第15話 桜の記憶_マンションのベランダから

私が初めてしみじみと桜の花を眺めたのは、小学校4年生の春だった。


事情があって遠方の伯母の家へ預けられていた私は、その土地の方言になかなか慣れることができずにいた。


伯母の家は、小高い山の麓に建つ白いマンションの6階だった。

高いところに住むのは初めてだったので、私はよくベランダから街を見下ろした。


一台の車に狙いを定めてどっちの方角へ曲がるのかを独りで予想したり、遠くの工場の煙突の煙が流れる方角をチェックしたり。


風が心地よい日には、ベランダで図書室から借りた本を読むこともあった。


その日は春らしい霞がかかった青空が広がる日だった。ベランダへ出ると、満開を過ぎた山桜が一斉に舞い散っていた。7階から眺める風景は高低差が大きくて圧巻だ。私は本を胸に抱きしめてひとり、桜の最後を眺めた。


地上へ舞い降りる花弁は、風にあおられて再び舞い上がったりもする。いつもは何もない空間に舞い落ちながら存在する無数の花弁。今でも思い出す、夢のような光景だった。


カナシイとかサミシイとかアイタイという気持ちを飲み込んで薄暗く重たくなった心が私は厭だった。眺めていると、私の心も桜色に染まる気がした。


やがてベランダに座って本を読み始めてからも、時々顔をあげて桜吹雪を眺めた。そのうちに夢中になって薄暗くなったころに読了し、部屋へ戻ろうとしたらカーテンが閉められて掃き出し窓には鍵がかかっていた。


窓を叩くと、カーテンが開いて従弟が驚いた顔をして部屋へ入れてくれた。


「ベランダに居るなんて気が付かなかったよ。」


真ん中の従兄は優しかった。どうやら私がいないと探していたらしい。私は申し訳なくて、また心が灰色になった。


いま思い出したけれど、あの時、舞い降りてきた桜の花びらを1枚、わざとページに挟んだのだった。私の小さないたずらに誰か気づいてくれたかしら。

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