


「何故だ?」


「貴方は以前、私に青春の大切さを説いてくれたわよね?」


「……だったらどうした」


「まったくもって正しいことだと思うわ」


 ニコリと満面の笑みを浮かべて、ローズは言葉を続ける。


「人間にとってほんの僅かな、一生に一度きりの出来事なのだもの。そこで私もまた、青春を楽しむ為に、新しく部活動を作ろうと考えたの。これに必要な部員として、貴方をカウントするわ。同好会の申請にも最低三人、人員が必要らしいじゃない」


「…………」


「ということで、西野くん。色の良い返事はもらえるのかしら?」


 カチャリと手にしたカップをソーサーに戻して、ローズは西野に向き直る。その表情は至って真面目なものだった。皮肉が喉元まで出掛かった西野だが、どうやら伊達や酔狂で語っている訳ではなさそうだと理解する。


「もっとも貴方が私を頼らずに人を集められるなら、無理にとは言わないわ」


 ブレイクダンスも段々と楽しくなってきた最中の退部勧告であった。西野としては避けて通りたい条件である。しかしながら、彼は既に後輩とは約束を交わしてしまった。俺に任せろと、大見得を切ってしまった。


 そして、このフツメンは約束事に対して非常にマメな男だ。ローズの協力を得られないとなれば、部員の確保は困難を極めるだろう。いいや、不可能と称しても過言ではない。全ては学園カーストの頂点に立つ彼女の協力あってこその作戦である。


 故に結論はすぐに出た。


「分かった、いいだろう。元よりこの身は貴様のものだ」


「ありがとう、とても嬉しいわ」


 答えるローズの顔には、ニコリと良い笑みが浮かんでいた。

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