第6話

「米国とも戦争だって?」

「真珠湾の奇襲成功とかで、ラヂオでは『華々しい戦果』とか言っている」

「でも見た?旦那さまの表情。何だか憂鬱そうで、気になるの。ラヂオとは正反対ね」

「うーん。旦那さまは活動写真狂カツキチだろう?米国や欧州の映画を浴びるほどに観ていたみたいだから、銀幕を透かして、向こうの国力とか豊かさを御存じなんだよ。それに商社にお勤めだから、輸出入や数字に強いだろう。だから戦うにしても、物資の点だけでも国の内情は苦しいことをわかってらっしゃる」

「あなた、良く知っているのね、まるで旦那さまの話すのを見てきたようじゃない」

「ははは、実は見ていたんだよ。奥さまに口止めをしつつもそういう話をなさっていたよ。ちゃぶ台の上から眺めてた」

「おうちの外にその話が漏れたら大変ね…」

「そう、大変」

「旦那さま、お外でも大丈夫かな、あんな顔をしていたら、他人様に気が付かれてしまうのでは?」

「大丈夫、旦那さまも馬鹿じゃないよ。その辺は上手くやるさ」


「ふう…暑いわねえ、今日も」

「君はいつか、僕が寒がりなのを笑っていたじゃないか。暑がりなの?」

「そんな話を良く覚えているわね。ええ、おかげ様で暑うござんすよ。お食事のあと、水で洗ってもらうとほっとするわねえ。夕食なんか、入れられたご飯が熱いと飛び上がりそうになる…あれ、旦那さまと坊ちゃんは?」

「上野の帝室博物館と科学博物館に。特に科学博物館のホールは涼しくて、この季節にはぴったりだって」

「人間は私達とは違って、裸ってわけにはいかないから、気の毒ね」

「それにしても、お嬢さんがお台所で洗い物をできるようになって、頼もしい限りだ。学校でも友達と仲良くやっているみたいで、毎日帰ってくると、すぐに誰かしら『あーそーびましょ』と呼びに来るね」

「さっきもお嬢さんに洗ってもらったけど、気持ちよかったわ。ちょっとくすぐったいけどね」


「ねえ、今日はいつもよりお夕食の支度が遅いじゃない?」

「さっき、お清さんが台所の隅にうずくまって泣いてたよ。でも、奥さまに呼ばれたら、急にしゃっきりして居間のほうに出て行ったけど」

「何かあったのかしら」

「あ、奥さまが来た。『赤紙が云々』とか言っている」

「赤紙?あの、受け取った人間は兵隊に行くという紙でしょう?旦那さまのところにも来たの…」

「とうとう、という感じだね」

「まだ若いのに、お子さん方も小さいのに…」

「まあ、死ぬと決まったわけじゃないよ。それに、旦那さまだけではなく、多くの人も一緒に行くんだし」


「見てた?」

「うん、見てたみてた」

「旦那さまはもとより、奥さま、意外と冷静だよね。入れ替わり立ち代わりいらしたご近所の人にも『お国のために精励してほしい』とか何とか答えておられるけど、本心かな。いつもより、お元気にすら見えたよ」

「カラ元気じゃなければいいと思うけど…」

「うーん、なかなか厳しいね」

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