010 4人の父親

 『しのぶ会』当日。

 訪問客の足も途絶え、そろそろお開きにという時間になった。挨拶も終わって、ようやく落ち着ける。私は、会場の隅でお祖父ちゃんの遺影を眺めた。けれど、数分も経たないうちに伯母さんに捕まってしまった。


一花いちかちゃん! この前の電話びっくりしたわよ。急に切るなんて」

「すみません。うちの電話、調子が悪くて」

「あら、そうだったの。それより聞いたわよ、先生から。あの家の修繕費、かなりかかるそうね。残念ねぇ」

 

 伯母さんは、ちっとも残念そうじゃない声で言った。


「古い家だもの。もう寿命が来たんだわ。これを機に土地を売ってしまって、貴女はマンションにでも引っ越しなさい」

「伯母さん、私は――」

「先生が貴女の後見人になってるけど、人任せにするのは良くないわ。さっ、今後のことを話しましょう」

「そういうお話は私にと、何度もお伝えしているはずですが」

「ロク先生」


 ロク先生が、私と伯母さんの間に入った。安心したけど、これで終わりにならないことはよく分かっていた。


「これはたちばな家の問題です。部外者に口を挟んでほしくないわ」

「私は一花さんの未成年後見人です。部外者と言われる覚えはありませんよ」

「それじゃあその役目を果たして下さらないと。ちゃんと一花ちゃんを説得して下さい。あの家の修繕費が馬鹿にならないのは先生もご存じでしょう? それとも先生がその費用をだして下さるの?」

「それは……」

「止めて下さい。ここでそんな話をするのは」


 私は伯母さんを止める。


「でもね、一花ちゃん――」

「私はあの家は売りません。壊したりしません。これで話はおしまいです」

「な……! けど、あの家は」

「修繕費は出します。お祖父ちゃんが遺してくれた、私の学費から」


 今度はロク先生が驚いた。


「待って下さい、一花さん。あのお金に手をつけてはいけません。大事な進学費用ですよ」

「いいんです。私、大学には行きませんから」

「……! 一花さん、何を……!」

「もう決めたことです。私はあの家を守ります。そのために、学費を修繕費に回します」


 私は2人の反論を待たず、きびすを返した。

 すると、思わぬ人に出くわした。


「橘さん」

水留つづみ先生……?」


 まさか『今』が、水留先生の言った『今度』だとは思わなかった。


「今の話本気? 本当に家のために大学諦めるの?」

「それは……」

「ねぇ、そのお金俺に出させてくれないか?」

「何を……言ってるんですか?」

「返してくれなくていい。いくら必要なの?」

「止めて下さい!」


 お腹のあたりが急に熱くなる。口の中が乾いていく。


「いきなり、何言ってるんですか? そんな冗談を言うために、ここに来たんですか?」

「違うよ。君のおじいさんにご挨拶するためだ」

「だったら、ご案内しますから」

「待って」


 水留先生は、私の手を掴んだ。


「お金を出すと言ったのは、冗談なんかじゃないよ。俺は本気だ」

「……この前のことで、気にさせてしまったなら謝ります。でも、何の関係もない人にお金を出してもらうつもりなんて、ありませんから」

「どうして? 俺は君に夢を諦めてほしくない」

「同情されるのは、嫌いなんです。可哀想だと思われるのも、嫌。私は独りで生きていきます。誰の力も借りません」

「……独りで生きる、ね。……君、お母さんと同じこと言うんだね」

「え?」


 水留先生は悲しそうな目で私を見つめた。


「関係はあるよ。だって俺は、君の――」

「はーい、話はそこまで」


 場違いなくらい明るい声が響く。


「やぁ、遅くなってごめんね」

由良ゆら、さん……?」


 喪服を着ていても華やかに見えるその人は、私の肩を抱いた。


「家の修繕費は僕が負担します。彼女が望む未来に進めるように、僕がサポートしますから」


 由良さんは、伯母さんやロク先生に向かってはっきりと言った。そしてにっこりと私に笑いかける。


「今日の僕は、嘘つきじゃないよ?」

「……!」

「失礼ですが、貴方は俳優の由良千晃ちあきさんですよね? 一花さんに資金援助したい、というお話でしょうか?」

「資金援助。まぁ平たく言えばそうですが、実に簡素でつまらない響きだ。父親が娘を助けたいという親心を、そんな風に表現して欲しくないな」


 さらりと、何でもないことのように、由良さんは言った。

 騒ぎを聞きつけた親戚たちがざわめく。


「ち、父親だって……?」

「まさか、あの由良さんが!?」

「そういえばれんさん、女優をやってるときに何度も噂になってたわよね。由良千晃と」

「ああ、確か週刊誌にも載ってた。あれは本当だったのか」

「一花ちゃんの父親が……」


 熱くたぎっていた怒りが、急速に冷まされていく。

 まるで、海の中にいるような。息ができない。身動きが、とれない。閉ざされかけた視界に、艶やかな笑みが浮かぶ。


「ごめんね。一花。今まで会いに来られなくて」

「……由良さんが、私の……」

「そうだよ。僕が君の――」

「騙されては駄目だよ、一花」


 間髪入れず、彼の言葉を否定したのは、水留先生だった。


「橘蓮は、彼と交際していない。ただの友人だと、彼女から直接そう聞いた」

「……直接、ね。君はどちら様?」

「水留けいと申します。……俺が父親ですよ。17年前、橘蓮さんと交際していましたから」


 あまりの驚きに、もう声も出なかった。

 地面が崩れていくような、気がした。

 呆然とする私の代わりに、ロク先生が2人に尋ねる。


「一花さんの父親だと言うなら、なぜ今まで名乗り出なかったんです。彼女はもう16だ」

「知らなかったんですよ。彼女は妊娠していたことを、俺に隠していた」

「僕も同じです。……まさか芸能界引退の理由が、それだったなんてね」


 これまで賑やかで明るい声色が、さび付いた。

 まるで馬鹿にしたかのような、

 ひどく憎んでいるかのような、

 失望し、落胆しているような。

 けれどそれはほんの一瞬。すぐに磨き上げられた美声に戻った。


「自分にこんな可愛い娘がいるなんて、彼女と自分の遺伝子に感謝したいです」

「……蓮さんは誰にも父親のことは明かさなかったといいますが、まさか父親相手にも隠していたなんて」

「ええ、本当に。間違いなく自分が父親だと思ったから名乗り出たんだけど」


 頭が混乱する。どうしたらいいのか、分からない。

 急にこんなことになって驚きたいし、今更何を言い出すんだと怒りたいし、父親が誰か分からないことにも悲しみたい。でも、驚きも怒りも悲しみも、自分勝手に暴れ回ってしまって、心の中は大嵐。私はただ、立ち尽くすしかなかった。


「まさか僕みたいなやつが、他に……2人もいるとは思わなかったな」


 由良さんはぽつりと呟いた。

 他に、『2人』?

 それだと、由良さん、水留さんの他にあと1人いるみたいだ。

 言い間違え、だよね?


「とにかく場所を移しましょう。いくら訪問客が落ち着いたと言っても、こんなところでは」

「行くなら、俺も同席していいですか」


 問いかけにしては、強制力に満ちた強い物言いだった。


真堂しんどう、さん」


 2度と間違えないと決めた彼の名を、私は口にした。


「…………」

「……ハル君。本当だったんだね、昨日言ってたのは」


 由良さんは小さくため息をついた。


「真堂さん! なぜ貴方までここに……」

「そこの2人と同じ理由ですよ」


 真堂さんは眉一つ動かさず、ごく当たり前のことのように言った。

 同じ理由。つまり彼も、私の父だという。

 一体、これは、どういうことだろう。父親って何人もいるもの?


「……状況を整理させて下さい。ええっと、由良さんと水留さん、それから真堂さん。貴方方は、ここにいる橘一花さんの父親だとおっしゃるわけですか? 3人が3人とも?」


 3人。

 そうかな。3人で合ってるかな。もしあれが嘘じゃなかったら、彼が、本当のことを話していたのだとしたら。


 私の父は、3人じゃない。


 祭壇さいだんに花を手向ける人がいた。かろうじて喪服は着てるけど、頭はぼさぼさ。あの夜と同じ。

 献花けんかを済ませると、彼は……駒生さんは、真っ直ぐ私の元に来た。


「約束、果たしに来た」


 約束。雪の日の、プロポーズみたいな嘘。

 4人の男が、私の前に立つ。


 不機嫌そうに眉をひそめ。

 蠱惑こわく的な笑みを浮かべ。

 強い意志を持って。

 無垢むくな眼差しで。


 私のことを見つめる。

 

「私の、お父さん……?」


 誰ともなく、尋ねた。

 彼はごく当たり前のように答える。


「そうだ」


 自分こそが父親だ、と。

 4人の男は答えた。



第一話:その真実うそは蜜のように甘く

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