第二章 双子の骸
町の外れ、森の始まり。小さな塔が建っていました。
外から見れば、二階建ての石造りの塔です。くすんだ壁面が、この塔が建ってから随分経っていることを教えてくれます。
一見、小さな塔です。しかしその地下には、広大な空間が広がっています。おびただしい数のしゃれこうべと共に。
ここは骸骨堂。
死者が眠る塔を管理しているのは、ひとりの少女でした。
*
しとしとと雨の降りしきる日でした。
聖なる火は雨だろうと消えることはありません。死者だけを確かに燃やし尽くします。
冷たい雨が降りしきる中、弔問客は傘を差して聖なる火、そして死者が横たわる棺を見ていました。
火が小さくなり、ヨークがしゃれこうべを手にします。
夫婦でしょうか。一つの傘に寄り添うように立つ男女の姿がありました。女の方は嗚咽が止まらず、男の方がその背を優しく撫でています。
ロッドの差す傘の下で、ヨークは筆を手にしました。これからしゃれこうべに文字を記していくのです。
惑いし者よ
我らの縁は此処で切れよう
淋しいときは声を聞かせておくれ
進め! 其処は死の帝国なり
モスグリーンの染料は、その文字をしゃれこうべにしっかりと刻んでいきます。
その文字は雨に濡れてもなお、消えることはありません。特別な配合がされた染料なのです。
雨音とすすり泣く声だけが響いていました。
納骨が済み、ひと月ほど経ったある日のことでした。骸骨堂のドアを叩く音がします。
ロッドがドアを開けると、そこにいたのは先日の女でした。先日の姿とは打って変わって、妖艶な笑みを浮かべています。
「こんにちは、骸骨堂のお弟子さん。番人さんはいらっしゃる?」
ロッドは彼女を招き入れました。
ソファに向かい合って座るヨークと女に、ロッドは紅茶を煎れてきました。ローテーブルに置く間、二人は黙ったままでした。
「今日ここに訪れたのは他でもありません。貴女、死者と会話ができるというのは本当なのかしら」
ヨークは紅茶を一口啜りました。ゆっくりとした動作でソーサーに置きます。
「その言い方だと語弊がある。あたしができるのは、生者と死者の橋渡しをすることだけ……。実際に話すのは貴女だけじゃよ」
幼い相貌に老成した話し方。ちぐはぐにも見えるそれに、女は気にした様子もなくふうんと言っただけでした。
「ならばお願いがあるの。先日亡くなった妹、私の妹と話をさせてほしいの」
女はうっすらと笑みを携えそう言います。ヨークはじっとその目を見ていました。
「貴女たちは姉妹だったね……。よかろう、ついてきなさい」
ヨークは立ち上がりました。
三人は骸骨堂の地下へと降りていきました。靴音が石の階段に響きます。
妹さんの骨の前で、ヨークは立ち止まりました。
「手を」
ヨークは振り返ると、女に向かって手を差し伸べました。いつ取り出したのか、ヨークの手には針が握られています。
「話ができるのは、血を骨に触れさせている間だけ。手を離したら、もう二度とその者と会話をすることは叶わんからな」
女は心得ているといった様子で頷きました。ヨークは彼女の指先を刺します。
しゃれこうべへと女は一歩近づき、その額に指を伸ばしました。女の指先から滲む血が、しゃれこうべに記された文字へと触れました。
「久しぶりね。私の愛する妹」
『……姉さん』
それきり女は口を噤みます。言いたいことを頭の中で整理しているようでした。
ヨークとロッドは、黙ってそれを見ています。
「あの人は、私を愛しているの。私たちの見分けがつかないと言った人もいたけど、そうじゃない。この世にもう私だけしかいなくなって、彼は私だけを愛しているの。……片割れの貴女じゃない」
女は嘲るように笑みを浮かべました。
女と亡くなった彼女は、双子の姉妹でした。瓜二つとも言われた姉妹で、幼いころからいつも一緒でした。
仲の良い姉妹だったのです。
姉の方がひとりの男と出会ったのは、去年のことでした。男はどうやら、姉のほうに一目惚れしたようです。
最初はほんの出来心でした。ある日のデートに、妹のほうが姉のふりをして出かけたのです。男は気づきませんでした。姉妹はいつ気づくだろう、と度々入れ替わりを続けました。
それは事故でした。買い物に出かけたその日、姉は馬車に轢かれてしまいました。
妹と男が病院に駆けつけたのは同時でした。
白いベッドに横たわる姉の胸は、もう動いてはいませんでした。
「×××」
妹は自らの名前を呼びました。
男は妹の顔を見ます。男の表情に、安堵が浮かんだのは一瞬でした。
自分の愛する人は生きている。死んだのは双子の妹の方だ。
男はそう思いました。顔のそっくりな姉妹です。本人がそう言うのなら、間違いないのでしょう。男は悲痛な面持ちで、恋人の妹の葬儀に出席しました。
かつて姉だった妹は、聖なる火に焼かれて今ここにいます。
「ねぇ、貴女もあの人が好きだったんでしょう?」
『……いいえ』
「そう……。ならあの人は私に任せて、ゆっくり眠りなさい」
しゃれこうべは答えません。女は指を離しました。
「良かったのかい?」
身を翻す女に、ヨークは尋ねました。
女は口の両端をにいっと上げ、答えます。
「なにが? もうあの子と話すことはなにもないわ。『妹』は死んだの。付き合ってくれて、どうもありがとね」
そうして女は帰っていきました。
*
そして数日が過ぎました。
ヨークはソファで本を読み、ロッドは書類整理をしていました。普段どおりの骸骨堂の風景です。
そこにノックの音が響きます。ロッドが出ようとしましたが、ヨークはそれを制します。ヨークが立ち上がってドアを開けると、立っていたのは双子の姉の旦那さんでした。
「そろそろ来るころだと思っておったよ」
ヨークはそう言うと、旦那さんを招き入れました。
旦那さんは落ち着かない様子でソファに座っています。ロッドが紅茶を煎れてきました。
旦那さんはカップに目線を落としていました。
ヨークが一口啜ります。
「それで? 相談事があるのだろう?」
旦那さんの肩がびくりと震えました。ヨークは旦那さんをまっすぐに見つめています。なぜ分かったのだろうというような表情をしています。
旦那さんは視線を落としたまま、話し出しました。
「……最近、妻が変わった気がするんです。以前はもっと明るく笑うやつだった……。もちろん、妹が亡くなって落ち込む気持ちも分かるんです! でもそれにしても、変わりすぎというか……」
ヨークは黙ってそれを聞いていました。目を伏せ、なにやら考え事をしているようです。
やがて目を開き、顔を上げました。
「真実を知りたいかい?」
旦那さんの表情が強張りました。
ヨークは口の端を少し上げ、続けました。
「知ったらもう、元には戻れないよ。お前さん、その覚悟はあるかい?」
旦那さんは言葉を失います。沈黙が流れました。
あのとき、ヨークとロッドに姉妹の会話は聞こえていませんでした。真実を知るのは双子ばかり。
ですが骸骨堂はその秘密を暴く術を持っています。己の血を使い、しゃれこうべに問いかければ、その秘密は簡単に暴けます。
「やめて、おきます」
旦那さんは静かに言いました。多少青褪めてはいるものの、その表情には決意が浮かんでいます。
「どんな真実が隠されていようと、私は妻を愛している。話を聞いてもらえてそれがはっきりしました」
続きを促すように、ヨークは彼を見つめます。
「彼女を、愛してる」
「双子の姉を?」
口元に孤を描き、ヨークは言います。旦那さんは静かに頷きました。
*
夕食が済み、二人だけの骸骨堂には静かな時間が流れます。
珍しく横になって本を読んでいたロッドが、ごろんと体勢を変えてヨークのほうに向き直りました。
「ねぇヨーク。あれで良かったの?」
旦那さんは、死んだ彼女に会わずに帰っていきました。その表情は、どこか晴れ晴れとしたものでした。
ヨークは本から視線を離しません。
「たぶん、彼は最初から知っていた」
双子の会話を聞いたわけではないけれど、彼らの間になにがあったか、二人は薄々と気づいていました。
「どれだけ似通っていようが、所詮は違う人間。分からないはずがないんだよ。……二人の女を同時に愛せば、必ずどこかで歪みが起きる。良かったじゃないか。彼女は愛を独り占めだ」
ロッドも気づいていなかった事実に、彼はひくりと頬を引き攣らせました。
「……ヨークは、死に慣れすぎだ」
ちらりと弟子に目を向けます。くだらない、とでも言うかのようにヨークは鼻を鳴らしました。
「あたしは一度死んだからな」
そう言ってまたすぐ本に視線を落としてしまいました。今度こそ、ロッドはなにも言うことができません。
狼狽する弟子に、ヨークはふっと苦笑を漏らしました。
「まったく。そんなんで番人になれると言うのかい」
追い討ちを掛けられ、不貞腐れたロッドは師匠に背を向けました。
「火! 暖炉の火、消しといてよ!」
ヨークは口元だけで笑いました。それはまるで幼い子どもを慈しむかのようです。
「はいはい、おやすみ」
ここは死のにおいが漂う骸骨堂。
今宵も静かに夜が更けていきます。
誰かの秘密を隠しながら。
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