第8話
「ねえ」
「何?」
「大きな声では言えないけど」
「ははは、僕たちは大きな声で言おうが、小さな声で言おうが、ちっとも人間達には聞こえないよ」
「まぜっかえさないでよ、ぷんすか。人間達が声を潜めて話すことも多くなったから、私にもうつったのよ、それが」
「ごめんごめん。それで?」
「うん…この頃、ご飯の質が変わったと思わない?白米がどんどん少なくなっていって、代わりに麦が」
「麦どころじゃなくて、芋やカボチャの割合が増えてるよね」
「もはや、白米なんて滅多に…」
「ご飯だけじゃないよ。御汁の具が、何かの蔓とかそんなこともしょっちゅうだよ」
「やっぱり、どこのおうちも食糧事情が苦しいのかしら」
「あるところにはある、ないところにない、といった方が正解かもね」
「いくら『欲しがりません、勝つまでは』と言ったって、『腹が減っては戦もできぬ』という言葉だってあるじゃない?私達は腹が空くという感覚が全くわからないけど、あれは苦しいものらしいじゃない」
「うん。この家からも、奥さまの着物がどんどんなくなっているよね、晴れ着などから先に」
「農家に持って行ってお米と引き換えてもらってるから、でしょう?」
「あの子はどうなった?ほら、『話せる』帯留めちゃんは」
「彼女は大丈夫よ、まだ箪笥の一番上の引き出しに大事にしまわれている」
「ああ、良かった」
「奥さまがとりわけ大事になさっているから、あの子はずっとお手元に置かれるんじゃないかしら」
「そういえば、奥さま、もんぺ姿が板についてきたね」
「ご実家にお戻りになればいいのに。ここからそんなに離れているわけでもなし、お子さん達も抱えてるし」
「やっぱり、旦那さまとの家を守っていたいんじゃないかな」
「ねえ、あなた、起きて、空襲警報よ!」
「なんだ、またか。警報が鳴ったって、人間は逃げられるが僕たちは運んでもらわない限り、逃げも隠れもない…じゃなくて、逃げも隠れもできないだろ。位牌は最優先で持って逃げてもらえるけど、僕たちはどう頑張ってもそれより優先順位は低いんだし。それに、空襲警報なんか毎日のようにあるだろう?いまさらビクビクするのか?」
「鈍いわね、今日は何だかいつもとは違うと思わない?嫌な予感がする」
「気のせいだよ…いや、違う、本当だ、障子の外がやたらと明るいな…これって火か?外では何だかすごい音が立て続けにしてる」
「大変、ご近所じゅうが燃えてるわ!」
「うわっ
「ねえ、見て、窓の外。小料理屋の松川さんちから火柱が立ってる!」
「あそこの家、実はまだお酒をたっぷり持っていたという噂だからな。そこに落ちたんならひとたまりもないや。ああ、もったいない。せっかくの貴重な酒がただのアルコールのように炎と化して終わりとは…ここの旦那さまは上品だから茶碗酒をなさらないけど、いちど茶碗酒をしてもらって一緒に酔わせてもらうのが僕の夢だったんだよなあ」
「あなた、こんなときに何を
「君、こんな時に何だけど、だんだん井戸端会議のオカミさん連みたいになってきたな、
「だって…!」
「俺たちはここにいて、あとは運を天に任せるしかないよ。割れずに生き残れるか、割れるか、それとも粉々になるか…」
「どれも嫌よ。置いて行かれるのも嫌だし、痛い思いもごめんだし、粉々になったら蘇生もできないし…」
「しょうがないよ、覚悟するんだね。人間達が何をしようとも、俺たちのご主人様には変わりがないんだ」
「ところで、奥さまはどこ?」
「不忍池の防空壕にお逃げになっているだろうから、大丈夫だよ」
「奥さま、お子さんたちを疎開させる決心がついたみたいだ」
「集団疎開?」
「ううん、旦那さまのご実家の広島にね、市外らしいんだけど」
「広島!遠いわね…送っていくのも一苦労じゃない。まだお小さいのに、お嬢さんもお坊ちゃんも」
「でも、ここよりはましだよ。これから先、空襲は増えこそすれ、減りはしないんじゃないかな」
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