第4話

「ずいぶん、この戸棚のなかも狭くなってきたなあ」

「それはそうよ、ご家族も増えたし」

「おお、今朝も寒い寒い。ぶるぶる」

「あなたは茶碗のくせに寒いの?」

「君は寒くないのかい?」

「ちっとも。あなたは猫みたいに寒がりねえ。もっとも、三日前の大雪も解け残っているうえ、今も雪が降ってるけど…」

「それにしても、外の様子が何かおかしいと思わない?」

「おかしい?」

「旦那さまが、出勤なさったと思うとじきに帰っていらした。何でも、途中までは行けたんだけれども、そこからは軍が封鎖していて追い返されたらしい」

「何ですって?」

「それで、その後はお出かけにもならず、難しいお顔をしてずっとラヂオをお聞きになっている。さっきまで居間のちゃぶ台の上にいたから、ずっと観察していたんだけれども。陸軍が叛乱はんらんを起こしたとか、何とか…」

「ええっ!それってどういうこと?私、ラヂオの音声は聞き取りにくいのよ。他には何て?」

「情報もあるんだか、ないんだか…とにかく、とてつもないことが外で起こってる、それは確かだ」


「結局、一晩経ったけどどうなったのかしら。岡田首相も、『だるまさん』じゃなくて…ええっと、高橋蔵相も、斎藤内相も、渡辺大将もみな殺されてしまったというし。旦那さまは今日もお出かけにならないし」

「今朝のニュウスでは、カイゲンレイとかいうのが発令されたらしいよ」

「カイゲンレイ?」

「うん。でも、叛乱は鎮圧されるんじゃないかな。もっとも、その後が何とも大変そうだけど」


「結局、首相は運よくご存命だったけど、内閣は倒れてしまうし、人間の世界はどうなってしまうんだろう」

「そりゃ今までも、白頭宰相はくとうさいしょう原敬の暗殺、浜口首相の遭難、血盟団事件けつめいだんとか要人を狙った事件は枚挙にいとまがないけれども、まさかこんな大規模な叛乱が起こるとは、ね…ただ一つ言えることは、何かの大きな転換点になるのかも。この二月二十五日と二十六日の間に、世界は大きく変わってしまったのよ、きっと」

「ふふふ」

「何がおかしいの?」

「たかが茶碗がご立派な顔つきで、世界情勢を語るなんてさ」

「まあ!人を馬鹿に…じゃなかった、茶碗を馬鹿にして。それとも女子じょしが政治を語っているのがおかしいの?」

「いや、まさか。だってほら、茶碗の世界は平等で、僕にも君にも参政権はないじゃないか。人間の世界は普通選挙といったって、結局は女性には参政権はないものねえ」

「かつて、『女は家でおしめでも洗っていろ』とか『断髪はけしからん』とか言い放った大臣もいたそうじゃない」

「良く知ってるね」

「それはね、お嬢さんはいちじ平塚らいてうさんに傾倒していたから、婦人運動には詳しいの」

「そうかあ。今はご家庭に入られているけど、職業婦人になってもおかしくない雰囲気だよね、奥さまって」

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