小話

case 頭を撫でる

―水留蛍―

 軽やかな足取り。明るい音楽でも聞いているような、晴れやかな表情。

 しばらく彼女の姿を目で楽しんで、俺は尋ねた。


「今日、いいことあった?」

「!」


 彼女はギクッとして、恐る恐る俺の顔を見る。


「……どうしてですか?」

「何だか嬉しそうだから。学校で何かあったのかなと」

「別に、大したことじゃないです」


 彼女はくるりと背を向けた。

 一花いちかはあまり自分のことを話そうとしない。話すのが嫌いというよりは、苦手なようだ。嬉しいこと楽しいことさえも隠そうとする。


「こっちにおいで」

「……」


 笑って言うと、一花はしぶしぶ俺の隣に座った。彼女が人の笑顔を無下にできないことも、俺はよく知ってる。


「何があったから、お父さんに話して?」

「少し前に、けいさんに英語教えてもらったじゃないですか。最近、小テストがあって……」

「へぇ、それで?」

「いつもより、いい点数がとれたんです」


 表情に、少し明るさが戻る。


「私、英語あんまり得意じゃないから嬉しくて。分かりやすく教えてくれた蛍さんのおかげです。ありがとうございました」


 一花は律儀に頭を下げた。礼儀正しい。その正しさが、親子以上の距離を作っていることを、この子は自覚しているのか、いないのか。


「あれくらい大したことじゃないよ。でも結果に結びついて良かったね」

「はい!」


 一花は嬉しそうに頷いた。でも、すぐにしかめっ面になる。


「けど、いい点とれたっていってもただの小テストだし、喜ぶのは早いというか……

やっぱり中間や期末で結果出してからじゃないと――!」


 一花は言葉を止めた。俺が彼女の頭に触れたからだ。


「俺から一花を褒めるチャンスを奪わないでほしいな」

「…………」

「一花、よく頑張ったね」


 柔らかな髪は驚くほど手になじんで。

 優しさといたわりを込めて、彼女の頭を撫でた。


 動揺しきった彼女の表情が、次第に笑顔に変わっていく。


「……ありがとうございます」

「褒められてお礼を言うの?」

「ええっと、違いますか?」

「間違ってはないけど……親子なら、もう一声欲しいね」

「も、もう一声?」

「ご褒美がほしいとかおこづかいアップとか?」

「む、無理ですよ」


 ……まぁ、一花はそういうこと言うタイプじゃないもんな。

 分かってはいるんだけど。


「一花におねだりされるの、俺は楽しみにしてるんだけどな。いかにも親子らしくて、憧れる」

「うう……努力します」

「そこに努力必要?」


 思わず笑って尋ねると、一花は「必要です……」と小声で言った。


「だってそんなこと、したことないから」


 一花は、自分が幸せであることを悪いことのように思っている節がある。


 楽をしてはいけない。簡単に喜んだり、気を許してはいけない。常に上を向いて、人に甘えず、迷惑をかけず、自分の力で歩き続けなくてはいけない。

 それはとても正しいことだけれど、そうとしか生きられないというのは、とても不自由で、いたたまれない気持ちになる。まして彼女は、まだ子供だ。


 ひとりぼっちの寂しい女の子。

 なぜ彼女がそんなふうに育ってしまったのか。……想像しただけで胸が痛んだ。

 こうして、彼女を知るたびに、分かるたびに、強く願う。


 この子の父親でありたい、と。


 頭を撫でているのは、頑張った一花を褒めるため。

 なのに、俺の方が幸せな気持ちになる。


――こうして触れていれば、もっと君に近づける気がするから。




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