第十二幕『それを楽しむ者たち』

 楽師のエドガーとアリスも人魚の下を訪れ、老紳士は彼女の美しさを誰よりも褒め称え、パメラの機嫌を最高に良くしてくれた。


『私、ちょっとオジ専に目覚めそう!』


 多感な人魚の少女は頬を染めてキャアキャアと黄色い声を上げる。耳に痛いから静かにしてくれ。


「人魚さん、声出ないんっすね」

「下手に歌われたり、船員を誘惑されて逃げられでもしたら、商人たちも困っただろうからな」


 自分たち海賊が、これまでどれほど残虐非道な行いをして来たかを問われれば、天秤もどちらに傾こうか悩むレベルの話だが、音楽隊のアリスが悲しそうに人魚の水槽に寄り添った。


『何て可愛い子。それに素敵な声。ねえ、アナタの歌声を聞かせて』

「歌っすか?良いっすよ!」


 その日は商船側で長く歌が繰り返された。


『こんな素敵な女の子が良く海賊船でやっていけるわね』


 アリスの歌を聞きながら、パメラが何処か心配そうな顔で呟いた。


『……アリスは男だぞ』

『嘘でしょ?』


 ごぼ、と口から大きな泡を吐きながら、パメラが目を剥いた。だってこんなに可愛いのに!と続けざまに驚きの言葉を口にした。僕も初対面では女の子と間違えるほど、アリスは小柄で少女のように愛らしい。十八になると聞くが、見た目は十六かそこらの無垢な少女に見える。


 とは言え、その裏側に中々凄惨な過去を持っていて、その美しい歌声のために十になる前に去勢されているのだ。成長期を迎えても中性的で愛らしく、その歌声は少女の美しいソプラノだ。


「ワシが長く家を空けている間、娘たちには苦労をさせた。そして可愛らしい孫はこの有様じゃ。娘を狂わせたのはワシなんじゃ」


 強い後悔の表情で重い口を開いてくれたエドガー老を思い出して胃が竦んだ。楽しげにアコーディオンを奏でるエドガー老は、今ようやく罪滅ぼしと共に自らの最後の役目を全うしようと懸命に生きている。それに答えるように、それを許すようにアリスの歌声は波間に響く。


『素敵な歌声ね。悲しいのに、力強い』


 再びパメラは水槽の外に向けて呟いた。そうだな、と同意の言葉だけを返した。



 パメラの入る水槽の水は、毎日入れ替えてやらなければならなかった。海水の入った小さめの樽を力自慢の男たちが何度も運び、水を入れては汲み出す作業を繰り返す。最初に幾分少なくしておいて、水を足す事で海水の鮮度を保つのだ。


 水はあっと言う間に腐る。航海する上で真水は貴重品。一般的には大量の水樽を積載して海に出る。しかしそれも時間と共に腐る。水の魔法を駆使したりもするが、大所帯の真水の確保は生命線だ。


 ヴィカーリオ海賊団の船、エリザベート号には超超高級品である『浄化の樹』が船底に根を張っている、その樹は濁水を真水に変えて幹の中に蓄える性質があり、船底から海水を吸い上げ真水に変換してくれる。決められた枝から毎日真水を放出させている為、基本的にエリザベート号には水樽と言う物を積載しない。その分は全て食料品が乗せられるため、毎日料理長が腕を振るった美味い食事が口に出来る。


 力仕事は得意ではないが、人手不足の中手伝わない訳には行かず、水樽を何度も抱えて甲板と船倉と往復した後、ぐぅっと鳴った腹を恨めしく思う。ラースに助けられて殺人鬼としての処刑を免れ、ヴィカーリオ海賊団に入団して本当に良かったと思う事の要因は幾つもあるが、長い海上生活において美味い食事を口に出来る事はこの船の特権だと思っている。


『人の食べる物って不思議ね。とってもカラフル』

『……そうだな』

『ねえ、一口頂戴?』

『止めておけ、海の戻った後に食事に困るようになるぞ』

『そう、そんなに美味しいの』

『そうだな、お前たち人魚に、この焼き魚の美味さは毒にしかならない』


 火を起こして作る料理の味を知れば、人魚は少なからず新たな知恵の実を口にした事になる。それはやがて人魚の身を滅ぼす毒だ。


『好んで毒を口にしたりはしないわ。私結構、我慢強いのよ』


 ふふっと笑った少女に、かつて傍にいた妹の幼い笑顔を思い出した。

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