第十八話 変容

「……これは、終わったのか?」


 到着した溝呂木みぞろぎが、舞とミチル、二人が見つめる黒いゲル状の物体の順に見て言った。


「終わってま……ずよー……」


 咳き込みながら舞が答えた。


「お、おい、大丈夫か?」


 溝呂木が心配そうに言った。


「大丈夫でず……カビーストに刺されたせいで夏風邪拗らせてるだげでず…………って」

「あのバイオハザード野郎の菌でもこれかよ……」


 溝呂木以下ミチルを含めたスローレイダー隊全員が呆れる中、舞は咳き込み続ける。



 一部を除いて結局避難していなかった生徒と教師の安全を確認した後、舞を含めたスローレイダー隊は、許可を取って校舎の探索を開始した。


「まあ、ビーストがいないのは確実なんだけれどね」


 舞はそう言って、周囲を見渡した。


「えーと……、ちょいちょい」


 舞は少し考えてから、近くにいたミチルの肩をつついた。


「はい?」

「えっと……あれだよね、高熱が発生した跡を探せばいいんだよね?」

「そうですけど……どうして今更?」

「あー、これまで調べるにも独学だったし、認識の齟齬がないかの確認」

「あ、そうですよね。ところでま」

「わーっ! わーっ!」


 舞は叫びながら、慌てて両手でミチルの口を抑えた。


「む、むむ?」

「ここ学校! 万一私達の本名聞こえてたらどうすんのさ!? 私もあなたの名前呼ばないから、あなたもそうして、ね!?」


 舞が額に冷や汗をかきながら言った。小声だった。

 ミチルが頷くのを確認すると、舞は漸く手を離した。


「あービックリした……」


 舞は溜め息混じりに言うと、額の冷や汗を拭った。


「人、私ら以外いないですよ?」

「…………いや、いつ馬鹿が出るかわからないし……。ていうか中学生ってそんなでしょ?」

「そんなものですか?」

「そんなモンだ」


 ミチルの疑問に答えたのは、舞ではなく西条だった。


「……俺もそんなだったからな」


 西条はどこか自嘲気味に笑い、先に進んだ。

 舞とミチルは顔を見合せると、首を傾げてから先に進もうとして、


「――ん?」


 舞の目に、細かい皹が入った曇りガラスの窓が入った。

 舞が数歩下がって全体を見ると、それは横開きのドアに嵌まっていた。『職員用男子便所』と表札が掲げられていた。


「まさかね……」


 舞は冗談半分、冗談半分に言うと、ドアを開け広げた。

 途端に職員用男子便所から熱風が吹き出してきた。


「ちょっ!?」


 舞は慌てて、急に立て付けが悪くなったドアを閉めた。


「……何、今の……?」


 軽く咳き込みながら、ミチルが言った。


「わかんないけど、これ何かあるでしょ。ちょっと皆読んできて!」

「あっ、はい!」


 ミチルは返事をして、先行するスローレイダー隊を呼び戻しに向かった。


「っし……、再チャレンジ」


 舞は自分に言い聞かせるように言うと、再び職員用男子便所の扉を開いた。



 ミチルに連れられ、スローレイダー隊が戻ってきた。

 職員用男子便所のドアの前で座っていた舞は立ち上がると、少し嫌そうな表情でミチル達を迎えた。


「どうした?」


 エドが代表して聞くと、舞は大仰に溜め息をついた。


「えーっとですね……。言う前に聞きたいんですけど、皆さん吐瀉物に耐性ってあります?」

「ちょっと待って、その言い方だと、もしかして……」


 舞の言い草に、翔子が猛烈に嫌そうな表情を作った。


「えっとですね……ビーストの吐き戻しがありました」

「うえ……」


 翔子が実に嫌そうに呟いた。


「まー……えーっと、見たい人だけ一緒に見ましょうか?」


 暫く話し合った結果、舞、エド、溝呂木が見る事になった。

 舞はドアに手をかけた直後、何かを思い出したかのように振り向いた。


「あ、熱いので気を付けてくださいね」


 舞はにこやかに言った。


「え?」「は?」


 エドと溝呂木が理解する間もなく、舞によってドアが開け放たれた。職員用男子便所の中から熱風が吹き出す。


「あっづ!?」「あっづ!?」

「一応窓は開けてるんですけどね」


 エドと溝呂木が軽く悶える前で、舞は職員用男子便所の中に入っていった。

 舞は窓側の個室の前まで歩くと、そこで立ち止まった。


「ここです。……いいですか?」


 舞はエドと溝呂木を見て言った。二人が頷く。

 それを見て、舞はゆっくりと個室の扉を押し開いた。

 三人が便器を囲んでその中を覗き込むと、


「…………マジか……」


 溝呂木が絶句した。

 便器の中にあったのは、吐瀉物にまみれ、細切れになった何かだった。所々にちらつくやや色白の薄橙色の皮膚が、人間である事を示唆していた。


「これ、間違いなく人間です。ちょっと吐瀉物と香水の臭いがキツいですけど、間違いなく人間の臭いもしますね」


 舞は淡々と言った。


「えーわかんのぉ……?」


 エドがブツブツと呟いた。まるで思考放棄したい気持ちを必死で抑えているようだった。


「はい、一応」

「うそーん……」


 エドは、とうとう思考放棄した。溝呂木が何度か揺すったが、反応がなくなってしまった。


「……もう出よう」

「ですね」


 舞は頷くと、出入り口に向かった。エドを引きずる溝呂木が、後に続いた。

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