冬陽・千晃ルート

*本編時系列とは別物としてお読み下さい。



 ゴールデンウィーク最終日……前日の夜。


「バイト、代わってもらえたんです」


 一花いちかは嬉しそうに報告した。


「若園先輩が地元から早めに戻って来てくれて、バイトに出てくれるって。だから明日は一日遊べます」

「ほう、そりゃ良かった」


 冬陽ふゆはるが他人事でなく喜んだのは、明日出かける約束をしている当人だからだ。もともとは15時以降からという話だったが、一日あるのであれば、行動範囲も広げられる。


「どうする、千晃ちあき。予定通り都内で買い物もいいが、一日ありゃ他にも――」

「………………」


 出かけるのは、千晃も一緒。騒がしい彼なら両手を挙げて喜びそうだが、なぜか石のように黙り込んでいる。


「千晃さん、どうかしたんですか?」

「…………仕事」


 千晃は絶望の表情で呟く。


「仕事が……入った……」


 手には、携帯が握られていた。どうやら今、その連絡が来たらしい。千晃は両手で顔をおおう。


「犬飼のバカが! 勝手に入れてしかも連絡し忘れてたって!」

「残念だったなぁ。ま、元気出せよ」

「ハル君、顔が喜んでる。ダメだよ? 僕抜きでデートなんて。仕事は夕方には終わるから、僕が帰ってくるまで待ってて――」

「よし、一花。明日は11時前には家を出るぞ。準備しとけよ」

「~~~~!」


 ――サブマネージャー犬飼の絶妙なアシストによって。冬陽はゴールデンウィーク最終日、一花と2人きりの時間を勝ち取ることが出来た。

 都内の大型ショッピングモールで買い物、美味しいランチを楽しみ、話題の映画を見終わった頃には、もう日は沈んでいた。


「そろそろ帰るか。あんま遅くなると蛍がうるせぇし」


 冬陽は腕時計をかざす。時刻は18時。これから帰れば、鎌倉には20時前には着くだろう。


「やっぱ邪魔が入らねぇのはいいな。お前を独り占めできるなんて、普段じゃ考えられねぇ」

「冬陽さん……」

「また出かけような」

「はい」


 今日という日を貴重に思ったのは、一花も同じだった。

 皆で過ごすのも、楽しいけれど。

 こうして1人と向き合うことも必要なのだと、改めて感じた一日だった。





【END】





「……いや、さすがにこれじゃ千晃さんがかわいそうです」

「チッ」


 2人は車に戻り、千晃の仕事現場へと向かう。幸運にも都内のスタジオだったので、ものの30分程度で到着した。


「千晃さんからメール来ました。お仕事が長引いてるみたいで……あと少し待ってて、だそうです」

「あぁ? 前もそう言っときながら、2時間待たされたことあったぞ。お前、ちょっと行って様子見てこい」

「ええ!? ダメですよ、部外者なのに」

「マネージャーと顔見知りなんだろ? 名前出せば行ける」


 半ば追い出されるような形で、一花はスタジオに足を踏み入れた。受付でメインのマネージャーである美貴の名前を伝える。するとほどなくして彼女が現れた。

 短く切られた髪。ぴっちりとしたスキニータイプのズボンが、長い足を美しく際立たせている。まるで男装の麗人といった風貌に、一花は少し緊張する。


「意外です」


 今日の出かける約束をしていたということを話すと、美貴は驚きを込めて言った。


「女性と外出するというだけでも珍しいのに。仕事以外に楽しみにすることが、あの人にあったんですね」

「そんなに驚くことなんですか?」

「ええ。由良さんは映画鑑賞以外の趣味がありませんし」

「確かに、いつも休みの日は映画ばっかり見てますけど……」

「それに彼は女好きに見えて、実は女性に対する不信感のかたまりですから」

「ええ!?」


 美貴は冷静に、研究対象を語るような口調で続ける。


「いや、表現が適切ではないですね。女好きなのは確か。けれど、心は許さないというか……やはり娘相手だと違うのでしょうか。とはいえ、16年一度も会ったことがないと言ってましたし……」


 ふむ、と美貌のマネージャーは考え込む。


「やはり、よく分からない人です」

「一花ちゃーん!」


 と、明るい声が響いた。振り返ろうとした瞬間、背後から抱きしめられる。


「やっと終わったよ……こんなに時間が長く感じたのは生まれて初めてだ」

「お疲れさまです、由良さん。今日はこちらの不備で、ご迷惑をおかけしました」

「犬飼、クビにしてくれた?」

「残念ながらそれは……その代わり、明日は休みにしました。最近働きづめですから、ゆっくり休んでください」


 ……スタジオを後にして、冬陽の待つ車に戻った。後部座席に乗り込むと、バックミラー越しに冬陽が抗議する。


「おい、何で2人して後ろに座るんだよ。一花、前に来い」

「いいでしょ、今までずっと一花ちゃんを独占してたんだから。今度は僕の番だよ。さぁ一花ちゃん。どこ行こうか? お洋服でも何でも買ってあげるよー」

「援交するオヤジみてぇなこと言いやがって」


 千晃の笑顔の問いかけに、一花はおずおずと答える。


「あの、もう大丈夫です。冬陽さんにいっぱい買ってもらったので」

「……!」


 笑顔に、ヒビが入る。


「い、行きたいところはない?」

「もうけっこう回ったよな」

「食べたいものは!?」

「今はちょっとお腹いっぱいで……」


 欲しいものも行きたい場所も、食欲も満たされている。

 これでは何も出来ることはない。千晃はうなだれた。


「今日は……楽しかった?」

「はい!」

「………………」


 一花の元気な返事に、千晃は撃沈した。


「あ、ええっと映画、映画見ましたよ! 千晃さんの出演されてる作品です。すごく面白かったし、カッコよかったです」

「衣装がな」

「冬陽さん!」

「はぁ……やっぱり犬飼はクビにしよう」


 励まそうとしたが、効果はなかった。どうしようかと考えていると、ふとあることが思い浮かんだ。


「行きたいところ、やっぱりあります」

「え、ほんと!?」

「千晃さんと冬陽さんの思い出の場所に行きたいです」


 葉介と蛍と行った江ノ島。そこは一花にとって思い出の場所だった。大切な人と行けたことはとても嬉しかったし、新たな思い出も生まれた。

 その良さを知ったからこその提案だったが、千晃たちは顔をしかめる。


「え? ダメですか?」

「思い出とか言うな……鳥肌立つだろ」

「ないよ。そんなもの、一切」

「ウソ、長い付き合いだって言ってたじゃないですか。一つや二つあるでしょう」

「長いだけで、とりたてて何かあるわけじゃないから。そりゃ女の子同士の友情なら、そういうステキなものもあるかもしれないけど」

「安い呑み屋しか浮かばねぇな」

「一花ちゃんは連れて行けないよね」


 思い出の場所。本当のことを言えば、あるにはある。が、気恥ずかしさが勝って、2人とも言い出せなかった。これが自分と一花だけだったらまだ良かったが、相手もいるとなるとさらに照れくささは増す。


「……むぅ」


 2人の内心を読み取って、一花は頬をふくらませた。

 その分かりやすい不機嫌っぷりが可愛く見えて、冬陽は譲歩することにした。


「こっからだとあそこが近いんじゃねぇか」

「え?」

「ほら。高校の頃、お前が通ってた小さい映画館」

「ええ~」


 千晃は決まりの悪い顔をする。


「やだやだ! 今そんなとこ行ったらノスタルジーに浸っちゃうよ。やたらと過去を美化するおっさんになる」

「いいですよ、そういう話が聞きたいです」

「ンなの楽しくないって! 他のとこ行こ?」


 千晃は強く拒絶する。

 そういえば、と冬陽は思い出す。コイツは、自分自身を見せることを過剰に嫌がるヤツだった。弱音を吐かないばかりか、過去も語りたがらない。どうしたものかと考えていると、ふっと彼女の表情が変わった。


「……美貴さんが」

「美貴?」

「千晃さんは不信感のかたまりだって言ってました」

「!!」


 大きな瞳に悲しみが宿る。


「私、千晃さんに心許されてないんですね……だから過去には踏み込まれたくないんだ」

「え!? そんなことないよ、許しまくりだから! この世で一番君のこと信じてるから!」

「いいんです、こういうことは無理強いするものじゃない……」

「うう~~……分かった、分かったよ」


 千晃は白旗を揚げた。

 冬陽はボソリと言った。


「……お前、千晃の操縦がうまくなったな」

「え? 操縦って何ですか?」

「無自覚かよ……」


* * *


 車は新宿区に入り、神楽坂の某所で停まった。

 夕食時で混雑する道を進んでいくと、古いビルにたどり着いた。レンガの壁。ライトアップされた映画のポスター。館名の字体。全てにおもむきがあり、映画を見たいと思わせる雰囲気があった。


「今から見られる映画はなさそうだな。どうする?」

「ちょっと中を見てみたいです」


 館内も、外観同様の雰囲気を漂わせていた。むき出しの空調、手作り感のある掲示板。紅色のソファ。昭和を知らない一花でさえ、懐かしさを感じる。


「懐かしいな。何年ぶりだ?」

「ハル君は20年ぶりくらいじゃない? 僕はたまに来てるけど」

「じゃあどうしてあんなに恥ずかしがったんですか?」

「昔話をするのが照れくさいからだよ」

「よく授業サボって来てたよな。俺も何度か付き合わされた」

「ほらそういう話しする。……付き合わせたって言っても、ハル君は寝てたけどね。名作を目の前にして」

「お前が選ぶ映画は小難しいんだよ」


 映画は上映中のようで、大きな扉は閉ざされている。係員以外誰もいない。3人はソファに腰掛けると、少し声を抑えて話した。


「2人とも同じ高校だったんですよね。どうやって仲良くなったんですか?」

「何でだっけな。あんま覚えてねぇな」

「そうだねぇ。タイプが全然違ったのに。サボり魔の僕と、優等生のハル君じゃさ」

「優等生……?」

「おい、何で首かしげる」


 乱暴な言葉遣いの冬陽は優等生というより、不良の方がイメージに合っている。初めて出会った時もヤクザのように怖い人だと思った。……ということを、正直に言えば怒らせること間違いないので、一花は聞き手に徹する。


「冬陽さんってどんな高校生だったんですか?」

「人相の悪さは変わらないね。1人だけ大人みたいな顔してたよ。勉強も運動も得意で、すごくモテてた」

「別に普通だったろ」

「あれが普通だったら世の男子高校生の恨みを買うよ。けど、可愛い子に告白されても、ちっとも嬉しそうじゃなかったなぁ。何て断ればいいか悩んでばっかりだったよね」

「付き合ったりしなかったんですか?」

「忙しかったんだよ、色々。下に妹も弟もいたから、面倒見なきゃだったし。そこそこの進学校だったから、勉強もしねぇと」

「女の子が苦手だっただけでしょ」

「うるせぇ」


 冬陽はぷいっと顔をそむけた。

 異性が苦手な彼は、あまり想像がつかない。常に余裕があって、今日もとてもスマートにエスコートしてくれた。もちろん自分は彼にとって娘なのだから、異性とは言えないけれども。それでも彼が女性を目の前にして動揺する姿は、浮かばなかった。しかし。


「……あー、やっぱ付き合い長いヤツはめんどくせぇな」


 千晃の昔話によって赤くなった耳を見ると、そういう時期もあったのかもしれない。


「じゃあ、千晃さんは? どんな感じでしたか?」

「千晃は……」


 冬陽は少し考え込んで答える。


「教室が、いや高校そのものが似合わないヤツだったな。ある日突然屋上から飛び降りても不思議じゃなかった」

「酷い! 自殺志願者みたいに言われないでよ」

「俺なんかより女にモテてたよ。顔もいいし、人当たりも良かったからな。ただ、怖がられてたとこもあった。特に教師陣は理解出来ないって、よく千晃について聞かれてた」

「ええー? そんな問題児じゃなかったでしょ。ちょっと自主休講が多かっただけで、フツーの生徒だったよ」

「そうだな。俺もお前は分かりやすいヤツだと思うんだが」

「それは多分……冬陽さんだからですよね」

「……? 俺だから?」

「あーー話はそのくらいにして、そろそろ出ようか!」


 これ以上は耐えられないと、千晃は立ち上がり、話を終わらせた。

 と、それと重なるように冬陽の携帯が鳴った。仕事先かららしく、一花たちから距離をとって応答する。

 2人だけになって、一花はこっそりと千晃に言った。


「2人の昔の話、ずっと聞きたかったんです。ありがとうございました」

「変わった子だね。特に面白いことないのに」

「そんなことないですよ。もっと聞きたいくらいです」

「…………」


 千晃は気まずそうな顔をする。


「別に信用がどうとかいう話じゃないんだよ。過去を振り返るのは落ち着かない気分になるから、避けたかっただけで」


 思い出話よりも、美貴の言ったことの方が気がかりだった。どんな言い方をしたのか。まさか一花が傷つくようなことを言ってないか。


「そもそも信じるってことはさ。相手が自分にとって都合がいいように動いてくれると期待することでしょ。身勝手な希望を抱くのは、主義に反する」

「でも冬陽さんのことは信じてますよね」


 いつもなら、照れくささから答えをはぐらかすところだが。

 今さら隠すことでもないと、千晃は観念して答える。


「ハル君は、僕に期待も幻滅もしないからね。一緒にいて楽なんだ」

「私のことは? 信用、したくないですか」


 たとえ彼の言うとおり、信用が身勝手な希望とイコールだったとしても。大事な人の期待なら、応えたい。信じて欲しいと、思わずにはいられない。


「……君も、特別枠だ」


 千晃は首を振った。


「僕のちっぽけな主義なんて、君を目の前にしたらポキッと折れちゃうよ」

「……それは、良いことですか?」

「答えたくない。……ウソ。良いことなんじゃない?」


 千晃は苦笑する。


「でも、敵わないと思う相手は、これ以上増やしたくないなぁ」


 その笑みには親愛がにじんでいて、一花はほっとした。不信感のかたまり。その強烈な言葉は、彼女の心に影を落としていたが、千晃のおかげで明るさを取り戻した。


 冬陽が戻ってきて、3人は映画館を後にした。

 

「一花ちゃん、そろそろ夕飯食べれるかな?」

「私、まだお腹いっぱいかも……」

「ええー! 美味しいものご馳走したいのに! 一体昼は何食べたの?」

「デラックス高級焼肉コース」

「昼から!?」

「と、大きなパフェです」

「そりゃ腹にたまる……あーあ、神楽坂はいいお店いっぱいあるのに」

「俺は食えるぞ」

「ハル君にご馳走したって何の意味もない。理由もない。メリットもない」

「あぁ?」

「わー! 私もお腹すいてきました。行きましょう!」




【END】

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