変身

 翌日の放課後。


「今日も勉強会お願いします!」「今日も勉強会お願いします!」


 心咲と椋は、舞を両手を合わせて拝むようなポーズを取って言った。


「ん、わかった。というかそう言うと思って、色々準備はしてある」


 舞は、二つ返事で了承した。


「うわあ、助かるよお! 流石私の舞ちゃん!」


 心咲が実に嬉しそうに言ったが、


「少なくとも心咲のじゃない」


 舞は、突っぱねた。


「心咲ちゃんはともかく、ホント助かるよー」


 椋は若干ばつが悪そうに言った。


「まあ、成績は良くて悪い事なんてないからね。内申、だっけ? それにも関わってくるだろうし」


 舞は、肩をすくめて言った。


「今からんな事考えても早いんじゃない?」

「椋、それは違う、と思う。三年……二年半なんて、あっという間だし、三年になってから焦っても間に合わないから」

「う……それもそうか」

「まあ、それ以外にも、教えた方が覚えられるってのもあるから、いいんだけどね」


 舞は、微笑みながら言った。


「そう言えば、あの後あのペンダント……えっと……」

「エボルペンダントだよ、心咲」

「そうそれ! あれ、あの後どうしたの?」

「ああ、あれはね、薬の懸賞で当たったやつだったの。応募していて、忘れてたんだ」

「ふーん」

「まあ、あれ、おもちゃだったんだけどね」



 舞達が歩いている、その数百メートル先の路地裏で、一人の気弱そうな少年が、三人の柄の悪い青年に絡まれていた。


「おい、お前、カネ持ってんだろ? いい加減出せよ」


 シルバーのアクセサリーをジャラジャラ鳴らしている青年が、ゴミ箱を蹴飛ばしながら言った。


「も、持ってないです……」

「ウソつくんじゃねえぞコラ!! 聞いてんだぞ、お前小遣いケッコーもらってんだってなあ?」

「ウソはタメになんねぇぞぉ? オオ?」


 ピアスを付けた青年が、少年と肩を組んだ。


「で、ですから……」

「あーメンドクセー、ボコして財布物色しようぜ」


 髪を明るい茶色に染めた青年が、手の骨を鳴らし、少年に近付きながら言った。


「おぉ、いいねえ、殺っちまおうかあ。へへっ」


 ピアスの青年がそう言って少年を羽交い締めにしようとした、その時だった。

 茶髪の青年の頭がなくなった。

 正確には、上にいた何かが、頭を脊髄ごと一瞬で引き抜いていた。

 茶髪の青年だった物は、前のめりに倒れて、一拍遅れて鮮血を吹き出した。


「…………はあ?」


 ゴミ箱を蹴飛ばした青年と羽交い締めにされかけた少年の頬から全身にかけてが鮮血で赤く染め上げられた。

 全員が上を見ようとして、


 ぶちっ。


 ゴミ箱を蹴飛ばした青年の頭部がちぎれ飛んだ。


「うわああああ!?」「おわああああ!?」


 ようやく事態の異常性に気付いた少年と青年は、慌てて路地裏から出ようとして、


「あぁあああぁぁ!?」


 青年の足ががっしりと掴まれ、そのまま路地裏の奥に引きずり込まれた。


 少年はそれに気付いたが、脇目もふらずに走り続けて、路地裏から脱出しようと――



「それで、二人にはまずテスト範囲の苦手な部分を……」


 舞が言いかけたその時だった。


「あぁあああぁぁ!?」


 前方の路地裏への入り口から、男性――青年の悲鳴が聞こえてきた。


「えっ!?」「何!?」


 心咲と椋は驚いたが、


「二人共下がって」


 舞だけが冷静に言った。


「う、うん……」「わかった……」


 二人が舞の後ろに下がって様子を見ていると、


「うわああぁぁ!!」


 全身を真っ赤に染め上げた少年が、転がるかのような勢いで路地裏から出てこようとし、


 どっ。


 胸を、人間のそれと同じ形状をしているが明らかに違う異形の腕が貫いて、心臓を抉り取った。

 腕が引き抜かれると同時に、少年はその場に倒れ込んだ。

 それを目の前で見て、次いで路地裏を見た女性が、悲鳴を上げて逃げ出し、それを皮切りにして、人々は逃げる人、動画を撮り始める人、警察に通報する人に分かれた。


「えっ、何? 映画の撮影?」

 

 椋が首を傾げようとしたが、


「……二人共早く私の家に、ここを大きく迂回して逃げて」


 舞が早口で捲し立てた事によって、それは中断された。


「えっ、何で――」


 心咲が理由を聞こうとしたが、


「いいから! 説明は後でするから、早く逃げて! 私も後から逃げるから! 早く!」


 舞が必死の形相で再び早口で捲し立てた事によって、それも中断された。

 心咲と椋は同時に頷くと、逃げ出し、その途中でビルの影に隠れた。

 舞はそれに気付かずに、少年だった物が倒れている場所へ走り出した。



 路地裏からぬるりと出てきたのは、灰色のつなぎを着た、二十代後半の男性だった。

 男性は、凶悪な笑みを浮かべると、動画を撮り始めた人の一人を襲い始めた。

 警察に通報を始めていた人達は、それを見て慌てて逃げ出した。

 一人が逃げ出し始めるとあっという間で、周囲には人がいなくなった。

 それでも男性は動かなかった。


「……よお、会いたかったぜ、ネクスト」


 舞が、逃げ出した人々の波に逆らって現れた。


「ザ・ワン……」


 舞は、目を細めて言った。


「おいおい、俺達仲間だろ? んな恐い顔すんなって。なあ、ネクスト」


 舞にザ・ワンと呼ばれた男性は、おどけた調子で言った。


「……今の私は舞。そんなコードネームじゃない」


 ザ・ワンにネクストと呼ばれた舞は、ゆっくりと首を横に振った。


「おいおい、お前、人間みたいな名前だなあ。お前はザ・ネクストだろ? 俺と同じだ」

「同じなのは否定しない。でも、私はもう、ザ・ネクストじゃない」

「ハッ、乾いてるな……。ん? ……いや、本当は飢えて飢えて仕方がないんだろ? 俺みたいに人間を食いたくてたまらないんだろ?」


 ザ・ワンは、口の端を歪めて言った。

 ザ・ワンの問いに、


「……別に、人なんて食べなくても生きていける」


 舞は、短く否定の意思を示した。


「強がんなよ」

「そうだよ、強がりだよ。でも、猛烈にお腹が空くだけで、それ以外は何ともない。人を食べたくなる事も、ない。決して」


 舞は、軽く髪をかきあげ、俯きがちになって言った。


「……まあいいや。俺はお前が食いたかったんだ。だからよお……大人しくしとけよ」


 ザ・ワンはそう言うと、腰を深く落とした。

 ザ・ワンの姿が変わっていく。禍々しい音を立て、背骨が浮かび上がる。亀の甲羅のような質感のイボが顔中に浮かび、手の爪が伸び、指が伸び、手が肥大化する。足が筋張り、ついには、恐竜の想像図のそれのように変形した。最後に、肌がぬらぬらとした質感になった。


 ザ・ワンは雄叫びを上げ、舞に向かって突っ込んだ。


「っ!」


 舞は、咄嗟に避けようとしたが避けきれなかった。

 襲われる寸前で、ザ・ワンが何かに弾かれた。


「え!?」『何だ!?』


 舞とザ・ワンは、同時に疑問を口に出した。

 舞の目の前には、青白いドーム状の壁らしき物があった。


「何これ……」


 舞が呟いた、その時だった。

 突然、舞の胸元から紅い光が漏れ出した。


「……?」


 舞が胸元を探って取り出したのは、『エボルペンダント』だった。紅い光を放っていた。

 『エボルペンダント』が、とくん、と脈打った。


「よくわからないけど……!」


 舞は『エボルペンダント』の宝石を手の中に握ったまま、ザ・ワンを真っ直ぐ見据えた。

 次の瞬間、舞の体を桃色と白が混じった炎のようなオーラが包み込み、同時に熱と突風が入り交じった爆風が広がった。爆風は、ザ・ワンを吹き飛ばした。


『Intellect and Wild!』


 男声のような低い音声が響いた直後、オーラが消え、そこにいたのは、紅い髪に真っ赤な瞳、赤いワンピース、黒い剃刀のような刃が付いた外骨格のようになっている長手袋、黒いズボンに、長手袋と同じような黒い刃が付いたブーツ姿の舞だった。


「…………何、これ」


 舞は体を見回すと、不思議そうに首を傾げた。


『……んだそのざけた姿はぁっ!!』


 ザ・ワンは吠えると、猛然と舞に掴みかかろうとした。

 舞は腰を軽く落として、


「ふっ!」


 右肘をザ・ワンの胴体に突き刺した。


「ガァッ!?」


 ザ・ワンは二メートル程吹っ飛び、後方宙返りをして体勢を立て直そうとしたが、


「させっか」

「ゴッ!?」


 舞が放った膝蹴りをもらって、アスファルトの地面を転がった。

 舞は、ザ・ワンがよろよろと立ち上がった所を狙って、二度、三度と右拳で殴った。顔面と左の鎖骨があるであろう場所を殴った。

 続けて、舞はほぼ密着した状態で右肩から体当たりをしてザ・ワンの体勢を崩すと、ザ・ワンの右腕を両腕で掴み、そのまま力任せに投げ飛ばした。


「ガアァッ!?」


 ザ・ワンは思わず呻いたが、反転した視界の中にあるものを発見した。

 それは、数百メートル先のビルの影からこちらの様子を伺う二人の少女――心咲と椋の姿だった。

 ザ・ワンはいやらしく笑うと、力任せに舞を振り払い、立ち上がり、心咲と椋の方へ走り出した。


「しまっ!?」


 舞は一瞬体を沈めると、ザ・ワンの頭上を飛び越えるようにして浅く長く跳んだ。



「えっ、ちょっ、嘘っ、こっちに来るんだけど!?」

「に、逃げよう!」


 心咲と椋は慌てて逃げようとしたが、既にザ・ワンは二人のすぐ後ろまで迫っていた。

 椋はザ・ワンに掴まれ――

 そうになって、寸前で間に舞が割って入った。

 舞は、ザ・ワンと取っ組み合いを始めた。


「に、げろ! 早く! 私の家に! 行けっ!」


 舞は歯を剥き出しにして、怒鳴るように言った。

 心咲と椋は、その声を背に受けながら、舞の家へと急いだ。


『つまんねえ、事、すんなよっ!!』

「お前の、思い通りには、させない! 絶対に!」


 舞とザ・ワンはお互いに飛び退いた。

 舞が着地した瞬間、ワンピースの胸元を飾る宝石が、心臓の鼓動のような音を発しながら、赤く点滅を始めた。


「――!?」


 直後、舞の体から力が抜けた。


『……? そうか、お前、もう限界なんだな。ハッ、そんな変なモンの力を頼るからだ』


 ザ・ワンは、そんな嘲るように言った。


「…………ああ、そうだね、その通りだ。だから、これ以上お前と遊ぶ暇は、ない」


 舞はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

 右腕をゆっくりと持ち上げる。指先から肘までを覆っていた、装甲のような長手袋の黒い刃に、黄金色の光が宿る。

 舞は、素早く一回転しながら、


「う……らぁっ!!」

『Elbow slush!』


 気合いと胸元の宝石の音声と共に、腕から光刃を放った。


「ゴ、ガアアァァッ!?」


 凄まじい速さで宙を駆けた光刃をザ・ワンは避ける事が出来なかった。光刃は、ザ・ワンの胴体を深々と抉り、焼いた。


「っ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……!」


 舞自身も限界に達し、その場で両膝を突いた。


『ぐっ、くそ……』


 舞は、跳び上がり、ビルの谷間に消えていくザ・ワンを、見送った。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……ふう」


 舞は、無理矢理息を整えて、立ち上がった。

 それと同時に、元の黒髪に少し白髪が混じったショートカット、漆黒の瞳、そして制服姿に戻った。


「………」


 舞は周囲を警戒しながら、自宅へと急いだ。

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