悪い大人の後日談

 たちばな家。けいお手製の夕食を食べ終え、皆でテレビを眺めながら他愛もない話をする、いつもの風景。


「私、そろそろお風呂入ってきますね」

「はーい、いってらっしゃい」


 一花いちかを見送って、居間には大人4人が残る。


「あ、そういえばロケ先で美味しいお菓子見つけて買ってきてたんだった。皆食べない?」


 千晃ちあきが呼びかけると、


「食べる!」

「食う」


 と、葉介ようすけ冬陽ふゆはるが返事をする。蛍はそれに対しては何も言わなかったが、この場から離れた一花のことを案じる。


「一花の分はあるのか?」

「それはもちろん。じゃあ持ってくるから、ケイ君お茶入れて」


 テーブルに、地方の銘菓めいかと4人分の湯飲ゆのみが並ぶ。

 同居が始まったころであれば、彼女のいない居間に用はないと、それぞれ自室に戻っただろう。望んで始まった共同生活ではないし、必要以上につるむことはない、はずだった。

 それが変わったのはつい最近のこと。もちろん一花と2人きりの時間が一番だが、4人でいるのもそこまで悪くない。そう、それぞれが思い始めていた。

 甘味を頬張っていると、どこからともなく歌声が聞こえてくる。


「また一花、お風呂場で歌ってるね」

「今日は何の曲かなぁ」


 よく耳をませると、旋律せんりつははっきりしてきた。独特のリズム、歌い回し。これは……。


「演歌だな」

「……くくっ」


 蛍は口元に手を当て、笑いをこらえる。入浴中熱唱する一花は、彼の笑いのツボだった。


「一花はよっぽど歌が好きなんだね」

「うん、本当に可愛い」


 蛍は深くうなずく。そんな彼を冬陽は疑わしげに見る。


「可愛いって……爆笑してるくせによく言うぜ」

「爆笑じゃない。あまりの可愛さに笑みが出るだけだ」

「一花の歌が聞けるのは嬉しいな。いつもは歌ってってお願いしても逃げちゃうから」

「微笑ましいよねぇ。選曲に難ありだけど、そこもまたいい」


 毎夜繰り広げられるリサイタルは、昭和の歌謡曲が中心だ。流行はやりの曲が流れたことは、一度もない。


「いいとは思うんだけど……あの子、友達とカラオケ行ったときとかどうしてるのかな? 昭和の歌謡曲ばっかり歌って、引かれてない? 変な目で見られてたらどうしよう」


 千晃は深刻そうに言った。冗談でも何でもなく、本気で心配している。それに対して冬陽はそっけなく返す。


「大丈夫だろ。アイツ、カラオケ行くようなれいなさそうだから」

「それは何も大丈夫じゃないよ、ハル君」

「一花はちゃんと友達いるよ。休み時間、クラスメイトと仲よさそうにしてるところをよく見かける」

「それなら安心。ていうかケイ君って、一花ちゃんの学校につとめてるんだったね。女子高の講師……羨ましい」


 千晃は嫉妬しっと眼差まなざしを向けた。葉介もその隣で同調どうちょうする。


「いいよねぇ。俺も一花の学校の先生になりたいな」

「お前が何教えるっていうんだよ」

綱渡つなわたり、空中ブランコ……あ、ライオンやクマのお世話の仕方も教えられるよ」

「猛獣を手なずける女子高生も魅力的ではあるけどね」


 千晃は苦笑する。

 その時だった。居間まで届いていた歌声が、ぷつんと途切れてしまった。


「もうお風呂から出たのかな。いつも1時間は入ってるのにね」


 年頃の少女の長風呂に文句を言うのは、この家では冬陽だけ。皆そういうものだと思っているので、普段より早く歌声が止んだことを不思議に思う。

 一花はすぐには姿を現さなかった。居間を出て一時間ほど経って、ようやく戻って来た。結局いつも通りの入浴時間だったことになる。

 彼女は居間と廊下を繋ぐ戸から身体半分だけ出して、じっと4人を見つめる。濡れた髪をタオルでまとめ、可愛らしいパジャマ姿。けれどその表情は不安げだ。


「あの……声、聞こえてましたか?」

「おう、聞こえ――うぐっ」

「ええ? 何のことかな? 何も聞こえてないよ」


 冬陽の口をふさぎ、蛍は笑顔で答える。


「今日は風が強いからねぇ。風の音ならよく聞こえてたよ」

「俺、テレビずっと見てた」


 千晃と葉介が蛍の援護えんごをする。

 すると一花は、ほっと安堵あんどの表情を浮かべた。


「そっか……あのくらいなら大丈夫なんだ」

「どうしたの?」

「えっ、いや、何でもないです! 髪かわかしてきます」


 一花は居間を出ていった。軽い足音が遠のいて、蛍は冬陽にすごむ。


「あんなこと言って、一花が歌わなくなったらどうするんだ」

「そうだよ。これが聞けるから居間にいるのに」

「冬陽。気にしないふりをするのが、大人の気遣きづかいだよ」

「うっ」


 この家で一番精神年齢の低い葉介に、大人の気遣いなんて言われたくない、と思ったが、3人の睨みにひるむ。


「聞こえてるのに聞こえてないって言うのは性格悪いだろ……」

「僕らが余計なこと言わなければいいんだって。彼女は心地よく入浴できるし、僕らは僕らで彼女の歌を楽しめる。誰も損しない」

「俺たちだけの秘密だね」

「一花を傷つけないためだ」


 葉介は無邪気に言い、蛍はすました顔でお茶をすする。

 千晃は、人の悪い笑みを浮かべる。


「性格悪くて当然。だって僕らは大人だからね」



【END】

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