第4話 猫を飼うことになったきっかけ

それは夫が二度目の心筋梗塞で緊急入院した後のこと。


入院時の誓約書にサインをもらうために義弟の家へ行くと、小さなプードルが飛んできて猛烈に尻尾を振り、ころんとひっくり返って撫でろと言うように私を見るのである。

もちろん、動物好きの私はすぐにナデナデ。すると、体をよじりながら喜んで、また突然起き上がってどこかへ行ってしまった、茶色い小さなもこもこ。


一瞬でハートを鷲掴みである。


夫を失うかもしれないという暗黒の夜を過ごした私に見えた一筋の光。ずっとそばにいてくれる物言わぬいのち、これこそ私の救世主だ。手のひらに残るふわふわの感触を記憶に刻み、私は犬を飼おうと決意した。


猫を飼うことになった話じゃないのかと思ったあなた。話はこれから。


その日から、私は犬を飼うことに取りつかれたようになり、毎日のように犬のことを調べ続けた。犬種ごとの習性や運動量、エサやヘアカット、健康管理などにかかる諸経費などなど。いやらしい話だけれどそろばんをはじいておくことは大切なことだ。命を預かるというのは責任あることなのだから。


夫は2回も緊急入院して心配をかけたことを悪いと思ったのか、一切反対しなかった。俺の美容室よりも高いんじゃないかと言ったきり。そんなヘボい反撃で猪突猛進の妻がひるむはずもなく。


我が家は持ち家マンションなので、小型で大人しい性格の犬がいい。実家で買っていたポメラニアンも可愛かったし、見た目の好みはチワワが好きだけど抜け毛が多いのが気になる。諸々考えた結果、我が家ではシーズーをお迎えしようと決め、ブリーダーさんに次のベビーを見せて欲しいと予約の電話までした、ある秋の朝のことだった。


いつものようにマンションの階段を駆け下りると、控えめに表現してもいわゆる怒鳴り声が聞こえる。しかも、私の行く自転車置き場の周辺から、その声が聞こえる。そんな状態だから内容だって丸聞こえである。


要するに、夜中や日中、飼い主の不在時や帰宅時に吠える犬が迷惑だという話だった。その犬が吠えるからうちの犬が吠える、近所の犬も吠える、今までは静かだったのに、という訳である。反論に反論が飛び交う、ナカナカな状況。


犬の鳴き声での近隣トラブル。明日は我が身と思うとぞっとした。


犬の躾がうまくいくかどうかなんて飼ってみなければ分からないではないか。人間の子どもの躾だってうまい方ではなかったような気がする。私は急に不安になった。人生100年時代、私はまだまだ働くつもりなのだから。


そんな話を同僚にすると、あっさり「あんたは猫を飼うべきね」と言われた。その一言で全てが解決した。そうだ、私は猫を飼おう。犬に取りつかれてうっかり忘れていたが、私は犬より猫が好きだ。この際、夫が猫より犬が好きということは、もうどうでもよい。


そんなわけで、同僚の手ほどきで保護猫とお見合いをすることになった。室内飼いにするのは、血統書付きの猫だけかと思っていた世間知らずの私。

逢いに行く前から引き取ると決めていたけれど、抱かせてもらって腕の中でうとうとして眠ってしまった子猫に私はメロメロになってしまった。


完全室内飼いにして欲しいという保護猫ボランティアさんの教えに従い、猛暑の夏も、窓の外に木枯らしが吹く日も雨の日も、うちの愛猫は清潔で快適な気温の室内でぬくぬくと暮らしている。


そんなわけで、我が家が猫を飼うようになって10カ月が過ぎた。幸せになったのは猫だけではない。犬の方が好きと言いながら、膝の上で丸くなって寝る愛猫リアンを撫でる夫の顔にも、にやけた笑みが浮かんでいる。



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