第6話 今日、私がケーキを買う理由

本来であれば12月の土曜日には、大掃除の真似事でもするべきだということは分かっている。分かっているがどうにもやる気にならない。そんな時はどうしたらよいか。心のままにまったりとすればいいのである。やる気になったらやればいいのだ。年末が迫ればやる気になるに決まっているのだから。主婦と言うのはそういうものだ。


頭では、無心に掃除をした方が精神衛生上よいことは理解できる。が、やる気にならない。


実は、私は途方もなくさみしいのだ。


来週の月曜日付で異動となり、別の階へ出勤することになった。新型コロナウィルスの影響で、階が違うと同じ社内とはいえ交流はないに等しい。これが限りなくさみしいのだ。

当然のことだが異動は会社の都合である。私の希望ではない。異動がうつ病のきっかけになることがあると聞くが、それを実感したと言っても過言ではない。


多くの資料をシュレッダーにかけた。音を立てて細断されていくたくさんの資料。


情報が少ない中で厚生労働省のサイトで見つけた情報であったり、独自に図表やフローチャートを作ったりしたものも何枚も含まれていた。たくさんの書き込みに当時の状況が蘇る。

情報不足に悩みながら制度を理解しようと努力したころの自分や、退職してしまった人達の筆跡での書き込みもあった。殴り書きやクエッションマーク、大きな×印や確認済みと書かれた赤い文字、折れ曲がった付箋。


何度も作り替えられた組織図の中で、ずっと居続けた自分の名前が消えるのかと思うと、想像以上の喪失感に襲われた。


若いころは新しい仕事への期待の方が大きかったものだが、私も歳を取ったということだろうか、今では残していくものへの未練が強い。


新しい部署のリーダーは、満面の笑顔で大歓迎だと言ってくれた。そのことに不安も不満もない、筈だ。女々しいな、私。ぐずぐず言っていないで、お風呂掃除でもしよう。


人生百年時代、私はこれからも5年と言わず、10年ぐらいは働き続けるわけだし、会社は若い人が活躍する方がいいのだから、異動やむなし。


とりあえず、大掃除の真似事でもして、気分転換に買い物へ行こう。そして、最近、近所へ移転してきた有名菓子店へ寄ってみよう。


異動を「うつ」の入り口にしないことが大切だ。


自己防衛のために必要な処方箋がケーキなのである。都会での修行から帰って来た二代目パティシエが作る季節のフルーツケーキで異動を祝うのだ。


体重コントロールよりも優先させるべき危機的状況であると判断したことを、ここに記しておきたい。


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