エントロピーの拡大 ~片付けられない私
今日は休日で寝坊をしていてもいい日だ。
なのに、私は休日出勤をして店長を驚かせ、谷沢さん並みの口八丁手八丁で、新素材の涼しいアンダーウェアを売りまくり、菊池さんの目を丸くさせた。
三人から、
「どうしたの、別人みたい」
といわれて、
「皆さんのご指導のおかげです!」
と元気よく答えたら、自分の声で目が覚めた。
んな訳ないわな・・。
昨日、入荷した商品の新しい涼感素材について調べなくちゃ、と思ってたから、こんな夢を見たんだろう。
繊維について知っておけば、派遣先が変わっても役だつし、事務のミスが多いぶん、商品知識で稼がなきゃね。目指せ、谷沢ジュニア!
と、枕元のノートパソコンの蓋を開こうとしたら、
「ネットは、食事と家事の後!」
という蛍光オレンジの大文字が、目にとびこんできた。
・・そうだった。朝一番にto do list をチェックするなんてことは、心がけてもいっこうに思い出せない。
けど、ここに華ばなしい警告を貼っておけば、朝からネットにはまらずに済むのよね。
それにしても、携帯アラームに起こされるのでなく、自然に目覚めるってなんて心地いいんだろう。
こんなにすっきりまぶたが開いたということは、きっと今日は高気圧。
確かめようと遮光カーテンを開けると、北向きの窓でも、大気にパールっぽい光が満ちているのがわかった。
ほおら、洗濯日和、掃除日和の上天気だ。
休日の日課の優先順位は、病院の作業療法の先生といっしょに、こう決めた。
「①食事、②〆切のある持ち帰り残業、③家事、④緊急でない調べもの」
よし、今日は午前中に家事を済ませて、午後からは調べ物をするぞ。
まずは、①パンと牛乳で手早く朝食を済ました。②持ち帰り残業はないから、次は③家事ね。
だけど、それがどこから手をつけていいやら・・
文字どおり手をつけられない事態に陥っている。
一言でいうなら、私の部屋はゴミで造ったジオラマだ。
いや、純粋なゴミの山なら、まとめて掃いて捨てれば一件落着する。
だけど、正確には種々雑多なものの堆積だから、分別しなければ捨てることもできず、始末が悪い。
たとえば、パジャマと脱いだ服とすりきれた服に、まだ要るかもしれない雑誌・コミック・CDや、お絵描き・色鉛筆・インク切れのボールペンなんかが、資源になる空き缶・空きビン・ペットボトル・空き箱と、さらにダイレクトメール・チラシ・レシート・書き損じた書類とその下書き、そして菓子クズ・消しゴムかす・綿ボコリのハウスダストと、ごちゃ混ぜになって、丘を形づくり山を成している。
私はその谷間を歩き、ご飯用のミニテーブルの前に座るスペースを確保するために、毎日崩れてくる山を寄せては、平野を造成する。
うっかりすそ野を踏むと、ときどきバリッとかグシャッとか手応えのある音がする。
たぶん、前者が菓子袋に入っている透明の仕切りで、後者が紙箱。
前者の音はものすごく不快だから、極力踏まないように気をつけている。
生ゴミだけは、カビが生えると不潔だから、こまめに捨てている。
そこは、自称料理が趣味である私のこだわりでもある。
なのに、標高の低いすそ野や平野部には、なぜか玉ネギのちぎれた皮が浮遊していて、私が歩くたびにふわふわと移動する。
生ゴミと呼ぶには乾いた比重の軽い皮‥。
それだけは、いつのまにか生ゴミ容器へのルートからすりぬけて、1DKの床全体に漂ってしまうのだ。
まっ白な雪の代わりに、茶色い皮が降り積もる星があったとしたら、ちょうどこんな感じだろうな。
湿った生ゴミのほうは、せっかく分別したんだからと、ベランダで堆肥を作ろうとしたことがある。
専用バケツと生ゴミ処理剤も買って、ちゃんと説明書どおりにした。なのに、水きり不足だったのか、悪臭がしカビが生えて、容器ごとただの粗大ゴミになってしまった。
そんなで、自家製堆肥でハーブを育てて、オリジナルレシピと写真をブログにアップする、という夢はついえてしまった。
しょうがないから、他人のブログのコメント欄に、その人のおしゃれなレシピの応用編を書きこむ。
すると、「私も和洋折衷派だけど、その組み合わせはなかなか思いつきませんよね!」なんて善意にあふれたお返事をもらえる。
会社の忙しい先輩たちは手料理に関心がない。
本物志向の加工食品のお取り寄せばかり話題にしているから、そんなものを買えない私は仲間に入れない。
「家事はもっと社会化すべきよね。こう残業が多くちゃ、休みの日は体力回復で精一杯だもん。手をつけられないくらい散らかってても、整理業者が引きうけてくれるってよ」
谷沢さんがパンフレットまで見せてくれたけど、週1回3時間の掃除代金が自分の日給と等しく、1DKのゴミ処理代の目安が月給よりも高くては、とうてい手が出なかった。
身に付ける服だって清潔にしておきたいから、休日のたびに目につくものを拾い集めて歩く。
けれど、どこに埋もれてしまったのか、下着の枚数がだんだん減ってきて、靴下も片方しかないのが幾つもある。
洗濯できる休日から休日までのサイクルを考えると、八組は要るので買い足さなくちゃいけない。
買い物には、半袖の横縞のTシャツを着ていきたいけど、さてどこに置いたろう。
「服は、お店の展示に使うようなハンガーポールに、むき出しで掛けると一目瞭然ですよ」
と作業療法で教わった。これは成功した!
といっても純粋な洋服ダンスとはやや違う。
室内物干しを置くスペースがないので、ハンガーポールに掛けた服を脇に寄せて、反対側に洗濯物を干していたら、自動的に物干し=クローゼットになったのだ。
おなじく下着や靴下も、部屋のコーナーに渡した棒につり下げている、洗濯バサミの並んだ物干しが収納場所。
片付けるという行程をなくしたのが性に合った。
「ただ、ハンガーポールって、上下五着ずつくらいしか掛けられないんです」
と相談したら、たしなめられた。
「それで季節に十通りぐらいのコーディネートはできるでしょう。それ以上買ったら、管理しきれなくなるのは当たりまえですよ。新しいのを一着買ったら、古いのを一着捨てましょうね」
捨てるには見つけなきゃならない→見つけられるものなら着ている→着るのがあれば買い足しはしない。
そんな逆向きの三段論法をとっさに説明できなくて、埋もれた服の救出法は聞きそびれてしまった。
子どものころは、文房具をなくすたびに「いくつ買わせるの」と母に叱られたものだ。
誕生日やクリスマスのプレゼントでもらったオモチャも、なくしたらそれきりになった。
そういう夜は布団のなかで、うちの地下が本当は大型スーパーで欲しいものをなんでも取りにいける‥という空想をしながら眠りについたものだ。
けど、大人になった今では、たかがスーパーマーケットごときがおとぎの城ではないとわかってしまって、夢想にも逃げられない。
「下手に片付けると、どこに片付けたか覚えられないんです」
そう訴えたら、
「引きだしや扉に、外からわかるよう中身を書いたシールを貼るのはどうですか」
と提案された。けれども、
①ルール通りに入れたつもりなのに、なぜか隣の引きだしで見つかる。
②所定位置を定めたことを忘れて、新たな指定席を作ってしまう。
③ふさわしい表示名を思いつかず、どこに分類したかわからなくなる。
という結果をまねき、さらなる混乱に陥った。
ハサミとボールペンだけは、役所方式を自分でまねてみた。
つまり、ヒモとガムテープで机にくっつけて、片付けるのをやめたら無くならなくなったのだ。
そんなこんなで、うちではタンスもペン立てもガラ空きのまま、狭い部屋で場所だけくっている。
そうして、「みせる収納」が自分には向いているということは経験的にわかったけど、こう物(ゴミ)が多くては、見せるべきものも見えやしないというのが現状。
縞のTシャツは、どうやら地表面にはないのか見つからない。
ここでカンシャクを起こして力ずくでむやみに堀りかえすと、地層が壊れてしまう。
すると、「あの辺りにあれがのっかってたはず」という他の見当まで崩れてしまって、あとでますます困ることになる。
だから、第二プロセスはそっとめくりながら、化石を捜すようにあくまで丁寧に。
‥お、百円玉が出てきた。
めんどうな発掘作業にも御利益はある。これをマンションのコインランドリーに有効利用しよう。
ところが、いざ洗濯を始めようとすると、空は晴れたり曇ったりめまぐるしく変わり、不穏な風の音がしだした。
ベランダでグガシャ!と音がしたのでのぞいてみると、西日よけに置いているよしずが端まで吹きとばされている。
またどこかで竜巻が被害を起こすのかな。
「ひゅーひゅーは、昔の歌では木枯らし専用だったけど、今じゃ年中ひゅーひゅーいってるねえ。五月といえば、そよ風の季節だったのに」
まえに母がそんなふうに電話でぼやいていたけど、そよ風の時代なんて私は知らない。
春は大嫌いだ。
花粉だか黄砂だかPM2・5だかしらないが、二月からこっち、ずっと喉が痛くてかなわない。
おまけに近年は梅雨でなくても、三月も四月も五月も雨降りばかりだ。
しかも、集中豪雨があちこちの山を崩して地形を変え、家や道路を水浸しにする。
そうそう、洗濯機を回しているあいだに急いで、目だってきた風呂のカビをクエン酸スプレーで磨かなくちゃ。
ひどく降りだすと排水口の臭いが逆流して、風呂に入るにも息をつめないといけないから、今のうちだ。
おや、ユニットバスの排水口のフタが外れている。
のぞいてみると、排水管のキャップが真っ黒だ。そういえば最近水はけも遅かったけど、臭いのはそのせいか。
詳しく見たいが、自分の影になってよく見えない。
懐中電灯をもってくると、妙に膨らんでぬらっと光っている。
正確な状態を知りたいが、懐中電灯の光が弱く、しかも光の輪ができたりして見づらい。
掃除を怠けすぎて、巨大な菌床になってるんだろうか。
けど、それにしてはカビ臭くない。
どこかで嗅いだことのある・・これは、そう湿った土のような匂い?
照らす角度を変えながら隅ずみまで見きわめると、中央部が特に盛りあがっている。
周りの組織とのあいだに境界線があり、まるで瞳のない目玉のようだ。
ちょうど目玉焼きが生焼けで、黄身をおおっている白身が透明のままの卵を、真っ黒にしたみたい。
じっと見ていると、ただの汚物ではなく、中で生命が息づいているような気配さえ感じる。
穴に背を向けると、なにか出てきそうな気がして、どうも落ちつかない。
しかたないので、体の向きを中途半端にねじったまま、浴槽や壁をブラシでこする。
水を流してもあふれないだろうか。
おそるおそるシャワーをかけると、穴のなかの黒い物体は細かく震動し、水は周囲から速やかに流れてなくなった。
詰まるかと思えば、排水はかえって良くなっている。
なんだか空耳とまごう微かな音も聞こえるようだけど‥?
いぶかしく思い、ブラシの柄でつついてみると、「オォー‥ムン」と今度ははっきりした音をだした。
生きてる!
‥これははたして人と共生できる生物なんだろうか。
仮にそうだとしても、飼い方も名前もさっぱりわからない。
ネットで質問してみようか。
これは「緊急の調べ物」と認定し、私は排水口にふたをすると、ベッドの上の有象無象を払いのけ、伸ばした脚にパソコンをのせた。
「どこから来たのかわからないけど、風呂の排水口を巣穴にして棲みついちゃったやつがいます。全体は直径7㎝くらいで、黒くてつるんとしてます。真ん中には、3㎝位の目玉のような部分があります。『オーム』って鳴きました。同じのが棲みついちゃった人いますか。有害ではありませんか」(風に舞う木の葉)
送信するが、さすがにすぐには返答がない。
誰か目にとめてくれるだろうか。
そもそも、他にも存在するんだろうか。
洗いおわった洗濯物を干すうちに、それでも、着信音がしだした。
パソコンを遠目に見ていると、画面にぽつりぽつりと応答が並びはじめる。
「うちにもいるよ~。ぜんぜん害ないよ(^^)v オルカとかクジラの仲間みたいでラブリィ♪ なんとなくヌクラって呼んでま~す」(ヌクラ☆らぶ)
「拙宅では台所の流しにおる。黒主(くろうず)と名づけた。利口で返事もしますぞ」(黒主の主)
「Ωって、もの静かでジャマにならなくて、究極の癒やし系ペットですよね」(人呼んでリケジョ)
みな好き勝手に名づけている。丸い頭をしてあの声で鳴くのを聞くと、Ωと呼びたくなるのはうなずける。
「こんなに仲間がいたんですね! エサやお手入れはどうしてますか」(風に舞う木の葉)
「ジュースとか牛乳とか主に液体でしょうか」(自称ジェントルマン)
「固形物も離乳食の要領で、やわらかいものから慣らして形も大きくしていきました。今は私と同じものを食べますよ」(人呼んでリケジョ)
「炭酸も酢の物も好む。酸に強い丈夫な生き物である」(黒主の主)
「うちはなにもあげてないけど‥(^^; お風呂にいるから石けんとか垢とか養分にしてるのかな。てことはアルカリにも強い? あたし肌が弱いから合成洗剤は使ってないんだけど」(ヌクラ☆らぶ)
あ、私といっしょだ。
「合成洗剤はヤバいっす‥。粗品で風呂用洗剤もらったんで使ってみたら、お亡くなりになりました。また生えてくれんかなー(涙)」(NG之介)
「おれもアトピーあるからエコタワシ。そのせいか台所でほとんど生ゴミ処理機状態。皿洗いで流れこむ食べカスでぐんぐん育って、排水口からはみ出してきたよー(汗)」(その名も生ゴミ男)
「宇宙人襲来!! 地球を乗っ取らせる気か!」(嵐を呼ぶ使者)
「百円ショップで売ってる網を排水口にかぶせて、ダイエットさせなさい」(人呼んでリケジョ)
そうか、ヒトが食べられるものならOKなのか。
私はすぐさま目玉焼きを作って、風呂に戻った。
フタがまたはずれている。どうやってはずすのかしらないが、フタは嫌いらしい。
目玉焼きの白身の部分を一切れ、人肌程度に冷めたのを確認してから、試しに落としてみた。
ペタッとはりつくような音がする。
円が目だとすればこめかみの辺りで、そちら側が顔をしかめたように中央の円が細まった。表面の膜が引っぱられたせいかもしれない。
しばらく見ているうちに、円はじょじょに元の形に戻っていった。
すくなくとも、あれが口ではないようだ。
でも、見たところ他に口のようなものは見えない。どうやって食べるんだろう。
生の溶き卵のほうがよかったかな、目玉に目玉焼きでは共食いか。
と、白身の周りの黒い肉が、ちょうど表面張力で盛りあがった水のようにせり上がってきて、白身の表面をゆっくりと浸すように中央へと向かっていき、やがてすき間なくおおってしまった。
「オオォォォーンン」
喜びの声?‥と思っていいのかな。
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