第一章 死者が眠る塔

 町の外れ、森の始まり。小さな塔が建っていました。

 外から見れば、二階建ての石造りの塔です。くすんだ壁面が、この塔が建ってから随分経っていることを教えてくれます。

 一見、小さな塔です。しかしその地下には、広大な空間が広がっています。おびただしい数のしゃれこうべと共に。


 ここは骸骨堂。

 死者が眠る塔を管理しているのは、ひとりの少女でした。


   *


 ランタンを片手に、石の階段を上がる青年がいます。栗色の髪が灯りに照らされて、闇との間でゆらゆらしていました。少年の年の頃は十七ほどでしょうか。その名前をロッドといいます。

 ロッドはひとつのドアの前まで辿り着き、ノックをしました。

「ヨーク」

 返事はありませんでした。しかしロッドは、ためらうことなくドアを開けます。

 小さな部屋でした。ベッドと小振りの机、そして背の高い戸棚だけでいっぱいになってしまっている、小さな部屋です。そのベッドの上では、まだあどけない顔の少女が寝息を立てていました。

「ヨーク、肉屋のばあさんが亡くなった」

 ロッドの声に、ヨークと呼ばれた少女が今度はぱちりと目を覚ましました。

 ゆっくりと起き上がって、ロッドを見上げます。顎のラインで切り揃えられたプラチナブロンドの髪が、さらりと揺れました。年端もゆかぬ、幼い見目の少女です。

「ごめん、寝たばかりだったよね。僕が行こうか?」

 申し訳なさそうに言うロッドを一瞥すると、ヨークは布団の上からずり落ちそうになっていたカーディガンを手にし、羽織りました。

「ううん、あたしが行く。骸骨堂の番人は、あたしだから」


   *


 死者が眠る骸骨堂。

 この国では、人は死ぬと死の帝国へ行くと信じられています。肉体に宿っていた魂は、死という儀式によって死の帝国へと旅立つのです。

 しかし、彼の地へ行った魂と繋がる方法がひとつだけあります。

 それが骸骨堂。

 聖なる火で浄化された肉体は、そのしゃれこうべを骸骨堂へと納められます。

 そこで細工を施すのが、骸骨堂の番人。彼らが模様を記したしゃれこうべは、ある力を得るのです。


「お母さん!」

 鋭い声が森に反響しました。骸骨堂の前には喪服姿の人々が集まっています。

 亡くなった肉屋のおばあさんは、その人柄から多くの人に慕われている人物でした。よくおまけをしてくれるので、子どもから大人までおばあさんのことが好きでした。

 その人柄故か、棺を取り囲む人々の年齢層には幅がありました。

 棺に縋りついて慟哭しているのは、おばあさんの娘さんでしょう。お母さん、と何度も声にならない声を上げています。

 彼らの前に、松明を手にしたヨークが進み出ました。これから棺に聖なる火を点け、魂の宿っていた肉体を骨へと変えていくのです。

「よろしいかい?」

 すすり泣く声が聞こえる中、ヨークは無慈悲に言いました。このままでは日が暮れてしまいます。ですがその声はあまりにも非情に響きました。娘さんがヨークをきつく睨み上げます。

「もう別れを告げろと言うの? ひどい子ね」

 棺に縋り付いたまま、娘さんは赤い目をしてヨークに言い放ちます。それにもヨークは表情を変えませんでした。なんの感情も浮かべないその顔は、死を悼むこの場では冷たく映ります。

「だいたいなんでこんな子どもが骸骨堂の番人なの!? こんな子どもに任せていいってみんな思っているの!?」

 娘さんの悲痛ともいえる言葉に、集まった人々は口を噤みました。子どもたちだけが訳が分からないといったかのように、首を傾げます。

「姉さん、もういいだろう」

「いやよ! お母さんともう会えなくなるなんていや!」

 彼女の弟さんでしょう。娘さんを棺から引き剥がします。

 弟さんはヨークの方に顔を向けると、神妙な表情でしっかりと頷きました。それを確認して、ヨークは棺に近付きました。

 ヨークは松明を棺へかざしました。聖なる火が棺を包み込んでいきます。

 娘さんの叫びのような泣き声が、いつまでも森に反響していました。


   *


 火が消えると、ロッドが棺へと近づきました。黒い革手袋をはめた手で、棺の蓋を開けます。

 そこにはもう先ほどまでの故人の姿はありませんでした。白い骨だけが横たわっています。故人の親類たちは息を呑みました。

「ヨーク」

 ロッドが短く呼ぶと、左手に黒い革手袋を嵌めながらヨークが前に歩み出ました。棺に手を伸ばし、故人のしゃれこうべを取り出します。

 ヨークは右手をすっと伸ばしました。その手にロッドが筆を取らせます。

 筆をしゃれこうべにそっと寄せると、モスグリーンの絵具がぼんやりと光るようでした。ヨークは筆を動かします。


   惑いし者よ

   我らの縁は此処で切れよう

   淋しいときは声を聞かせておくれ

   進め! 其処は死の帝国なり


 ヨークが歌うように骨に記し、光は収まりました。誰も声を上げることができませんでした。家族たちの方を振り返ります。

「儀式はこれで終わりだ。すぐに納骨堂へ移動するかい?」

 彼らを代表して弟さんが頷くと、ヨークを先頭に、一行は骸骨堂へと足を踏み入れました。しゃれこうべを携え、地下へと続く階段を降りていきます。

 誰もが息を呑みます。そこに広がっていたのは、おびただしい数の骸骨でした。理路整然と並べられた台座の上に、骸骨が乗せられています。

 ヨークは一つの空いている台座の前で立ち止まりました。

「ここに納骨する。皆々さま、安らかなる旅路になるよう、どうか祈りを」

 しゃれこうべが台座に乗せられると、人々は手を組み目を伏せました。


   *


 夜が訪れました。

 森の入り口に立つ骸骨堂。外ではフクロウの鳴き声が聞こえます。

 一階の広間には、大きなソファがひとつ、暖炉の傍にひとり掛けの小さなソファがひとつ置かれています。小さなソファのほうに、ヨークは座っていました。ぱらり、ぱらりと本を捲っています。

 ロッドは大きなソファに寝そべって、暖炉の灯りに照らされた幼い横顔を眺めていました。

「ヨーク、まだ僕に技を授けてはくれないの?」

 ヨークはちらりと視線を弟子に向け、またすぐに本へと戻しました。薪の爆ぜる音だけが、二人の間に響きます。

「まだ早い」

 その答えが分かっていたのでしょう、ロッドは小さくため息を吐くと、寝返りを打ちました。

 その時でした。扉を叩く音がしました。

 ヨークは本を閉じて立ち上がると、扉を開けました。

 そこに立っていたのは、昼間の娘さんでした。ばつの悪そうな、切羽詰っているような表情でヨークを見下ろしています。

「さっきは……母の件でお世話になりました。あの……」

 そこで言葉は切れました。娘さんはなにかを迷っているようです。

 ヨークは分かっているとでも言うかのように、大きく扉を開きました。娘さんは意を決して骸骨堂へと足を踏み入れました。

 ロッドが紅茶を煎れてきました。ソファに座るヨークと娘さんの前に静かに置くと、壁際に控えます。娘さんは固い表情で紅茶の表面をじっと見つめています。「どうぞ」と一言ヨークが言い、自身のカップに口を付けました。

 ヨークのカップがかちゃりと音を立てたとき、娘さんは顔を上げました。

「あなたは死の秘密を握っていると聞いたわ。私にそれを授けてちょうだい」

 一息で娘さんは言いました。しんとした空気が部屋に流れます。

「チャンスは一度だけ。その覚悟はあるかい?」

 ヨークはまっすぐに娘さんを見つめています。娘さんはその瞳の真摯さにごくりと喉を鳴らし、そしてしっかりと頷きました。


 ランタンを手に、ヨークが階段を降りていきます。その後ろに娘さん、そしてロッドが続きます。

 ただでさえ閉ざされた骸骨堂。三人の足音が石の壁に反響します。ランタンの灯りが頼りなく揺れています。

 件の骸骨の元へと辿り着きました。ヨークはランタンをロッドに渡します。そして娘さんへと向き直りました。

「手を」

 ヨークの手には針が握られていました。娘さんはおずおずと手を差し出します。

「死者と会話ができるのは一度だけ。己の血を、骸骨の額から離すんじゃないぞ」

 骸骨堂の死の秘密。番人が記した模様に触れると、死者と会話ができるのです。ただしそれは一生に一度だけ。死者ひとりと会話ができるチャンスは、たった一度だけでした。

 娘さんはしっかりと頷きました。ヨークに指先を刺され、一瞬、痛みに顔をしかめます。ヨークは手を離すと、脇に避けました。娘さんがしゃれこうべへと足を一歩踏み出します。

 血に濡れる指先を、そっとしゃれこうべの額に触れさせました。

 娘さんは目を見開きます。

「お母さん……!」

 娘さんの視線の先、しゃれこうべの向こう側に皺だらけのおばあさんが立っていました。穏やかな笑みで娘さんを見つめています。

「お母さん……お母さん……。私、ずっとお母さんに聞きたかったことがあるの……」

 娘さんの瞳からは、大粒の涙が零れ出していました。ヨークとロッドは壁際に立ち、その様子を静かに見守っていました。

『まぁまぁ、いい歳をしてそんなに泣くんじゃないよ』

 優しく諭すようなその声に、娘さんの目からはますます涙が溢れ出しました。

「お母さん……私のこと、愛してた……?」

 一瞬、空気がぴんと張り詰めました。

「だって、私……養子だったんでしょう?」

 娘さんがそのことを知ったのは、弟さんが三歳の時でした。五歳下の弟。なにかの集まりで、口さがない親族が言ったのです。「上の子は不出来だ。血が繋がっていないから」と。

 もうその意味が分からない年ごろではありませんでした。親族は娘さんが聞いているとも知らず、談笑を続けました。

 誰にもそれを聞くことができず、言葉は澱のように娘さんの心に沈みます。何年、何十年と経っても、両親がそのことを口にすることはありませんでした。

『お前には、伝わっていなかったかい?』

 優しい声に、娘さんははっと顔を上げました。そこには相変わらずの穏やかな笑みがありました。

「だって……だって……」

『血の繋がりがあろうがなかろうが、お前は私たちの娘だよ。言わなきゃ分かんないなんて、ばかだねぇ』

 いよいよ娘さんの涙は止まりません。

 おばあさんは、娘さんをそっと抱き締めました。

『愛してるよ。私の可愛い子』

 娘さんはおばあさんの胸に顔を押し当て、声を上げて泣きました。


 ヨークとロッドは、黙ってその様子を見守っていました。


   *


 娘さんは深々と頭を下げて帰っていきました。

 骸骨堂の一階では、ぱちぱちと薪の爆ぜる音が響いています。暖炉の前のソファで、ヨークは紅茶を飲みながら本を読んでいました。

「ヨーク」

 ロッドが静かに呼びました。

 ヨークは本から目を離しません。

「ヨークはあのおばあさんの姿、見えた?」

「見えてない」

 ヨークは視線を上げずに答えます。

「じゃあ声は?」

 続けざまに問うロッドに、ヨークはようやく本を閉じ視線を上げました。

「聞こえてない。前も言ったと思うけど、番人ができるのは死者と生者の声を繋ぐことだけだ。あの娘には母親の姿が見えとったようだがな」

 地下で二人が目にしていたのは、娘さんがしゃれこうべに語りかける様子だけでした。おばあさんの声も姿も、二人は見聞きしていません。

「そして番人になったら血を介しても死者と話はできなくなる。どうじゃ? やめたくなったか?」

「誰が」

 試すような物言いに、ロッドはできるだけ不敵な笑みに見えるように答えました。

 このやり取りももう慣れたもの。ことあるごとに早く番人の座を譲れと言うロッドを、ヨークはのらりくらりとかわします。

 ヨークはどうしてもロッドに番人を継いでほしくないかのようです。

「さ、もう寝ようかね」

 小さく息を吐きつつヨークは立ち上がりました。

「前々から思ってたけどヨーク、その喋り方似合わないよ」

「ばばあなんじゃ。仕方がないだろう?」

 ヨークは不機嫌そうです。幼い相貌が歪みました。

 今度はロッドがため息を漏らす番でした。

 ヨークは膨れっ面のまま、階段を上っていきます。

「おやすみヨーク。いい夢を」

「……おやすみ」

 ぱたんと二階のドアが閉じられます。

 ロッドは暖炉の火を消すと、ソファへと横になりました。


 ここは森のそばの骸骨堂。

 今宵も少女と青年、そしてたくさんの死者が眠っています。

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