第三章 はなむけの骸
町の外れ、森の始まり。小さな塔が建っていました。
外から見れば、二階建ての石造りの塔です。くすんだ壁面が、この塔が建ってから随分経っていることを教えてくれます。
一見、小さな塔です。しかしその地下には、広大な空間が広がっています。おびただしい数のしゃれこうべと共に。
ここは骸骨堂。
死者が眠る塔を管理しているのは、ひとりの少女でした。
*
その女性は、骸骨堂に姿を見せたときから仏頂面でした。
神経質そうな眼差しは棺を睨むように見つめており、薄い唇は固く結ばれています。少し笑えば美しい人であろうのに、もったいないことです。
ヨークがしゃれこうべに聖なる火を点けてもいいかと尋ねても、早くしてと言わんばかりに頷くだけでした。
女性の他に、弔問客はいません。密やかなる葬儀でした。
「あ、こんにちは」
町に買い物に来たロッド。ヨークに頼まれたものを、すべて買い終えたところでした。昨日葬儀を上げたばかりの女性を見かけ、声を掛けます。
「あぁ、骸骨堂のお弟子さん。こんにちは。お買い物?」
「えぇ。ヨーク……師匠にいろいろ頼まれて」
ロッドは片手に携えた紙袋を示しました。女性は苦笑します。
「子どもにお使いに出されて大変ね。まぁお弟子さんなら仕方がないのかもしれないけど」
「そうでもないですよ」
ロッドはにこやかに答えます。
ふと彼女の持つ大荷物に気づきました。
「おや、どこかにお出かけで?」
「あぁ、違うのよ。私、ずっとこの町にいなかったの。父が亡くなったって聞いて、昨日帰ってきたばかりだったの。今朝まで宿屋に泊まってたんだけど、これから父の家に行くところってわけ。移動も大変よ」
それで葬儀はひとりだけだったのか、とロッドは納得しました。亡くなった父親には、一緒に暮らす家族も親戚もいなかったのでしょう。
くすりと笑う声がしました。
「見送るのがひとりだけって葬儀は珍しかったでしょう? そういう人だったの、父は」
女性はなんでもないことかのように言います。
実際、見送る人が少ない葬儀は珍しいわけでもありません。ですがロッドはなんと言ったらいいか分からず、黙って聞いていました。
「呑んだくれで、働かなくて、どうしようもない人だった。まだ私が小さいときに、母は私を連れて家を出たの。幼心に嫌な父親だったってことだけ覚えてる」
女性の表情に、悲壮感はありません。彼女にとっては、もう過ぎたことなのでしょう。
ロッドは掛ける言葉を探していました。女性が苦笑を浮かべます。
「ごめんなさいね。急にこんな話をされても反応に困るわよね。私、あの家を売ったらこの町を出るの。父の骨、よろしく頼むわ」
遺骨の管理を番人に任せきりにする人は、少なくはありません。女性のように故人との折り合いが悪かったり、高齢で管理できなくなったりと、理由は様々です。
そう言われてロッドはあることを思い出しました。
「そうだ。ヨーク……師匠が言ってました。なにか困ったことがあったら、骸骨堂を頼るといいって」
それを聞いて女性は不思議そうな顔をします。
「私に? なにかしら……?」
「さぁ……。なにもなければそれでいいんです。とにかく、骸骨堂がきっと力になれるからって」
そうしてロッドは、まだ不思議そうな顔をしている女性と別れました。
*
夕暮れ時、ロッドは夕食の準備をしていました。ヨークは定位置のソファで本を読んでいます。スープを煮込む音が、部屋に静かに流れていました。
そこにノックの音が響きました。ヨークが立ち上がります。
「待っておったよ」
ドアの外に立っていたのは、昨日葬儀を上げに来た女性でした。弱り切った顔でヨークを見下ろしています。
「困ったことがあったらここに来いって、そこの人が言ってたから」
女性はくいっと顎をしゃくります。
ヨークがちらりと振り返ると、ロッドが炊事場から顔を覗かせていました。
ローテーブルには三人分の食事が並んでいます。女性は夕食がまだだと言うから、ヨークが誘ったのです。昼間、三人分の食材を買って来いと言われていたロッドは、師匠の予見に驚きます。
「実家を売ろうと思ったんだけど、土地の権利書が見つからないの」
夕食が終わり、ロッドが紅茶を出してきた頃、女性は切り出しました。
「あの家に住む人はもう誰もいないから。母ももう亡くなったし、私もこの町に戻ってくるつもりはないし」
そこでようやく女性の表情に悲しみが浮かびました。昨日、父親が聖なる火に包まれるときにも仏頂面だった彼女です。母に苦労を掛けた父に恨みしかなくても、母の死は悲しいものなのでしょう。
「冷たい娘だと思うわよね。父の死にも涙を見せなくて、あっさり実家を売ろうとしてるなんて……。でもそれ相当のことを父にされてきたの。あの過去はもう全部清算したい」
女性の瞳は切羽詰ったものでした。よほど父親を許せないのでしょう。
女性はぎゅっと拳を握りました。
「だけどどこを探しても権利書がなくて……。あの父のことだから、なくしたのかもしれない。死んでも迷惑掛けるなんて、あの人らしいわよね。番人さんが分かるとは思えないけど、なにか知恵を借りたくて……」
女性は俯きました。
父親と面識がなかったであろう骸骨堂の番人が、権利書の行方を知っているとは普通ならばとても思いつきません。それでも、いい思い出のないこの町に意気込んで戻ってきて、肩透かしを食らったまま自分の町に帰るわけにはいきませんでした。
「権利書だが」
幼い声に、女性は顔を上げました。ヨークの手には、封筒が握られています。
「ここにある」
女性の顔色が変わりました。どうしてそれがここにあるのか、知っていて相談しろと言ったのか、その言葉が顔に書いてあるかのようです。
封筒をひったくろうとした女性の手を、ヨークはさっと避けました。
「帰る前にこれは渡す。その前に、お父上と話をしてみないか?」
女性は怪訝そうな表情を浮かべます。
ヨークは権利書を左手に持ったまま、カップを手に取り紅茶を一口飲みました。
「死者と面識がある者は、その血を通して死者と話をすることができる。お父上に聞いてみるといいじゃないか。どうしてあたしに権利書を預けておったのか」
女性は眉根を寄せます。
無言の時間がしばらく続き、ようやく女性は顔を上げました。
「……分かった。さっきの言葉、絶対に忘れないでよ? もしそれを返してくれなかったら、訴えるから」
三人はランタンを手に地下へと降りていきました。しゃれこうべの乗る台座の間を、ヨークは迷いのない足取りですり抜けていきます。ロッドと女性がそのあとに続きました。
ランタンの灯りが天井に影を作ります。
父親の骨の前に辿り着きました。
「話ができるのは血を触れさせてる間だけ。一度離したら、もう二度と会話をすることは叶わんからな」
女性はまだ不機嫌そうでしたが、ヨークの言葉にしっかりと頷きました。
ヨークはポケットの針刺しから針を一本抜き取り、女性の手を取りました。ちくりとした痛みに、女性は一瞬顔をしかめます。
女性は父の額に、そっと指先を触れさせました。
「……お父さん?」
『久しぶりだな』
聞こえてきた声に、女性の顔に怒りが浮かびました。
「久しぶり、じゃないわよ! 私たちがどれだけ苦労したと思ってんの!? お母さんがどんな気持ちだったと……!」
『……すまなかったな』
思わず指先を離してしまいそうになりましたが、その言葉に女性は踏み止まりました。
父親の顔を見ていることができず、目を逸らします。
『葬式、挙げてくれてありがとな』
「私以外やる人がいなかったんだから仕方ないでしょ。お父さん、相変わらずだったのね。来てくれる人が誰もいないじゃない」
苦笑する気配がしました。
もうこれが最後だから、腹を割って話せるかもしれない。女性はそう考え、本題を切り出しました。
「ねぇ、どうして権利書を骸骨堂の番人さんに預けてたの?」
小さく息を呑む音がしました。
父親のしゃれこうべを見つめる女性の瞳は、揺れていました。
『……俺は呑んだくれで、どうしようもないやつだ。葬式だって、来てくれる知り合いもいねぇ。でも、もし』
そこで父親は言葉を切りました。女性は黙って続きを待ちます。
『でももし、お前がうちを頼ることがあるのなら、あの家が財産になればいいと思ったんだ。俺がいなくなったら、家の物がどうなるか分からねぇ。骸骨堂なら俺の骨が納められるだろうし、お前が来るかもしれねぇ。だから番人さんに預けたんだよ』
女性は返事をすることができませんでした。
飲んだくれで、ろくに仕事もしない。そんな父親が憎くてたまりませんでした。
なのにこれまで知らなかった父親の気持ちを聞いてしまい、気持ちが揺らぎます。
『……お前ももう二十五になったか』
「覚えてたの」
『あぁ。お前が生まれたから、あの家を建てたからな』
女性は目を見開きました。
その言い方はまるで、娘のために用意してくれたかのようです。
『家さえあればあとはなんとかなるだろ。食い物も仕事も必要だが、って俺の言う科白じゃねぇな。まぁとにかく雨風凌げる場所があれば、そこから歩き出せる。お前を守れる場所があればいいと思ったんだよ』
そこで言葉は途切れれます。
女性は俯きました。
『あの家はお前のものだ。煮るなり焼くなり好きにするといい』
「馬鹿じゃないの……。家を煮るなんて無理でしょう……」
『ははっ。違いない』
女性の足元に、雫がぽたりと落ちました。雫はふたつ、みっつと増えていきます。
ヨークとロッドは声をかけることなく、そっとしておきました。
指を離した女性は、しばらくその場から動けませんでした。
「……ずるいじゃない」
ふいに女性は呟きます。
「あんなこと言われたら、売るわけにはいかないじゃない」
その瞳には決意のようなものが浮かんでいました。
女性は顔を上げ、ヨークの方に向き直りました。そしてずいっと手を差し出します。
「権利書をちょうだい」
「決めたのかい?」
「えぇ。明日、一度街に帰る。準備しなきゃ」
そのままずかずかと階段のほうへと進み出しました。
「私はこの町で暮らす。私の家を守らなきゃ」
階段に足を掛ける女性の顔に、葬儀の日の暗いものはありません。新たな道へ踏み出そうとする、希望に満ちた表情です。
いつもどおり無表情のヨークと、満面の笑みのロッドが、あとを追いました。
*
女性が帰ったあとの骸骨堂。
ヨークは寝巻きへと着替え、壁沿いの階段を上ろうとしました。ロッドがなにか言いたげに、彼女の背中を見つめます。
「ヨーク」
ドアに手を掛けたところで、ロッドが口を開きました。ヨークはなにも言わずに振り返ります。
「どうしてヨークが権利書を持ってたの?」
ずっと気になっていたことでした。
女性に会ったら骸骨堂に頼るよう伝えろと言ったこともそうです。まるでこうなることが分かっていたかのようです。
ヨークは振り返り、手すりに頬杖を付きました。
「彼女の父親に頼まれてたんじゃよ。彼は病に侵されていた。己の死期を悟って、心残りがひとつだけあった。町に戻ってこないならそれで良かったそうだ。でも、もし戻ってきたら、今さらだけど渡してほしいと言われたんじゃ」
ひとりで亡くなる人も、時にはいます。そんなとき、骸骨堂の番人に頼みごとをしに来る人もいるのです。彼もそのひとりでした。
「じゃあ、なんで彼女はまたここに来るって分かってたの?」
ヨークは薄らとほほ笑んで、ロッドを見下ろします。そして踵を返しました。
ドアに手を掛け、そこで動きを止めます。
「だってそんなの、あの娘の顔を見てたら分かる。父親にされたことを許せなくて、でも、愛されてた証をほしがってる子どもの目だ」
それだけ言うと、ヨークは部屋へと姿を消しました。
残されたロッドは、ヨークの言葉を反芻していました。暖炉の薪がぱきりと爆ぜます。
ソファに掛けっ放しだった毛布を膝に掛け、テーブルの上の本を取りました。
読みかけの本です。ですが中身は頭に入ってきません。考えているのは、ヨークのことでした。
「ヨーク、君だってきっと」
その呟きは、どこへも届かず暖炉の熱と共に消えていきました。
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