現地 八
ところ変わって、こちらは再び太郎助たちである。
依然として危地にあるには変わらないが、縄を解かれたことで、人心地ついた面々だろうか。緊張に強張っていた身体も、幾分か楽になる。おかげで自然と、身体の中に溜まっていたものも、勢いを増して動き出す。
「…………」
それは例えば、便意である。
すぐにでもトイレに駆け込みたい太郎助だが、このタイミングでトイレに行きたいだなどと、声を上げるのは格好悪いにも程がある。平然を装って、それとなく会話を続けながら、席を立つ隙を窺っている。
一方で縄から開放された竹内君たちは、身体が自由になると同時に、その場に座り込んでしまった。両腕を巻き込む形で締め上げられていたことも手伝い、かなり疲弊して窺えた。各々、縄の跡を確認するよう、袖を捲ったり、何をしたり。
そうした最中のこと、松浦さんが切羽詰まった様子で声を上げた。
「あのっ! わ、わ、わたし、トイレっ!」
言うが早いか、リビングより他へ駆けてゆく。
どうやら今の今まで我慢していた様子だ。
これに慌てたのは他の誰でもない、現在進行系で便意と戦っている太郎助である。廊下に向かう彼女の背を目の当たりとして、その瞳が驚愕に見開かれた。頃合いを見てトイレに行こうと考えていた手前、松浦さんに先を越されてしまったイケメンだ。
そんな彼に、傍らから声が掛かった。
「あの、も、もしかして、本当にタローさんなんですか?」
竹内くんだ。
太郎助の顔を再三に渡り確認して、おずおずと問い掛ける。それは彼以外、拉致監禁を共にする誰も彼もが気になる事柄だった。遠くギリシャのチンピラこそ知らずとも、同郷の出、それも年頃の若者とあっては、知名度も抜群だ。
「ん? あぁ、この近くで撮影があってな……」
「っ……」
イケメンが頷くに応じて、竹内君の表情が驚愕に固まる。
これに鈴木君とリサちゃんまた続いた。
「スゲェ! マジで生タローさん!?」「ちょっとちょっと、鈴木、生タローさん呼ばわりとか、アンタそれ失礼じゃない? タローさんは私たちより年配だよっ!?」「あっ、す、すみませんっ! まさか本物だったとは思わなくて」
路上で殴られて、無様にも気絶してしまった太郎助の地位の低下は、今し方に見せた少女との交渉で、再び上昇の兆しを見せていた。伊達にイケメンしていない。僅かばかりの成果も、勝手にバイアスが掛かって大成となるのが常である。
ただ、今はそうしてキャッキャとしている状況でもない。西野との付き合いから、ゴスロリ少女の危険性を正しく理解する太郎助は、沸き立つ面々を諫めるよう、これを遮って少し強めに言葉を続けた。
「情けないところを晒した手前、こういうことを言うのは体裁が悪いが、やいのやいのやっている場合じゃない。下手にあの子を刺激するような真似は不味い。それよりも状況の確認をしたい」
太郎助の脳裏に思い浮かぶのは、いつぞやマフィアに襲撃されたホテルでの一晩だ。
数多の重火器と、そこから発せられた大小様々、数え切れないほどの銃弾を掠り傷一つ無く防いで見せた西野の姿。仮に彼と同様のポテンシャルをゴスロリ少女が備えるならばと、想像しただけで背筋の寒くなるロック野郎だった。
「いいか?」
「す、すみませんっ……」
皆々を代表して竹内君は頭を下げた。
地位と名誉と顔面偏差値が全ての学園カーストに生きる竹内君グループに対して、イケメン芸能人の言葉は絶大だった。鈴木くんとリサちゃんも併せて、途端に落ち着きを見せる。酷く真剣な顔つきとなる。
場が静まったことで、太郎助はふぅと心中で溜息を一つ。
「悪いな。無理を言ってるのは承知の上なんだが」
「けど、さっきのって何だったんですか? いきなり縄が切れて……」
「…………」
西野とお揃いのかまいたち現象だ。
自身もまた理解していない事柄を問われて、さて、どうしたものか。
一連の問い掛けから、太郎助は西野が自らの不思議パワーをクラスメイトに伝えていないことを理解した。そうなると不用意に情報を与えることは不味いだろうと判断する。顔が良ければ頭の巡りも早いイケメンは、早々に結論を出した。
「悪いがその点に関しては、俺も理解していない」
そうこうしていると、トイレに立っていた松浦さんが戻ってきた。
リビングを後とする直前までは、今にも泣き出しそうであった表情が、今はこころなしかスッキリした表情である。ハンカチで手など拭いながらの帰還だ。実に三日ぶりとなるお通じは、異国の地でトイレに極太を落としていた。
そして、その事実を悟らせない為にも、あたかも小さい方をしてきたのだと訴えんばかり、大急ぎで戻ってきた次第である。トイレに漂う悪臭も、一つ前の人のせいだよ、訴える為の言い訳は完璧だ。
「あぁ、ところで悪いが俺も……」
彼女の姿を確認したことで、太郎助に動きがあった。
そろそろ我慢も限界が近いイケメンの腹具合だ。
しかしながら、そんな彼の行いを邪魔をするヤツがいた。
「あっ、私も我慢してたんだ。ちょっと行ってくるねっ」
「っ……」
言うが早いか、松浦さんと入れ替わりでリビングを後にするリサちゃん。
これを太郎助は今一度、驚愕の眼差しで見送る羽目となる。
「……タローさん? どうしたんスか?」
「え? あ、い、いや、なんでもない、なんでも」
息を呑む太郎助に対して、竹内君から気遣いの声が与えられる。
これに危ういところで笑みを浮かべて対応するも、いよいよ限界が近いイケメン。その肛門は悲鳴を上げている。しかしそれでも、相手が現役女子高生とあらば、黙って見送るのが彼のジャスティスだった。
せめて気分を変えてみようと、彼は他に視線を移す。
自ずと目に付いたのはゴスロリ少女だ。
それとなく様子など窺ってみる。
すると彼女はどうやら、既に彼らに対する興味を失った様子で、ソファーに腰掛けた姿勢のまま、手にした端末など弄くり回している。同じくリビングで語らい合う太郎助たちにも、なんら構った様子がない。
あまり見ていても不味かろうと、改めて太郎助は竹内君に向き直った。
「一応確認するが、あの金髪の子とは一緒に旅行へ来ているのか?」
「はいっ、それは間違いないです」
「そうか」
ならばとイケメンは、当面の行動を決める。
ローズが見た目相応の少女ではないことを太郎助は知っている。故に今は素直に、その到着を待つのが良いだろうと考えた。これで相手が身代金目的の誘拐でも企んでいるようなら、話は変わってきたのだろうが、そこまで面倒な話でもない。
太郎助の最優先事項は、西野のクラスメイトを無事に帰すことだった。
本当はすぐにでも開放してくれと、泣いて許しを請いたいイケメンである。ただ、それでも彼は必死に笑みを浮かべて、外見を取り繕っていた。ニヒルな笑みで、存分にイケているだろう表情をキメていた。それもこれも竹内君たちの為である。
アイツのクラスメイト。アイツのクラスメイト。アイツのクラスメイト。
それだけが太郎助の心を支えていた。
今度は俺の番だ。俺がアイツの友達を守ってやるんだ。コイツらだけは俺が守ってやらなければならないんだ。そんな青臭い情熱が、彼を危ういながらも挫けさせることなく、ギリギリのところで踏み止まらせていた。
「タローさんは、ローズちゃんと知り合いなんですか?」
「いや、知り合いの知り合い、といったところだ」
「もしかして、遠いご親戚とかですか?」
「少し言葉を交わしたことがある程度だ。他人に毛が生えたようなものだな」
「なるほど、そうなんですね」
ローズの名が話題に上がったことで、自ずと太郎助は思い起こす。
それは先々週の文化祭、西野のクラスが催したコスプレ喫茶でのこと。数十分ばかり彼女と席を共にした最中の出来事だ。爛々と輝くローズの青い瞳と、そこに垣間見た狂気は、未だ忘れられることなく、彼の脳裏でトラウマと重なる。
思わず身体が震えそうになる太郎助。
これを振り払うよう、彼は努めて力強く言葉を続けた。
「些か手荒な出迎えだったが、心配するな。きっと大丈夫だ」
「大丈夫、なんでしょうか?」
「ああ、問題ない。いざという時は、俺がなんとかしてみせる」
「っ……はいっ!」
その振る舞いに大人の余裕を垣間見たのか、竹内君は瞳を輝かせて頷いた。実はデビュー当時から太郎助のファンである彼だ。自慢の茶色いロン毛ヘアーも、目の前のイケメンから影響を受けた結果である。
そうこうしていると、廊下の側から声が届いた。
「ふぅ……すっきりしたぁー……」
リサちゃんがトイレから戻ってきたようだ。
その姿を見るやいなや、太郎助は今度こそと意気込む。
「悪い、ちょっと俺も……」
しかしながら、彼の悲願は三度に渡り、阻止される運びとなる。
「あっ、それなら俺も便所いって来ようかな。念のため」
「っ!?」
鈴木くんだった。
彼は軽い調子で呟くと共に、飄々とトイレに向かっていった。
「っ……っ……」
念のために行くくらいだったら、俺に先を譲ってくれ。そう訴えたくて堪らない太郎助である。しかしながら、願いを声に出すことは叶わない。場に唯一の大人という立ち位置が、彼に一言を発する自由を奪っていた。これでなかなか自尊心の高い男である。
ややあって、廊下の側から鈴木君の声が届いた。
「うぉっ、クサッ……くねぇ、大丈夫! ぜんぜん大丈夫!」
松浦さんの放った強烈な一撃が、鈴木君の鼻を直撃したようだ。
下手くそな気の使い方が、殊更に彼の受けたダメージを物語る。
おかげで自ずと、皆々の視線はリサちゃんに向かった。
ただ、それも一瞬のこと。
不自然なまでに集まった視線は、すぐさま彼女から散っていった。
当然、リサちゃんは慌てる。
「ち、違うよっ!? 私、小さい方だもんっ! おしっこだったよっ!?」
その言葉通り、彼女は小さい方しかしていない。
悪臭を我慢しながらのおしっこだった。
しかしながら、彼女の主張は通じない。
必死になって訴えるも、皆々の眼差しは穏やか且つ優しげなものだ。
きっと久しぶりのお通じであったのだろうと。
主犯の松浦さんはといえば、予期せぬところで怨敵に一矢報いたことから、満面の笑みである。いつぞや学校の屋上でマウントを取られた際のことを思い起こしては、狼狽するリサちゃんを気分良く眺めている。
一方で自らの潔癖を主張するリサちゃんはリサちゃんで、太郎助の手前、自らおしっこ宣言してしまった事実に興奮していた。凄い人の前で、おしっことか言っちゃった。そんな過去に覚えのない快感の鱗片を感じて、ブルリと身悶えを一つである。
クラスメイトがそんな具合だから、これを治めるのは竹内君の役割だ。
かねてより疑問を抱えていた彼は、ここぞとばかりに口を開いた。
「あの、タローさん。一ついいですか?」
「な、なんだ?」
ゴスロリ少女に聞こえないよう、声を潜めた竹内君が太郎助の耳元で呟く。
その口から伝えられた言葉は、突拍子もない問い掛けだった。
「もしかしてタローさんは、意図して捕まったんじゃないですか?」
「……なんのことだ?」
さっぱり意味が分からない太郎助。
え? なにそれ? そんな素直な疑問が、喉元まで出掛かったほど。
「以前も品川の港で行われていた麻薬の取引を、単身乗り込んで潰したんですよね? それにこの間も、六本木のバーでマフィアのボスグループに絡まれて、喧嘩を売られたところ、一人で逆に返り討ちにしたんだとか」
「…………」
噂に尾ひれが付いている。
いや、それどころか背びれ胸びれと付いて、随分と酷いことになっていた。
ミノカサゴのような男だ。
「だから今回も、そ、そういうことなんですね?」
ここまで言われては、まさか訂正することもできない。マフィアに脅されて、殺されかけて、他人の前で脱糞してしまいました。そんな事実、今をときめく売れっ子ロックスターが公開できるはずもない。
「よ、よく気づいたな? その若さで、なかなか大したものだ」
「やっぱりあの噂は本当だったんですねっ! 凄いッスっ!」「え? あれって演技だったんですか?」「そりゃそうだろ? タローさんが、あんな簡単にやられたりしないって」「そうだったんだ……」「あの、それよりも私、喉が乾いて……」
少しばかり賑やかとなる竹内君とリサちゃん。
そして、相変わらずな松浦さん。
「ま、まぁ、な? だが、このことは誰にも言うなよ? 絶対に秘密だ」
「そんなの当然ッスよっ! 誰にも言いませんって」
トイレには行けないし、妙な勘違いをされてこっ恥ずかしいし、踏んだり蹴ったりなイケメンである。しかも鈴木くんは念のために大きい方で踏ん張っているらしく、待てど暮らせど一向に返ってこない。悪臭に耐えながら大したものだ。
それからしばらく、太郎助の孤独な戦いは続けられた。
◇ ◆ ◇
一方、こちらは再びフィラに所在するホテルの一室。
外へ観光に出ていたのも束の間、教会を発った西野たちは、他に何処を巡ることもなく、真っ直ぐホテルに戻った。先んじてバイクにより出発したフツメンと委員長は当然のこと、放置された金髪ロリータもまた自力で徒歩により帰還である。
戻った先はフランシスカの待つ部屋だ。
折角の旅行だと言うに、外へは二、三時間ばかりを出回った限り。夕食までの時間を部屋に籠もって過ごす運びとなった。幸いであったのは、彼らの取った部屋がスイートであったこと。バルコニーにはプールが設けられて、臨む景色は大したものだ。
更に専属のルームサービスは、望めば大抵のものは用意してくれる。
結果的に皆々、水着に着替えてプールでバカンスとなった。
「たまにはこういうのも悪くないわね」
大きめに作られたパラソルの下、デッキチェアに身体を預けるフランシスカの手には、つい今し方に届けられたばかりのトロピカルジュース。縁にパイナップルやら何やら、綺麗にカットされたフルーツの刺さるグラスを、やたらと複雑に曲がりくねったストローでチューチューとやっている。
その身を覆う黒色のハイレグ水着は、彼女の色白い肌を否応なく強調する。大きく開けた背部は腰下まで肌を晒す一方、前面では胸から股間に掛けて幅広なV字にスリットが入り、メッシュ状の生地越しにシースルーといった塩梅だ。
おかげで胸は、辛うじて乳首が隠れている、といった有様である。ご自慢のHカップは、内半分がメッシュ越しに露出している。程良く鍛えられた腹筋も然り。また殊更にキツいカットの為された股間周りは、それこそ些末な身動ぎの一つであっても、脇から具が見えてしまいそうなほど。
例によって例の如く、西野に対する色仕掛けである。
これもまた彼女にとっては立派なお仕事だった。
「貴方もいかが? なかなかイケるわよ、この何とかジュース」
「結構だ」
そんな彼女の呟きを無視して、西野は志水に意識を向ける。
こちらはオーソドックスな花柄ワンピースだ。大人しいデザインで、との注文にホテル側が正しく答えた結果である。腰の上から長めのパレオを巻いて、股下の露出を完全に避けている。もしかしたら、緩めのお腹を気遣ったのかも知れない。
「委員長、本当に体調は大丈夫か?」
「え、ええ、しばらく休んで良くなったから」
プールサイドに腰掛けて、膝から下を水面でパシャパシャとやっている。
時刻は五時を過ぎて夕暮れ時だ。それでも依然として日差しの厳しい同日とあっては、水辺に寛ぐのが心地良いようである。視線は自然とバルコニーの先、切立った崖の上から海越しに数キロを隔てて続くティラシアへ。
「そうか? であれば良いが、また悪くなったらすぐに言うといい」
「……別に、西野君にそこまで心配される謂われはないと思うんだけど」
意識を海の向こう側から西野に移して、彼女は呟いた。
そうして語る調子は、本日出会った当初と比較すると、幾分か穏やかだ。
「困ったときはお互い様だ。不快だと言うのであれば無理強いはしないが」
「ふ、不快とまでは言わないわよっ」
「そうか? それなら助かるな」
「だから、そ、そういう言葉遣いが駄目だっていうかっ……」
しかしながら、やはり笑顔とは遙か遠い。痒いところが上手く掻けずに、苛ついているような。便のキレが悪くて、踏ん張っても踏ん張っても、最後の一切れが直腸に残り不快であるような。そんな如何ともし難い、やりきれない表情での受け答えである。
「分かった。善処する」
「……全然わかってないよね? そうだよね?」
早々に説得を諦めたようで、視線を正面の海に戻す委員長だろうか。
そうした二人の下、脇から押し入ってくるのがローズである。プール脇に佇む彼と彼女の間へ、しゃなりしゃなり、少なからず格好付けた歩みで近づいて来る。一歩を歩む都度、腰下まで伸びた金髪が揺れては、陽光を反射してキラキラと綺麗に輝いた。
「ねぇ、西野君。この水着なんてどうかしら?」
西野と志水が振り向いた先、クネっと腰を捻り、軽くポーズなど決めてみせる。
彼女が身に付けているのは俗に言うマイクロビキニというものだった。黒に縁取られた白というデザイン。柄を与えるだけの猶予もないほど手狭い生地は、辛うじて乳首と割れ目を覆っている。性器の範疇として含まれるべき恥丘は大半が露出だ。
フランシスカのそれと比較しても、十分過ぎるほどに過激な水着だった。
教会での一件を挽回する為、彼女なりのアプローチだろう。
「ちょっと派手過ぎたかしら?」
たしかに童貞の西野には、少しばかり刺激の強い光景である。
フランシスカを筆頭として、仕事の上で肉体関係を迫られたことは幾度かあった。しかしながら、全てを持ち前のシニカル気取りで断ってきた。そんな彼だから、視線が一瞬でも股間の食い込みに向かってしまったのは、仕方のないことである。
これで性欲はいっちょ前にあるフツメンだ。それがここ三日ばかり、海外遠征、更にフランシスカが同伴とあって、碌に処理していない。睾丸には良い具合に欲望が堪っていた。更に直近四十数時間を眠っていない為、精神と身体のバランスはちぐはぐ。
俗に言う疲れマラという状態だった。
フランシスカの身体から即座に視線を背けたのも、偏にそれが理由だ。
「……悪いが趣味じゃない」
数瞬ばかりを拝んだところで、童貞はハッと我に返った。
大慌てで視線を性器から剥がして、エーゲ海に向ける。夕日に照らされて輝く海は、どこまでも続く茜色。キラキラと煌く海を眺めて、ただでさえ細い瞳を更に細める西野は、別に何も見ていないと訴えんばかり、せいぜい格好つける。
しかしながら、その脳裏には今まさに捉えた光景が、しかと残っていた。
金髪ロリータの恥丘だ。
「あら悲しい。もう少し見てくれても良いんじゃないかしら」
答えるローズはしたり顔。内心ガッツポーズ。
ほんの僅かな間ではあるが、西野の興味が自らの肉体に移ったことを理解して、日中帯、彼に申しつけた勝負は、決して誤りで無かったと確信を得る。同時に今後、決着の迫る三ヶ月後へ向けた戦略が、凄まじい勢いで脳内に構築されてゆく。
今すぐ全裸になって抱きつきたいわね、とは心中に呟かれた素直な思いだ。
「水着を選ぶ前に自らの身体付きを鑑みるべきだと思うが?」
明後日な方向へ視線を向けたまま、フツメンは平静を装い答えた。
素っ気なさを装う一方で、股間が膨らむことを押さえるに一生懸命である。今でこそ辛うじて平時を保っているが、膨張の瞬間が目前に迫っている。これで毎晩の日課が正常に機能していれば、ここまで焦ることも無かっただろう。
「最近はこういうのにも需要があると、メディアでも謳っているわよ?」
「それはプロパガンダだ、多分に虚偽も混ざっている。いちいち相手にするな」
「童貞の坊やには刺激が過ぎたかしら?」
自らの優勢を理解して、強気の表情となりローズは続けた。
「っ……」
反感からローズに視線を戻すと、再び目に入るのは金髪ロリータのあられも無い姿だ。これを目の当たりとして、西野は反論を失う。マイクロビキニはエロかった。どこまでもエロかった。今にも見えそうな女性器は、果てしなく魅力的だった。
何故ならば彼女は、どれだけ憎まれ口を叩こうと、絶世の美少女である。
如何に歳幼くとも、美しいモノは美しい。
尚且つ、これを見つめる側は、性欲滾る童貞野郎だ。連日右手が恋人。相手が異性であれば、それが童女であれ熟女であれ反応は必至。白の生地は乳首の膨らみさえ鮮明に伝える。更に縁を囲う黒がこれを強調する。更に股間の周りは覆いきれぬ恥丘を晒して、的確に彼の意識を奪い取りに来ている。
例によってこの手のやり合いは、ローズの一方的な勝利だった。
「どうしたの? まさか私とやりたいの?」
ニヤニヤと厭らしい眼差しで金髪ロリータが問い掛けた。
「馬鹿を言うな。売女はフランシスカだけで間に合っている」
「その物言い、もしかして貴方は彼女とやったのかしら?」
「笑えない冗談だな。どれだけ俺が情けなくとも、相手くらいは選ぶ」
一連のやり取りを耳として、フランシスカの額には憤怒から血管が浮かび上がった。手に力が入った為、薄いガラスに作られたグラスが、ピシリと危うげな音を立てる。彼女はデッキチェアから上半身を起こして、非難の声を上げた。
「ちょっとちょっと、それは聞き捨てならないわね」
自ら値引く分には構わないが、他人に値引かれるのは我慢ならぬようだ。苛立ちを隠そうともせず、サングラスを視線の下にズラしては吠える。キリリとした鋭い眼差しは容赦なく童貞野郎を捉えていた。
そんな彼女に構わずローズは西野と話を続ける。
「ノーマルが不能だと、噂に流しても良いかしら?」
志水とフランシスカが見つめる先、互いに向かい合う西野とローズである。
「…………」
西野は自分が完全に舐められていると理解した。
そして、それは彼の生存戦略の上で、決して許されないものだ。万が一にも不能野郎の誹りが業界に広まっては、今後の仕事に差し支える。評価評判の低下は、そのまま面倒事との遭遇率の上昇に繋がる。風評被害というやつだ。
「……上等だ。そんなに犯して欲しければ、今この場で喰ってやる」
「え?」
一歩、フツメンがローズに向けて踏み出した。
そんな彼の反応は、金髪ロリータにとって、完全に想定外である。志水の傍ら、まさか挑んでくるとは思わなかったようだ。事実、学園内での彼であれば、適当に軽口など叩いては、有耶無耶に終えただろう。
「孕んでも文句を言うなよ?」
「あ、あら、そう? それは随分な提案かしら……」
途端、早々に股間が湿り始めるキチガイ女である。マイクロビキニが晒す僅かばかりの生地に隠れて、割れ目の奥で愛液の溢れる感覚を得る。彼女は自らの発情を理解した。誰に触れられた訳でもないのに乳首が勃起を始める。
西野に抱いてもらえるなら、どうやら場所やシチュエーションなどは、どうでも良いらしい。ロマンスもへったくれもあったものでない。そういった意味では、酷く男性的な価値観の持ち主である。伊達に委員長からキチガイ認定されていない。
「随分と自信があるようだけれど、ねぇ、そこまで言うのであれば、ここで立ったまま楽しませてもらえないかしら? それとも童貞に立位は難しいかしら? なんなら手取り腰取りレクチャーしてあげても構わないのだけれど」
「……いいだろう」
淡々と答えて、二歩三歩と歩みを進めるフツメン。
その表情は平素からの彼となんら変わりない。
存分にシニカルを気取っている。
しかし、内心は初めてのセックスに向けて胸がドキドキだ。
売り言葉に買い言葉、やってしまったと思わないでもない西野である。他に志水やフランシスカの視線があったことも手伝い、力んでしまった結果である。童貞には童貞なりのプライドがあったようだ。
しかし、選んだ選択肢は最悪だった。
いつでもどこでも発情可能な金髪ロリータとは対照的に、彼はと言えば、叶うことなら脱童貞は好き人とロマンチックに夜景の綺麗な高級ホテルのロイヤルスイートで、などと考えている。気持ちが悪いほどに乙女チックな趣味の持ち主だった。
しかし、どれだけ後悔したところで、時既に遅し。
目の前にはマイクロビキニ装備の金髪ロリータがウェルカム状態。
キチガイ女は下ネタに極めて強かった。
「どうしたの? 孕ませてくれるのではなくて?」
まさか前言撤回など不可能である。
これを理解して、ローズは殊更に笑みを深くする。
「……分かっている」
童貞史上、嘗てない危機の到来だった。
数分の後には生結合の予感。
だからだろうか、見かねた志水が声を張り上げた。
「ちょ、ちょっとっ! 人前でそういうの止めて貰える?」
一連のやり取りは、どうやら彼女の倫理的にアウトだったようだ。プールから足を上げて立ち上がる。そのまま睨み合う二人に向き直り、声も大きく青少女の主張が続く。少なからず頬が上気しているのは、彼女が下ネタを苦手とするが所以だ。
「っていうか、西野君ってそういうキャラじゃなくないっ!?」
「キャラも何もない。俺は俺だ」
返されたのは相変わらず空気の読めない発言だった。
フランシスカと同様、志水の額にもまた血管が浮かび上がる。
「だ、だから、そういうのが駄目だって言ってるんだけどっ!」
おかげで殊更に語調も強く、委員長からは非難が続いた。
志水千佳子、十七歳。
もしも駄目じゃなくなったら、どうなるのか。
「前から思ってたんだけど、どうして西野君ってそうなの? おかしいでしょ? もう少し相手のこととか考えて喋れないの? 人として色々と間違ってると思うんだけれど、そういうの直すつもりはないの?」
荒ぶる委員長。
おかげで西野は危うくも、金髪ロリータとの公開セックスを脱する。
「……確かに、見苦しいには違いない」
小さく呟いて、ローズの正面、あと一歩のところで足が止まった。
「委員長の言うことは尤もだ」
「だったら止めなさいよっ。フランシスカさんだって見てるし!」
「あら、私のことは気にしなくても良いわよ? お好きにどうぞ。こっちは報告書の最後に一行増えるだけだから、大した手間でもないわ」
「…………」
トロピカルジュースをちうちうと啜りながら、金髪美女は完全に他人事の態である。彼女としては、西野がローズとヤろうがヤるまいが、大した問題ではないようだ。最終的にフツメンが自身の元へやって来れば、それで十分なのである。
そんな彼女の冷めた反応も手伝って、西野は平静を取り戻した。
続けられたのは彼の素直な思いである。
「いいや、止めておこう。どうやら口が過ぎたようだ。俺のような人間であっても、相手を選ぶ自由はある筈だ。確かに俺は経験がない。だが、だからこそ、最初くらいは自分が好きだと思う相手としたいと考えるのは、当然のことだろう?」
「貴方に相手を選ぶだけの自由があるのかしら? 後で後悔するわよ?」
「なにより変な病気を貰っては堪らない。そういった意味では、アンタとヤったところで後悔するのは目に見えている。それでも猛りたいと訴えるなら、前にも伝えたが、どうか他を当ってくれないか?」
「っ……」
「こちらから提案しておいて悪いとは思うがな」
普段の西野節が戻ってきた。
それは聞く者を無条件に苛立たせる。
「だから、そ、そういう言い方が苛立つんだけどっ……」
吠える志水もまた、教室に眺める普段のそれだ。普通にムカついている。苛々している。当然である。何故ならば相手は西野だ。ローズから半歩ばかり身を引いてみせた立ち振舞いも、どこか演技がかっていて、それがまた彼女の神経を逆撫でた。
「……以前から気になっていたのだけれど、一つ良いかしら?」
「なんだ?」
他方、せっかくの機会を不意にしたローズは不服そうだ。
幾分か機嫌を悪くして、フツメンに問いかける。
「貴方が都度口にする売女という文句だけれど……」
「売女を売女と称してどこに問題がある?」
これに答えるフツメンはといえば、なにを馬鹿なことを、と訴えんばかり。まるでそれが当然であると、常識を語って聞かせるように伝えてみせた。それがまたローズとしては面白くない話である。
「甚だ心外だわ」
「改めるところがあるのか?」
「貴方が今し方に語ったとおり、私にもまた相手を選ぶ自由はあると思うのだけれど、そこのところ、どうなのかしら? それとも貴方からの提案は、酷く偏った差別的なお話なかしら? 是非とも弁解を聞きたいわ」
「そうして選んだ結果が、今のアンタなのだろう?」
「……どういうこと?」
「言葉通りの意味だ」
「…………」
果たしてどのように解釈したものか。ローズは困惑の表情を浮かべる。異性へ向ける言葉としては破格の文句だ。自らの在り方とは、あまりにもかけ離れた評価に対して、彼女は彼が何を持って今のように語ってみせたのか、まるで理解できない。
両者の間で意思疎通に障害が発生していた。
しかし、これを正せる者はいない。伊達にこちらのフツメンは、格好付けて言葉少なにコミュニケーションを取りたがらない。意味深な発言も大好きだ。おかげで身の回りが、段々と大変なことになってきている。
「まるで意味が理解出来ないのだけれど……」
「アンタにとっては、理解する必要がないまでのことなんだろう」
「随分な物言いね。何をどう評価したのかしら? 詳細が知りたいわ」
「普段の振る舞いを実直に判断した結果だ。他には何も無い」
「そこまで大した振る舞いをした覚えはないのだけれど」
いつだか、竹内君から伝えられた、ローズのオマンコごちそうさま宣言が、今まさに効果を発揮していた。同級生の一人と関係を持った限りでビッチ扱いというのは、あまりにも過激なものの考え方だ。
しかしながら、ローズの自らを偽る立ち振る舞いが、これを少なからず悪い方向へ脚色していた。そうした諸々の背景も手伝って、フツメンは目の前の金髪ロリータを、典型的な悪女として認識していた。故に売女だ。
「悪いが眠いんだ。少しばかり休ませてもらう」
これ以上は付き合えないと、西野はバルコニーから去るべく踵を返した。
「ちょっと待って、もう少し詳しく説明して欲しいのだけれどっ」
慌てるローズ。
そうした二人のやり取りは、リビングに設けられた内線の音に阻まれた。着信を伝える電子音が、開けっ放しのガラス窓を隔てて皆々の下まで響く。歩みだしたフツメンの足は、自然と電話の下に向かい進んだ。
はい、どちらさまですか? 淡々と受け答える。
すると受話器の先から与えられたのは、想定外の出来事だった。
『すみません、こちらフロントなのですが……』
「なにか?」
『お客様にお伝えです。お、お知り合いの命が惜しければ、これより指定する場所にローズ様お一人で訪れるように、とのご伝言でして。それとあの、も、もしも警察に連絡を入れられた場合、その、お、お、お知り合いの方を……」
咄嗟、ローズを振り返り、硬直するフツメンだった。
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