定め

 夕方。

 季節の都合上まだ日は沈んでいないのだが、夕日は雲に覆われ、見えなくなっていた。


「…………はあ……」


 桃子は、帰り道にある公園のベンチに座り、大きく溜め息をついた。


「…………『逃げる事が一番力になる、ビースト見つけたらすぐに逃げて』、か」


 桃子は、帰り際に舞に言われた言葉を思い出して、下唇を噛んだ。


「私には出来ない事しかないのかな……」


 桃子が溜め息混じりに言ったその時、公園の外が急に騒がしくなった。


「……ん?」


 その中には悲鳴が混じっていて、徐々に悲鳴が中心になっていった。


「何だろう……?」


 桃子がその方向を見ると、悲鳴を上げながら若い男が転びながら、まるで何かから逃げ出すように走ろうとして、


「あっ……!?」


 白銀の異形が若い男に飛びかかり、取り押さえた。

 異形は若い男首筋に食らいつくと、そのまま噛み千切った。若い男の頭が転がり、公園の出入り口で止まった。

 異形が咀嚼しながら若い男の頭を見ようとして、


「ひっ……!?」


 桃子と目が合った。

 異形の面構えは、イヌ科の動物、特に狼に酷似していた。


「…………」


 桃子は一瞬逃げるかどうか迷って、


「っ!!」


 異形が咆哮し、立ち上がって桃子に向かって走り出したのを見てから漸く逃げ出した。


「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!!」


 桃子は全力で走り続けたが、


「あっ!?」


 その途中で、盛大に転んだ。


「うっ……」


 桃子は立ち上がろうとして、


「痛っ!?」


 出来なかった。右足を捻挫していた。

 桃子が振り向くと、異形は桃子の目前まで迫っていた。


「っ――」


 桃子が目を瞑ろうとした、その時だった。

 上空から無数の何かが飛翔し、異形の上半身に命中して爆発した。


「うわっ!?」


 桃子は爆風と舞い上がった砂埃で目を細め、


「…………!」


 直後に目を見開いた。

 桃子の目の前に、白銀の杖を握りしめ、フードがない蒼白いローブを着込んだポニーテールの少女が立っていた。

 少女は振り向くと、力強い笑みを桃子に向けた。

 桃子は、少女の容姿を見て目を見開いた。少女の容姿は、ミチルに酷似していた。


「よかった、間に合った……!」


 ミチルに酷似した少女はそう言うと、砂埃の向こうにいる異形に向き直り、


「隊長、ギンロウビーストに追い付きました。要救助者が……って、立てる?」

「え、えっと、右足を捻ったみたいで――」


 そこまで聞いて、少女は顔色を変えた。


「……要救助者一名! お願いです急いでください!」


 少女が虚空に向けて叫ぶように言った直後、異形――ギンロウビーストが砂埃の中から飛び出し、少女に飛びかかった。


「くっ!!」


 少女は杖をギンロウビーストに叩きつけ、そのまま力任せに右側に押し退けた。


「這ってでもいいから、とにかくアイツから離れて!!」


 少女はそう言うと、ギンロウビーストに向かっていった。


「逃げるよ」


 直後、どこからともなく赤いワンピースの少女――変身した舞が現れ、桃子を担ぎ上げた。


「えっ、ちょっ……!?」

「離れたら説明するから」


 舞はそう言うと、今いる場所から離れた場所にある公園の反対側の出入り口に向かって走り出した。



「ふー……、ここまでくれば……まあ、彼女が殺されたり他のビーストがここに来ない限りは大丈夫でしょ。いないみたいだけど」


 舞はそう言って、担いでいた桃子をそっと降ろした。


「あ、あの、真野さん、あの場で私に出来た事って」


 桃子は堰を切ったように話そうとして、


「ないよ。立花さんが魔法少女になれない限り」


 舞がそれに覆い被さるように否定した。


「…………」

「えっとね、今回出た……コードネームは『ギンロウビースト』らしいけど……は、出現してここまで来る間に警官隊を皆殺しにしている。変身出来ない人が太刀打ち出来る相手じゃないんだ。……立花さん、格闘技とか、何か戦う競技とかやった事ある?」


 舞の問いに、桃子は無言で首を振った。


「だとしたら……変身すると捻挫位なら治るんだけど……それでも無理。たぶん殺されて終わる」

「そんな……」

「……うん、立花さんがそういう気持ちになるのはわかる。責任感強いし、さ」

「だったら……どうして? どうしてかたくなに遠ざけようとするの?」


 桃子の問いかけに、舞は悲しそうな表情を向けて、


「これはね、アニメとか特撮とは違うんだ。殺し合い。ただの、人と、人喰いとの。……無間地獄より酷いよ。ビーストの正体知ってるならさ。……立花さんも、メディアに触れてるなら知ってるでしょ?」


 そう言った舞の表情は、悔恨のそれに変わった。

 直後、二人のすぐ側に、蒼白いローブ姿の少女が転がってきた。

 舞は少女に近付くと、支え起こした。


「大丈夫?」

「ゲホッ、ごめん……」

「大丈夫」


 舞はそう言うと、悠然と歩み寄るギンロウビーストを見た。


「アイツ潰すから、後ろで立てなくなってるあの娘をお願い」

「……了解」

「ん」


 舞は頷くと、立ち上がり、即座に深く腰を落としてギンロウビーストに右肩からタックルをぶつけた。ギンロウビーストがよろめき、体勢を大きく崩し、何歩か下がった。

 舞はそのまま前転してギンロウビーストの懐に潜り込み、立ち上がりざまに右腕を振り上げてギンロウビーストの胴体を切り裂いた。


「…………」


 それを見た桃子は、歩み寄ってきた少女に顔を向け、率直な疑問をぶつけた。


「……あの、ミチル、ちゃん?」


 少女は一瞬表情を強張らせたが、


「……皆にはナイショだよ」


 少しだけ笑って言った。桃子の隣に、ギンロウビーストから庇うようにして座る。


「あのさ……あの人……真野さんだって知ってる?」

「うん」


 桃子の問いかけに、少女――ミチルは顔を向けずに答えた。顔は舞とギンロウビーストに向けられていた。


「……どうして?」

「何が?」

「ミチルちゃんは、真野さんは、どうして警官隊を皆殺しにするような化け物と戦えるの?」

「うーん、私は最近理由を見つけたばかりだし凄く平凡に聞こえるかもだけれど、皆を守るために、かな」

「真野さんは?」

「真野さんは……私が魔法少女になったばかりの頃に、『責任を果たすために』って言ってた。それとあの人、周りに人がいたら、自分より他人な人なんだ。間違いなく、桃子ちゃんの事が心配なんだよ。だからほら、」


 ミチルはそう言って舞を指した。


「だんだん私達からギンロウビーストを離してってる」

「……本当だ」


 桃子が言った瞬間、舞がギンロウビーストの隙を突いて左腕で首を切り飛ばし、右腕で心臓を抉り取った。


「あっ……」

「……戦い方がエグいしグロいのは置いておくとしてもね」

「……っ」


 桃子は吐きそうになり、どうにかそれを堪えた。


「あ、私も通った道だ」


 ミチルはそれを、どこか懐かしそうに見た。


「背中さする?」

「…………」


 ミチルの問いに、桃子は首を振った。


「そっか」


 ミチルはそう言って、桃子を心配そうに見つめた。

 桃子の右に、舞が腰を降ろした。


「大丈夫? 終わったよ?」


 舞は穏やかに桃子に話しかけたが、


「あ……うん、やっぱそうなるよね」


 桃子が舞に向けたのは、怯えた表情だった。それは間違いなく、舞に向けられていた。


「……怖いよね。あんな殺し方したらさ。うん、当たり前だよね」


 舞はそう言って、立ち上がり、周囲を見渡してから変身を解いた。


「んじゃあ、私帰るわ。お腹減ったし、夕飯の支度前だったし。その子お願いね」


 舞はそう言って立ち上がると、ゆったりと歩き出した。


「あ、はい……わかりました」

「……敬語じゃなくていいって、結構言ってるんだけどなあ」


 舞は立ち止まって肩をすくめて言うと、もう一度歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る